シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」(2019年、アメリカ)

2020年06月24日 | 映画の感想・批評
少女時代に何度も読んだはずの、L・M・オルコット原作の「若草物語」、過去にも何度か映画化されている中で、最近BSプレミアムでエリザベス・テーラーがエミリーを演じた1949年版を観た。皆さん、十分に周知のお話しだけに、映画のネタバレはご容赦くださいませ。

エミリーがローリーと結婚するわ、ベスは亡くなるわ、ジョーも小説家になり、結婚もするのか!あれれ、愛読していたのは第1作で、映画は本作も「続若草物語」までを題材にしていたのか!と、やっと納得。続編までは読んでなかったのね。何度も読んだはずだったのに。
映画にちりばめられたエピソードごとに思い出す。エイミーの学校で流行っていた「ライム」の何とか、長女メグのパーティドレス、ジョーの髪の毛を切ってお金を作ることの意味、引っ込み思案のベスが老ローレンスとピアノを介して親交を深め、積極的になっていくところなどなど、原作を十分に生かした脚本だった。
聖書や巡礼のエピソードは、今一度読んでもきっと私には理解できないところだろう。西洋人にとっては基本のお話しなのだろうか。映画ではあまり触れていなかったので、ある意味助かったかも。

女性監督ならではの視点か?男性陣が老ローレンス以外、どうも印象が薄い。
特に父親の存在感が薄かったのと、ローリーを演じたティモシー・シャラメが小顔過ぎて、弱かった。うーん、ティモシー、「ビューティフル・ボーイ」しか見てない。NHKの朝ドラ「てるてる家族」にも「ローリー(浪利)」がいたけれど、ここから採ってたのか!笑

女優陣は4姉妹、それぞれにふさわしい役者さんだった。
主人公のジョーを演じたシアーシャ・ローナン。「つぐない」のヒロインの少女時代だったことを知って興味がわいたのに、「追想」でちょっとがっかりだった。でも、今作はぐいぐいと引き付けられる、生き生きした表情が見られて良かった。同じ監督作品の「レディ・バード」を観てなかったので気になる!
長女のメグ役、エマ・ワトソンも良かった。母になってから、ドレス生地を勧められてつい買ってしまう、夫のコートが買えない!双子の育児!なんか、身につまされる話だったが、メグは夫と子どもたちのためにきちんと生きていく。
エミリー、小説では憎たらしさ満載だったが、フローレンス・ピューの低音の声も相まって、末っ子には思えない、しっかりとした強さが印象に残る。洗濯ばさみで鼻をつまむシーンは欲しかったなあ。
ベス役のエリザ・スカンレン。初めて見る女優さん。地味な存在だが、母の留守にも奉仕を忘れない優しさにあふれている。少女時代の読書の中では好きな女の子だったっけ。続編で亡くなったことは悲しかったが、巣立っていった姉妹がまた一つに戻るきっかけを作っていたのか。

「ジョーは私に似ている!」という母、マーチ夫人。あら、読書の中では気付かなかったわ。質素な暮らしをしていても、娘たちに社会奉仕をさせるのはもちろん牧師の家族であり、宗教的基盤の大きさは言うまでもないが、随所にポジティブな姿が見られて、新鮮だった。「今は愛されたい!」というジョーに、『それは愛ではない』と諭す母。母の視点から読み直したい。
印象が変わったのはマーチ伯母も。演じたストリープのおかげなのと、わたし自身がその年齢に重なるからか!う~ん、致し方ない!

同時代、昨年観た「メアリーの総て」でも描かれていたがメアリー・シェリーは自分の名前で著作「フランケンシュタイン」を発表できなかった。オルコットが著作権も確保して出版できるようになったさきがけでもあるのだろう。そこに至る経緯では「結末は結婚にならないと読者が納得しない」とか、編集長はいろいろ介入してくる。いつの時代も同じかな。
印刷所、製本の様子、装丁の美しさ。本作りの過程を見られたのも興味深い。

