シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「正欲」(2023年 日本映画)

2023年11月29日 | 映画の感想・批評
 原作は第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの長編小説。既に50万部を超えるベストセラーとなっている。原作本の解説には「解説を引き受けて、ほとほと後悔していた。一読して、すぐにわかった。この物語は手に余る」とあるが、説明しがたい、理解されにくい事象を扱っているからに他ならない。
 主な登場人物は5人。小学生の一人息子が不登校になり、教育方針を巡って妻と衝突がたえない検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)。ショッピングモールで販売員として働き、自ら世間との断絶を望む桐生夏月(新垣結衣)。夏月の同級生の佐々木佳道(磯村勇斗)。誰にも心を開かずに日々を過ごす大学生の諸橋大也(佐藤寛太)。大学の学園祭実行委員として大也を知り、自分の気持ちに戸惑いながらも心に従おうとする神戸八重子(東野絢香)。無関係にみえた5人の人生が、少しずつ少しずつ近付き交差していく。
 夏月と佳道は中学時代に校舎裏で水道の蛇口を壊し一緒に水を浴びたことから共に同じ性的指向(水に性的興奮を覚える)を持つことに気づく。大人になり再会した二人は、結婚という形でこの世界に生き続けようと決意する。「この世界で生きていくために手を組みませんか」との佳道のプロポーズの言葉は切実で美しい響きをもつ。昨年放送されたドラマ「恋せぬふたり」でもアロマンティック・アセクシュアル(他者に恋愛的にも性的にも惹かれない)の二人(高橋一生・岸井ゆきの)が、契約結婚で生活を守るというストーリーが記憶に新しい。
 新垣結衣の目が印象的。世界に向けシャッターを下ろしたような暗い目。今まで見たことのない彼女の目に思わず見入ってしまう。水からの連想で、今年6月公開の「渇水」を思い返す。磯村勇斗が水道料金を滞納する家庭の水道を止める職員を演じている。主演作も含め出演作品が立て続けに公開されている。役の幅が広く、どの役柄も説得力がある。インタビュー番組では少年のように目を輝かせ、今の仕事の充実感を語っていた。
 「一人で大丈夫と思えるのは一人じゃないとわかった時」とは最近のあるドラマのセリフだが、この言葉は夏月と佳道にも当てはまる。共に暮らし始めた二人には変化が生じる。生きていたいと思えるのは、誰かとつながっていると実感出来るからに他ならない。
 夏月と佳道が更なるつながりを求めて行動を起こしたことが、大也を巻き込み事件として裁かれることになる。性的指向を水にしたことは原作通りである。水が噴出する様子は映像との相性もいい。子どもと水遊びをすることが小児性愛者と疑われる事件へと発展していく流れも自然である。
 事件を担当した啓喜は事務官から、過去に報じられたある水に関する事件との関連性を示唆されるが、一笑に付して取り合わない。夏月と対面し佳道への伝言は預かれないが参考までにと言うと「普通のことです。いなくならないからと」そう答えて夏月は静かに部屋を出て行く。普通という枠の中で生きてきた啓喜には、おそらく理解しがたいこの言葉。だが妻と離婚調停中で、正しいはずの人生が揺らいでいる今となってはぐさりと応える一言ではある。
 この作品は多様性についての意味を問いかけているが、最後には反転して「普通って何だろう」との問いを突きつけてくる。
 ラストシーンの稲垣吾郎の何とも言えない顔が忘れられない。(春雷)

監督:岸善幸
脚本:港岳彦
原作:朝井リョウ
撮影:夏海光造
出演:稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、山田真歩、宇野祥平、渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮、坂東希、山本浩司

「ゴジラ ー1.0」(2023年 日本映画)

