シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「長いお別れ」 (2019年 日本映画)

2019年06月26日 | 映画の感想・批評


 ついに我が国の高齢化率が30パーセントに近づいてきた。出生率が上がらない限り、今後も上昇の一途をたどり、将来は40パーセント近くでやっと落ち着くとか。何と1人の高齢者を1.3人で支えていかなければならないらしい。かくいう私も、あと1ヶ月足らずで高齢者の仲間入りとなる。何とか周囲に迷惑をかけることなく、穏やかに過ごしていければと思っているのだが・・・。
 本作品は70歳を迎えて認知症と診断され、ゆっくりと記憶を失っていく父との、最後の別れまでの7年間を描いた家族の物語。原作は「小さいおうち」で直木賞を受賞した中島京子の同名小説。実際に認知症になった父と暮らした実体験を元にした内容だというが、その原作に惚れ込み、今までこだわって手がけてきたオリジナル脚本を超えて、初めて小説の映画化にチャレンジしたのが、「湯を沸かすほどの熱い愛」で注目を浴びた中野量太監督。原作にあるユーモアや"おかしみ”を大切にし、認知症と関わることにより自分自身を見つめ直し、前に進んでいく家族を温かいまなざしで描いている。
 キャスティングも見事だ。カフェを開く夢も恋愛もうまくいかず、父の期待に応えられていないのではと悩む次女・芙美に、"魔性の女”を返上し、ただ今幸せいっぱいの蒼井優。海洋生物学者の夫の転勤で息子とアメリカに住み、慣れない生活に戸惑う長女・麻里に竹内結子。この対照的な姉妹と夫を献身的に支えてきた母・曜子に松原智恵子。いつまでも少女のように振る舞う姿は愛おしいばかりだ。そして元中学校校長で、認知症を患うことになる父・昇平に山崎努。二年ごとに症状が進んでいく様子を見事に演じ、いかにも元校長と思わせる所作が何とも切なくおかしい。しかし、ゆっくり記憶を失いながらも、娘や孫たちを思いやり、生きるヒントを伝えていくところは、父の父たる所以とも思える。
 確かに人生というものには、辛いことも往々にしてありだ。そんなときは「くりまらないで」「ゆーっと」生きていくことにしよう。右手を挙げて「やあ!」「こんにちは!」と、いろんな人と関わりを持ちながら。
(HIRO)

監督:中野量太
原作:中島京子
脚本:中野量太、大野敏哉
撮影:月永雄太
出演:蒼井優、竹内結子、山崎努、松原智恵子、北村有起哉、中村倫也、杉田雷麟、蒲田優惟人

小さな恋のうた(2019年、日本映画)

2019年06月19日 | 映画の感想・批評
楽曲にインスパイアされた作品が近年多くみられる。20年ほど前の「涙そうそう」は観たものの、最近の作品はことごとくパスしてきた。
沖縄を拠点に活動してきた「MONGOL800」通称モンパチの存在すら十分には知らない私。10年ほど前のPTAコーラスで「あなたに」を知り、モンパチと呼ばれるバンドという事もうっすら聞いただけ。たくさんの楽曲のなかでも「小さな恋のうた」は特に人気が高いらしい。
でもねえ、高校生のバンド物だし・・・・・という心の声と葛藤しながら、「羊と鋼の森」の無言の演技で魅せた森永悠希に興味がわいて見ることにした。

思わぬ拾い物!