時代を超えて読み継がれる物語の映画化にはそれなりの勇気がいることと思う。
時代背景の制約を踏まえ、そこに従いつつ、あるいは乗り越えてエネルギッシュに生きていく若い女性たちの姿は、現代の若い女性たちへの大きなエールでもある。いえ、年齢に関係なく、今を生きるのに、十分に勇気を与えてくれる作品だったことは間違いない!
(アロママ)

原題:Little Women
監督、脚本:グレタ・ガーウィグ
撮影:ヨリック・ル・ソー
出演:シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ローラ・ダーン、ティモシー・シャラメ、メリル・ストリープ他




「スティーブ・マーティンの四つ数えろ」(1982年アメリカ映画)

2020年06月17日 | 映画の感想・批評
 冒頭、著名な科学者が自動車事故で亡くなる。私立探偵(スティーブ・マーティン)の事務所に科学者の娘を名乗る美女(レイチェル・ウォード)が訪れ、そのときたまたま探偵が読んでいた当該事故を報じる新聞の一面記事を見て卒倒し倒れる。それをよいことにして、探偵が唇を奪うは胸をもみしだくは・・・おいおいおい・・・。いまならさしずめセクハラの犯罪行為だ。こういう卑猥なギャグは監督のカール・ライナーと共同脚本のマーティンの趣味と見た。ウォードの女優根性も大したものだ。
 娘は事故を装った殺人だと疑い、父が残したという1ドル紙幣の切れ端のメモを示す。調査の依頼を受けた探偵は科学者の事務所を調べ、机の抽斗から1枚の写真(エヴァ・ガードナー)と2枚の名簿を発見する。そこへ、殺し屋(アラン・ラッド)がやって来て探偵を撃ち、名簿を奪って去る。死んだフリをして助かった探偵が娘の自宅に赴き、鬱気味の姉が何か知っているかも知れないと聞いて電話する。姉(バーバラ・スタンウィック)は錯乱状態で父が死んだなんて嘘だと譲らない。そこで、探偵は姉の夫(レイ・ミランド)が寄宿するホテルの一室にある砂糖壺の蓋に1ドル紙幣の片割れが貼り付けてあるらしいという情報をもとにそこを訪れ、夫から酒代と引き換えに紙幣を回収すると、見事に切れ端と一致した。いやあ、これみんな往年のフィルムノワールの名場面をマーティンのカットにつないでいるのだ(順に「拳銃貸します」42年、「私は殺される」48年、「失われた週末」45年)。そういうことから全編モノクロだ。
 探偵が、手がかりを求めて酒場の歌手(エヴァ・ガードナー)に会いに行く。続いて、その愛人だった男(バート・ランカスター)のアパートに赴き、ベッドで眠る男を起こすと、そこへふたり組の殺し屋がやって来て、探偵まで巻き添えを食って撃たれる(いずれも「殺人者」46年)。
 カール・ライナーは「スタンド・バイ・ミー」のロブ・ライナー監督の父である。私などはノーマン・ジュイソンの佳作「アメリカ上陸作戦」でのコミカルな演技が印象的だが、アメリカ本国ではテレビ、映画、舞台、音楽の世界で役者、演出、台本作者、プロデューサー等を器用にこなすマルチタレントとして名高い。演技者としてのカール・ライナーは風采のあがらぬ息子とは違って端整な顔立ちのインテリ風の紳士で、私は昔からファンだった。この映画では謎めいた執事に扮している。
 さて、映画のほうは、ハンフリー・ボガートやジェームス・キャグニー、カーク・ダグラス、ラナ・ターナー、ジョアン・クロフォード、フレッド・マクマレイ等々が次々と現れて、映画ファンには堪らない。エンドマークのあとに登場したスターのカットと引用作品が示されるが、全部で18本だった。このうちで見ている作品、未見だが内容を知っている作品が15だった。「愛憎の曲」(46年)、「暗黒街の復讐」(48年)、「賄賂」(49年)という3つだけは恥ずかしながら知らない。これはフィルムノワールに詳しいKOICHI氏に聞いてみよう。
 ただ、引用作品を知らないと何が面白いのかわからない類いの映画といえばよいか。変な例えで恐縮だが、誰かがAさんという人のモノマネをしたとする。それが実によく似ていたとしよう。Aさんをよく知っている人には爆笑ものだろうが、知らない人には一向に面白くない。そういう映画である。そうした楽屋落ちに加えて、マーティンのかますギャグが総じてバカバカしくて、そういうのが苦手という人にもちょっとしんどいかも知れない。
 邦題は、いうまでもなく我が最愛のスター、ボガートが名探偵フィリップ・マーロウに扮したハワード・ホークスの名作「三つ数えろ」(46年)のもじりであり、マーティンが探偵仲間のマーロウに協力を頼むというのが笑わせる。ニヒルなボギーが出て来るだけで一見の価値があった。(健)