2023年11月22日 | 映画の感想・批評


 自分が生まれた年、1954年に初めてスクリーンに登場して以来、日本のみならず、世界中を魅了し、衝撃を与えてきた怪獣「ゴジラ」。来年はその生誕70周年に当たり、日本で製作された実写版ゴジラの30作目ともなる記念すべき本作、-1(マイナス ワン)というタイトルが付けられたのには、何か訳がありそうなのだが、果たしてそれは・・・。
 前作「シン・ゴジラ」は現代の日本が舞台だったが、今回は第二次世界大戦末期の1945年、大戸島の守備隊基地から始まる。ここに一機の零戦が着陸したのだが、何も故障箇所が見当たらない。何か訳ありだと思っているうち、その夜には全高15メートルくらいの恐竜のような生物が基地を襲撃する。島の伝説で語り継がれる「呉爾羅」だという。いきなりの登場に面食らっていると、この怪獣、やたら強い。零戦に整備された20ミリ砲を使って反撃しようとしたのだが、結局撃てずじまいで島の整備兵達のほとんどが犠牲になってしまう。
 終戦を迎えた同じ年の冬、焼け野原となった東京へ帰ってきたのはあの零戦を操縦していた敷島少尉だ。両親が空襲で亡くなったことを知らされ、天涯孤独の身となったのだが、ひょんなことから闇市で知り合った典子と、典子が連れていた赤ん坊の明子と3人で共同生活を始めることになる。生活のため、戦時中に米軍が残した機雷を撤去する仕事に就いた敷島だったが、大戸島での悪夢は決して忘れることができず、生き残ったことに負い目を感じていた。
 1946年、米軍による核実験「クロスロード作戦」がビキニ環礁で行われ、近くにいた呉爾羅も被爆。体表の奥深くまで紛れ込んだ放射性物質により、体は巨大化し、ますます凶暴に。戦争で何もかも失いゼロになってしまった日本に、さらに追い打ちをかけるように襲いかかる。まだ国としての軍隊を持てずにいた日本、果たして戦争を生き抜いた名もなき市井の人々は、どう立ち向かってけばいいのだろうか?!
 敷島を演じるのは神木隆之介。そしていっしょに暮らす典子には浜辺美波と、NHK連続テレビ小説「らんまん」での夫婦役が好評だった二人が、今作でも息の合った共演ぶり。そしてなぜか二人とも昭和の雰囲気が似合う。特に神木は牧野博士とはまた違った、軍人らしいキリッと引き締まった姿が印象的だ。
 「ALWAYS  続・三丁目の夕日」で、冒頭にゴジラを登場させた山崎貴が監督・脚本・VFXを務めた。山崎監督のゴジラ愛は有名で、今作の前には西武園ゆうえんちで稼働中の映像アトラクション「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」も手がけ、理想的なゴジラのデザインがすでにできあがっていたそうで、満を持しての登場と言っていいだろう。
 そして何と言っても今作の主役は「ゴジラ」だ。その迫力はハリウッドで作られた大作もかすんでしまうほど。さすがCGによる高度なビジュアルを駆使した映像表現・VFXの第一人者である山崎監督が創り出しただけあって、映画を観て“恐怖”を感じたのは久しぶり。特に背びれが次々に伸びていって、それが一気に引っ込んでから熱線を吐くところでは、体の芯を貫かれたような感覚を覚えた。ゴジラは核の申し子だというイメージが強く表れているのも今作の特徴で、第1作へ続くオマージュ的な要素も感じられた。
 爆風で吹き飛ばされてしまった典子のその後や、ゴジラの最期を見送る敬礼など、突っ込みどころも多いのだが、あの主題曲と一緒に現れるラストの震える衝撃映像で観る者は納得。なるほど、-1(マイナス ワン)とはそういうこと・・・?!
 (HIRO)

監督:山崎貴
脚本:山崎貴
撮影:柴崎幸三
出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介、

「アナログ」(2023年 日本映画)