沖縄に住む4人の高校生バンド、東京のディレクターに見いだされて喜びにあふれていた日、メンバーのうち二人がひきにげ事故に遭い、ギター担当の少年が亡くなる。あれ、どっちの少年が?
と、しばらく混乱する場面も。
米軍兵によるひき逃げなのか、犯人はなかなか捕まらない。
少年慎司の父親は米軍基地で働くだけに、怒りの矛先をどこに向けるべきなのか、仕事も手につかない。慎司の妹・舞が兄の部屋に残された新曲のデモ音源を見つける。それは亡き兄が自宅の目の前の米軍基地に住む少女リサとフェンス越しに一つのイヤホンで曲を聞きながら、国境を越えた小さな恋を育んで、作った楽曲だった。
「この曲をバンドで演奏して欲しい!」
ベース担当は他のバンドに引き抜かれ、一緒に事故に遭った亮太は「自分がハッピーでない状態で人を幸せにする歌なんか歌えない、音楽に嘘をつきたくない」とバンドに戻ろうとしない。ドラムの航太郎の説得にも応じない。
米軍基地反対の住民運動がはげしくなる中、基地の中の米兵家族の悩みも重く、リサの帰国が迫る。リサが慎二のライブを見に行く約束をしていたことを知った亮太が、「亡き親友の願いをかなえるには自分が歌うしかない!」ようやくバンドに復帰し、そこへ舞も兄のギターを抱えてバンドに参加し、新たに3人で学園祭を目指して練習を始める。
学園祭当日、学校の出演許可を得られなかったが、元メンバーの大輝が屋上に用意してくれた特設ステージに立って、校内に彼らの歌を響き渡らせることが出来た。しかし、学園祭のライブを見に行くと約束していたリサは基地の厳しい監視をくぐりぬけようとするが、基地反対派住民の抗議デモを前に、外出はかなわず、彼らの演奏を聴くことはできなかった。
いよいよリサの帰国が迫る中、3人はフェンス越しにリサのためだけにライブをする。その歌が「SAYONARA DOLL」
国境を越えた若者たちの愛の詩には静かに涙がこぼれた。

本土にいる人間にとって、沖縄の問題は遠い他人事で済ませてはいけない。
沖縄に暮らす人にとって、米軍基地は仕事の場であり、お金をもたらすものであったりと、個々の生活にとっては一面的には語れないが、やり場のない怒りが渦巻いている。
基地の中にも、家族があり、抗議活動を前に、それぞれの思いが交錯する。
息子を殺した犯人もわからず苛立つ父は、息子が愛用したギターを思わず投げつけてしまう。子を奪われた親の気持ちも痛々しいが、憎しみだけでは何も生まれないことを感じた若者たちの前に向けて動き出す力に、やがて大人たちも励まされる。音楽の持つ力の素晴らしさも感じる。バンドが上手いか下手か、よくわからないなりに、若者たちの熱唱には胸が熱くなる。

単なる青春物に終わらない、音楽の持つ力と沖縄の現状を多面的に考えさせてくれる作品だった。こういう作品がどうして上映館が少ないのだか、残念だわ。

(アロママ)

監督:橋本光二郎
脚本:平田研也
撮影:高木風太
出演:佐野勇斗、森永悠希、山田杏奈、眞栄田郷敦、鈴木仁、世良公則ほか

「町田くんの世界」(2019年日本映画)

2019年06月12日 | 映画の感想、批評
 冒頭のタイトルから、いい映画というものはその予感を抱かせる。まさにこの映画はそういう映画だ。
 世界は悪意に満ちている、と大衆週刊誌の記者はつづる。かれが偶然バスの中で遭遇したのが、老人や妊婦がいればやさしく声をかけて席を譲る高校生町田くんの姿だ。
 町田くんは5人きょうだいの長男で、父は海外に長期出張しているらしく、留守を守る母親のお腹には6番目の子どもが宿っている。地元の高校に通う町田くんは誰に対しても分け隔てなく誠実に接し、他人のためなら何ひとつ厭わず救いの手を差し伸べる。だから、神さまみたいな存在なのでキリストとあだ名されている。かれがこうなのは両親の育て方にあるのだろう。久しぶりに帰国した父親が町田くんを思いっきり抱きしめる愛情の表し方でそれがわかる。
 美術の授業中に彫刻刀で手を負傷した町田くんは保健室でクラスの女の子と出くわす。かの女は人間不信で人と交わらず世の中に背を向けて、学校では保健室を逃避場所にしているのだ。町田くんの善意がこの女の子の心を開かせたばかりか、周囲の連中を巻き込み、やがて善意の輪が拡がっていくさまが寓話的に描かれる。
 そのサイドストーリーがくだんの記者のエピソードだ。かれは有名女優の不倫をスクープして名を挙げようと日夜励んでいるのだが、ジャーナリストとして本当にこれがやるべきことかと内心葛藤がある。そのかれがバスの中の町田くんを見て正義心、良心を取り戻して再生するのである。
 町田くんは自分より他人が大切で、何事も手を抜かず一所懸命だ。同級生から見ると、ダサイのひとことにつきる。平成という時代は一所懸命さや誠実さや地道にコツコツがバカ正直と映り、適当に涼しい顔をしてものごとをこなすのがカッコイイとする風潮だったと、この映画は言っているように見える。
 一所懸命に生きよ。想像力を働かせて他人に共感せよ。わからないことから逃げるな。この映画が発するメッセージに、私は思わず「そうだ、そうだ」とうなづいた。
 そうして、町田くんは初めて特定の人を恋しく思い、かの女のためなら命をかけてもいいと思う男の子に成長するのだ。
 狂言回しとして登場する前田敦子と池松壮亮がいい味を出していた。(健)

