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「偉大なるマッキンディ」  (1940年 アメリカ映画)

2020年06月10日 | 映画の感想・批評
 ホームレスのマッキンディはある選挙違反行為に関わったことで、政界の黒幕でボスと呼ばれている男の知遇を得る。マッキンディはボスの前でも物怖じせず、傍若無人な態度を取るので周囲の者はハラハラするが、逆にボスはそんなマッキンディに好感を抱く。二人は無邪気な子供みたいに、気に入らないことがあると取っ組み合いの喧嘩を始める。会えば喧嘩ばかりしているが、本当は仲のよい二人の男の関係がドタバタ喜劇調に描かれている。
 マッキンディはボスの力を背景に市会議員になり、持ち前の度胸と腕っぷしの強さで名を馳せるようになる。ヤクザがチンピラから幹部にのし上がっていくように、ホームレスだったマッキンディが出世街道を突き進んでいくのが愉快だ。ボスはマッキンディを次の市長にしようと画策する。女性票を得るために結婚しろと言われたマッキンディは、秘書のキャサリンと偽装結婚し、見事市長選に当選する。キャサリンは市長の妻としての仕事はするが、マッキンディとは本当の夫婦ではない。夫の帰りが遅いときは、寂しくて男友達のジョージと食事に行く。そのことを知ったマッキンディはジョージに嫉妬し、初めて自分がキャサリンを愛していることに気づく。
 キャサリンは市長である夫に賄賂や不正議員を一掃し、児童労働や貧困、住宅問題に力を注ぐように懇願するが、マッキンディは自分が市長になれたのは裏で甘い汁を吸う奴らのおかげだと言う。州知事になったマッキンディは妻の助言を聞き入れて、無駄な公共投資を止めて児童労働の問題等に取り組むとボスに宣言する。だが本心ではやり抜く自信がなく、妻と必ずしも意見が一致しているわけでもなかった。もしここで「コンクリートから人へ」の政治改革を断行すれば、さぞや感動的な映画になったであろう。しかしマッキンディには低所得者問題に対する見識も改革の情熱もなかった・・・ほどなくマッキンディは市長時代の不正行為により逮捕される。刑務所を脱獄したマッキンディは高飛びする前に妻に最後の電話をする。自分と離婚してジョージと結婚するように告げ、「ブタはしょせんブタのままだ」(英語のことわざ「豚の耳から絹の財布は作れない」)と言って改革の願いを叶えてやれなかったことを詫びる。コメディにしては珍しい、悲しい別れである。
 1930年代に脚本家として名を成していたプレストン・スタージェスは、自ら脚本を手掛けた政治風刺コメディ「偉大なるマッキンディ」(40)で監督としてデビューする。脚本家出身の映画監督の草分けで、後に脚本家から監督になったビリー・ワイルダーはスタージェスの転身に影響を受けたと言われている。30年代にアメリカを代表する映画監督であったフランク・キャプラは、スタージェスがデビューする前年に「スミス都へ行く」(39)を公開している。政界の黒幕の不正を告発する若き政治家が主人公で、最後には汚職まみれのベテラン政治家が改心するという民主主義の理想とヒューマニズムを描いた秀作だ。それに比べるとスタージェスの視点は冷ややかで希望がなく、ペシミスティックでさえある。「サリヴァンの旅」(41)では安直な慈善活動が批判され、「モーガンズ・クリークの奇跡」(44)や「凱旋の英雄」(44)ではおよそ英雄らしからぬ英雄が登場する。「崇高なとき」(44)では主人公は富と名声を求める野心家として描かれている。キャプラの主人公が一点の曇りもなくヒューマニズムを信望しているのと違い、同じヒューマニズムを謳っていても、スタージェスの主人公には挫折があり、迷いと葛藤がある。
 大恐慌の爪痕が生々しかった30年代には、人々はキャプラの熱い理想主義に胸のすく思いがしたに違いない。キャプラに魅了されつつも現実はそれほど単純でもお人好しでもないことを知っている観客は、スタージェスの醒めたまなざしにむしろ安堵感を覚えたのではないか。スタージェスの監督作品はスクリューボール・コメディの時代(1930年代初頭~1940年代)末期に登場したが、その監督人生は第一期・第二期のフィルム・ノワールの時代(1940年代)と重なっている。閉塞感漂うフィルム・ノワールとの奇妙な親和性。コメディと犯罪映画というジャンルの違いはあるが、人生を見つめるまなざしには通底するものがある。(KOICHI)

原題:The Great McGinty
監督:プレストン・スタージェス
脚本:プレストン・スタージェス
撮影:ウィリアム・C・メラ―
出演:ブライアン・ドンレヴィ  エイキム・タミロフ  ミュリエル・アンゲルス
ウィリアム・デマレスト



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