2023年11月15日 | 映画の感想・批評
主人公の水島悟(二宮和也)は評判の良い建築デザイナーで、建物や部屋のイメージをデジタルでなく、手作りの模型や手描きのイラストで依頼主に応える丁寧な仕事をしている。彼がインテリアを手掛けた喫茶店ピアノで偶然に出会った女性(波瑠)は、店内の装飾品のお気に入りをいくつか彼に語る。悟は嬉しくなって、代わりに彼女の持つハンドバックを褒めると、「母の形見です。大切に使っています」
悟は女性に心を惹かれ、再会を期待して名前と連絡先を尋ねるが、「美春みゆき」と名乗る彼女は携帯を持っていないという。「では、毎週木曜日に、この喫茶店ピアノで会いましょう」
悟は私生活もとても丁寧に暮らしている。朝ご飯を炊き、焼き魚と納豆ともろもろ。私も作ってほしくなるくらい、美味しそうな食生活。時々、入院中の母(高橋惠子)を見舞う。40過ぎの息子の微妙な変化を母は見逃さない。「いい人ができたのね」
幼なじみの友人二人(桐谷健太、浜野謙太)とは居酒屋で屈託のないだぼら話で盛り上がる。
このシーンはかなりアドリブだったらしく、いかにも幼なじみのやり取りが楽しい。
みゆきと喫茶店ピアノで出会った後、居酒屋にみゆきを連れていくと、この二人も居合わせて、普段は物静かなイメージのみゆきも大いに盛り上がる。タクシーに乗せて見送る瞬間、二人はぐっと近しくなるのだが、とても40前後の男女に思えないくらい、ピュアで初々しく描かれている。
毎週必ず会えるわけでもなく、「その時は仕方がなかったのね」と、穏やかに次の週を心待ちにしている。
ある日、悟がクラシックコンサートのチケットをもらい、みゆきと出かけるが、演奏の途中でみゆきが突然に泣きながら退席してしまう。みゆきの激情をはかりかね、悟は深追いできない。
次に会うと、「海に行きたい」
糸電話でかわす言葉、大事なことを悟が言おうとしたが波の音がかき消していく。

大阪で仕事をするようになった悟は容体が急変した母を見送り、通夜の席では幼なじみたちが母の思い出を語ってくれる。その日は木曜日。
なかなか出会えないし、連絡先も知らないが、みゆきとの結婚を決意し、指輪も用意した。今日こそと思ったその週から、みゆきは現れない。

約1年後?
みゆきの経歴が思わぬ形で判明!さらに・・・・・・
大阪の悟の仕事場まで、幼なじみ二人が報告に来てくれる。実は悟が母を見送った日、喫茶店で待っていたみゆきに、そのことを伝えに行ってくれていた。なんとも温かい友情。
そこからのお話しはまさしく純愛物語。

「ラーゲリより愛をこめて」の二宮も良かったが、今作品ではとても自然で穏やかでやさしい演技だった。波瑠も謎めいた、そして気品のある女性がとても似合っている。
賑やかしの幼なじみ二人とのやり取りもとても楽しくて、やんちゃ坊がこの時だけは時間を超えていられるという雰囲気が出ていた。
久しぶりに、こてこてのラブストーリー。もはやラブストーリー物はこっぱずかしくて、観ないつもりだったのに、感動してしまった。原作がビートたけしさんであるという事も驚き。こんなピュアなラブストーリーを描いていたとは!原作を読んでみたい。

先週末、東京出張でスマホを落としてしまい、二晩、スマホのない暮らしを体験。もはやアナログ生活には戻り切れないことを痛感。便利なことが幸せなのかどうなのか、ふとこの映画を思いました。
(アロママ)

原作:ビートたけし
監督:タカハタ秀太
脚本:港岳彦
撮影:板倉陽子
出演:二宮和也、波瑠、桐谷健太、浜野謙太、高橋惠子、リリー・フランキー、板谷由夏


「ミステリと言う勿れ」(2023年 日本映画)