原題:Dead Men Don't Wear Plaid
監督:カール・ライナー
脚本:カール・ライナー、ジョージ・ガイプ、スティーブ・マーティン
撮影:マイケル・チャップマン
出演:スティーブ・マーティン、レイチェル・ウォード、カール・ライナー、ケーリー・グラント、ベティ・デイヴィス、イングリッド・バーグマン

「偉大なるマッキンディ」  (1940年 アメリカ映画)

2020年06月10日 | 映画の感想・批評
 ホームレスのマッキンディはある選挙違反行為に関わったことで、政界の黒幕でボスと呼ばれている男の知遇を得る。マッキンディはボスの前でも物怖じせず、傍若無人な態度を取るので周囲の者はハラハラするが、逆にボスはそんなマッキンディに好感を抱く。二人は無邪気な子供みたいに、気に入らないことがあると取っ組み合いの喧嘩を始める。会えば喧嘩ばかりしているが、本当は仲のよい二人の男の関係がドタバタ喜劇調に描かれている。
 マッキンディはボスの力を背景に市会議員になり、持ち前の度胸と腕っぷしの強さで名を馳せるようになる。ヤクザがチンピラから幹部にのし上がっていくように、ホームレスだったマッキンディが出世街道を突き進んでいくのが愉快だ。ボスはマッキンディを次の市長にしようと画策する。女性票を得るために結婚しろと言われたマッキンディは、秘書のキャサリンと偽装結婚し、見事市長選に当選する。キャサリンは市長の妻としての仕事はするが、マッキンディとは本当の夫婦ではない。夫の帰りが遅いときは、寂しくて男友達のジョージと食事に行く。そのことを知ったマッキンディはジョージに嫉妬し、初めて自分がキャサリンを愛していることに気づく。
 キャサリンは市長である夫に賄賂や不正議員を一掃し、児童労働や貧困、住宅問題に力を注ぐように懇願するが、マッキンディは自分が市長になれたのは裏で甘い汁を吸う奴らのおかげだと言う。州知事になったマッキンディは妻の助言を聞き入れて、無駄な公共投資を止めて児童労働の問題等に取り組むとボスに宣言する。だが本心ではやり抜く自信がなく、妻と必ずしも意見が一致しているわけでもなかった。もしここで「コンクリートから人へ」の政治改革を断行すれば、さぞや感動的な映画になったであろう。しかしマッキンディには低所得者問題に対する見識も改革の情熱もなかった・・・ほどなくマッキンディは市長時代の不正行為により逮捕される。刑務所を脱獄したマッキンディは高飛びする前に妻に最後の電話をする。自分と離婚してジョージと結婚するように告げ、「ブタはしょせんブタのままだ」(英語のことわざ「豚の耳から絹の財布は作れない」)と言って改革の願いを叶えてやれなかったことを詫びる。コメディにしては珍しい、悲しい別れである。
 1930年代に脚本家として名を成していたプレストン・スタージェスは、自ら脚本を手掛けた政治風刺コメディ「偉大なるマッキンディ」(40)で監督としてデビューする。脚本家出身の映画監督の草分けで、後に脚本家から監督になったビリー・ワイルダーはスタージェスの転身に影響を受けたと言われている。30年代にアメリカを代表する映画監督であったフランク・キャプラは、スタージェスがデビューする前年に「スミス都へ行く」(39)を公開している。政界の黒幕の不正を告発する若き政治家が主人公で、最後には汚職まみれのベテラン政治家が改心するという民主主義の理想とヒューマニズムを描いた秀作だ。それに比べるとスタージェスの視点は冷ややかで希望がなく、ペシミスティックでさえある。「サリヴァンの旅」(41)では安直な慈善活動が批判され、「モーガンズ・クリークの奇跡」(44)や「凱旋の英雄」(44)ではおよそ英雄らしからぬ英雄が登場する。「崇高なとき」(44)では主人公は富と名声を求める野心家として描かれている。キャプラの主人公が一点の曇りもなくヒューマニズムを信望しているのと違い、同じヒューマニズムを謳っていても、スタージェスの主人公には挫折があり、迷いと葛藤がある。
 大恐慌の爪痕が生々しかった30年代には、人々はキャプラの熱い理想主義に胸のすく思いがしたに違いない。キャプラに魅了されつつも現実はそれほど単純でもお人好しでもないことを知っている観客は、スタージェスの醒めたまなざしにむしろ安堵感を覚えたのではないか。スタージェスの監督作品はスクリューボール・コメディの時代(1930年代初頭~1940年代)末期に登場したが、その監督人生は第一期・第二期のフィルム・ノワールの時代(1940年代)と重なっている。閉塞感漂うフィルム・ノワールとの奇妙な親和性。コメディと犯罪映画というジャンルの違いはあるが、人生を見つめるまなざしには通底するものがある。(KOICHI)