監督:石井裕也
原作:安藤ゆき
脚本:片岡翔、石井裕也
撮影:柳田裕男
出演:細田佳央太、関水渚、岩田剛典、高畑充希、前田敦子、池松壮亮

「魂のゆくえ」  (2017年 アメリカ映画)

2019年06月05日 | 映画の感想・批評


 ニューヨーク州北部の小さな教会(ファースト・リフォームド)で牧師をしているトラー。信者の数は少なく、礼拝に参加する人の数もまばらである。入隊を勧めたためにイラク戦争で息子を亡くし、トラーは重い自責の念と深い失望の中にいた。ある日、信者であるメアリーが夫マイケルのことで相談にやってきた。マイケルは極端な環境保護論者で、環境汚染の進むこの世界で子供を育てたくないと妻に中絶を勧めてくる。トラーはマイケルに「この世界に子供を産み落とす絶望より、子供を奪われる絶望の方が大きい」と自らの苦しみを語るが、苦悩する心には届かなかった。マイケルはショットガンで自ら命を絶ってしまう。信者を救うことができなかったトラーは失意のどん底に落ちていく。
 上部の教会が環境汚染の元凶である企業から多額の寄付を受けていることを知り、トラーは愕然とする。さらに医師から癌であることを告知され、身体的にも精神的にも追い詰められていく。マイケルが自爆テロの準備をしていたことを知ったトラーは、マイケルの代わりに自分が爆破テロを起こそうと計画する。自爆用のジャケットで身を固め、イエスの受難劇のように体に有刺鉄線を巻きつけ、破滅へと疾走していくのだが・・・
 監督は『タクシードライバー』の脚本や『Mishima』の監督で著名なポ―ル・シュレイダー。『魂のゆくえ』にはロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』とイングマール・ベルイマンの『冬の光』の影響が色濃く見える。主人公の職業や背景、エピソードに類似した箇所がいくつもあるが、主人公の選択する行動はそれぞれ大きく異なる。『田舎司祭の日記』の若い司祭は神学校を卒業したばかりで経験も人望もなく、信者から疎まれさえしているのに、息子を亡くして悲嘆に暮れている女性の魂を救うという奇跡を起こす。それに対してトラーや『冬の光』の主人公は従軍牧師の経験があり、聖職者としての経歴も長いのに信者の自殺を止めることができない。何故か?
 『田舎司祭の日記』の若い司祭は未熟だが、揺るぎない信仰を持っている。どれほど困難があろうとも神への信頼は変わらない。トラーは一見敬虔な聖職者に見えるが、どこか信仰に疑念を抱いているように見える。マイケルに語る言葉はおよそキリスト教の牧師らしくないし、神に救いを求めようとする姿勢も見られない。環境汚染企業の問題がトラーをテロリストへと変質させたわけでなく、あくまでもきっかけに過ぎないのではないか。トラーの信仰にはそもそも揺らぎがあり、揺らぎがあれば病める魂を救うことはできない。
 『冬の光』では絶望した牧師が神の存在に疑問を投げかけるが、『魂のゆくえ』では狂気へと迷走する。トラーの理性は崩壊していき、観客はスリラーかサスペンスを見ているような緊張感で満たされていく。いつのまにか宗教映画がパニック映画へと変容しているのだ・・・ところが物語は意外な結末を迎える。愛が絶望を救うという帰結は信仰の映画ならけして的外れではないが、黙示録的なラストを観客に予想させてしまったサスペンス映画では、いささか期待外れと言わざるを得ない。(KOICHI)

原題:First Reformed
監督:ポール・シュレイダー
脚本:ポール・シュレイダー
撮影:アレクサンダー・ダイナン
出演:イーサン・ホーク  アマンダ・セイフライド  セドリック・ジ・エンターティナー