原題:The Great McGinty
監督:プレストン・スタージェス
脚本:プレストン・スタージェス
撮影:ウィリアム・C・メラ―
出演:ブライアン・ドンレヴィ  エイキム・タミロフ  ミュリエル・アンゲルス
ウィリアム・デマレスト


U・ボート/ディレクターズ・カット版(1997年ドイツ映画)

2020年06月03日 | 映画の感想・批評
 感染予防対策を施しながら映画館での上映が再開された。ただ、以前と同じにはいかないだろう。「新しい生活様式」の模索の始まりと云われているが、不安が尽きない日々が続いている。
 「映画は映画館で!」と思うが、まだ、映画館に行っていないので、今回は、私のお気に入りの1本である1981年に製作された「U・ボート」を、監督自らが1997年に1時間以上も追加して再編集した「U・ボート/ディレクターズ・カット版」を取り上げる。参考情報で、1981製作版は、アカデミー賞6部門(監督、撮影、視覚・音響効果、編集、音響、脚色)にノミネートされた。
 物語は、第二次世界大戦下のドイツ軍潜水艦Uボートの艦長と、そのUボートに記者として同乗した若者の視点で、戦場の最前線という極限状態を舞台に、人間が描かれる。出港前日から始まり、いくつかの戦いで沈没寸前になるも、艦員の生命力で奇跡的に復活し、命からがら帰港する。3時間20分の長編だが、閉鎖された空間で敵の駆逐艦からの爆雷の衝撃に耐える迫力の映像と、士気を駆り立てる高揚感ある音楽が全編を通して流れ、あっという間に時間は過ぎる。
 私が気に入っている点は、戦争を舞台にしながらも、反戦メッセージが色濃く込められている点である。勝利を収めた戦いでも、勝者側だけの視点ではない点や、艦長が、上層部(いわゆる本部)には冷ややかで批判的な言葉を艦員に漏らすところや、爆撃が成功した場面でも、艦員らの複雑な表情、人によっては狂気染みた表情が強く印象に残っている。
 更に、衝撃的で本作のポイントとなるのは、ラストシーンである。こんなラストあるのか?と呆気に取られたのを今でも覚えている。ネタバレになるので内容は書かないが、今までの戦闘シーンはこのラストシーンの序章に過ぎないのではないか。この映画を、映画に登場する人物を、そして、「人間」=「人生」を物語っている。
 DVDには特典としてミニメイキングも付いているようです。ガツン!とくる映画を観たい時には、是非、お薦めです。
(kenya)

原題:Das Boot
監督・脚本:ウォルフガング・ペーターゼン
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
出演:ユルゲン・プロフノウ、ヘルベルト・グリューネマイヤー、クラウス・ヴェンネマン他