2023年11月08日 | 映画の感想・批評
 たいていの映画は10分も見ていればおもしろいかつまらないかわかるものですが、この映画は三分の一近くまでいっても一向に興が乗らず、こりゃダメだと諦めかけた途端、俄然おもしろくなるという不思議な作品です。
 私は映画でも小説でも恋愛ものが苦手で、スリラー・サスペンス、ミステリ、犯罪ものを得意とするのですが、かといってこの手の作品は食欲をそそりません。しかし、食わず嫌いというやつで、けっこう楽しめたと白状しておきます。
 原作の漫画も読んでいないし、テレビ化されたドラマも知りません。そういう前提で申し上げると、台詞にも出てくるとおり横溝正史ミステリの傑作「犬神家の一族」のパロディだといえます。私がこどもの頃は名探偵といえばシャーロック・ホームズか明智小五郎だったのですが、いつの間にかエルキュール・ポワロか金田一耕助の時代になりました。江戸川乱歩が明智を創造したのは大正末期。横溝の金田一は戦後の登場です。
 この作品が横溝へのオマージュだということはボサボサ頭の金田一を意識した天然パーマの探偵(菅田将暉)の登場で、ミステリファンならわかることです。
 地方の資産家一族の当主が亡くなり、その孫たち4人が集められます。当主が示した謎かけを解いた者ひとりだけが全財産を相続できるというわけです。蔵が4つあって、それぞれに論語からとられた名前がついているという思わせぶりな出だし。欧米ならさしずめマザーグースの童謡の引用といった趣向でしょうか。過去には遺産相続を巡る争いから謎の死を遂げた者が複数いるという一族の黒い歴史が語られる。これから起こるであろう連続殺人事件を予測させる設定です。
 ところが、見終わってから気づいたことがあります。連続殺人事件の幕開けと見せかけておいて結果的に「過去の殺人があばかれるだけ」という仕掛けがあります。つまり映画が始まってから誰ひとり殺されない。通常のミステリではあまり見かけないスタイルです。 
 演技陣がぜいたくに配されているのも見どころのひとつです。主役級の俳優を部分的に使ったり、エンドロールが終わってから登場させたりとお遊び気分満載です。2006年版の「犬神家の一族」(市川崑)で重要な役を演じた松坂慶子が脇に回っているのも楽しい。
 探偵君が突如ジェンダー論をぶつ場面があります。けっこうピカピカのリベラルな主張であることに大いに共感しました。そうだ、そうだと合いの手を入れたくなったぐらいです。さらに、この探偵坊やがラストで捕まった犯人に対して「犯罪とは、人間の努力が裏側に表れたものにすぎない」というのもニンマリさせられました。クレジットに紹介されていたように私の贔屓の名匠ジョン・ヒューストン監督「アスファルト・ジャングル」の名台詞です。1950年に公開された強盗映画の名作ですが、スターリング・ヘイドンが渋かった。
 最後にひとこというと、犯人は途中で目星がつきました。ミステリを読み慣れている人にはわかるでしょうが、まあそれでも最後まで飽きさせないおもしろさがありました。(健)

監督:松山博昭
脚本:相沢友子
原作:田村由美
撮影:斑目重友
出演:菅田将暉、柴咲コウ、松下洸平、町田啓太、原菜乃華、萩原利久

「大人は判ってくれない」     (1959年 フランス映画)

2023年11月01日 | 映画の感想・批評
 12歳のアントワーヌはパリの狭いアパルトマンで、冷淡な母と稼ぎの少ない継父と一緒に暮らしていた。アントワーヌは母の連れ子で、いつも母に叱られてばかりいるので、表情が硬く笑顔を見せない。ズル休みをして友人のルネと街を歩いているときに、母が見知らぬ若い男とキスをしているのを目撃してしまう。その夜、寝袋の中で両親の夫婦喧嘩を聞いていたアントワーヌは、母が自分を施設に入れたがっていることを知る。ズル休みの理由を「母が死んだから」と答えたアントワーヌは、嘘がばれて父に叩かれ、家出をする。母の迎えで一旦は自宅に戻るが、再び家出をして、継父が勤める会社のタイプライターを盗んでしまった。激怒した継父に警察に突き出され、少年鑑別所送りとなるが・・・

 ゴダールの「勝手にしやがれ」と共に初期ヌーベルヴァーグを代表する作品で、トリュフォーの長編デビュー作でもある。原題のLes Quatre Cents Coupsは「400回の殴打」という意味のフランス語で、親や教師に毎日ボコボコに殴られている少年の状況を表している。少年の置かれた状況は苛酷だが、映画は軽快に始まる。エッフェル塔を様々なアングルから移動撮影する白黒映像がみずみずしく、音楽も繊細で愛らしい。スタジオの人工的なセットで撮影するのが当り前であった時代に、パリの街並みにカメラを持ち出し、スケッチするように日常を描いている。低予算で、スタッフも少なく、照明も使わない。セットで作ったパリではなく、現実のパリをフィルムに写し取ろうとしたのだ。1930年代にフランス映画界を席巻した「詩的リアリズム」というスタイルが、ペシミズムを美化し、仰々しい台詞を使って文学性の高い作品を目指したのとは対照的に、トリュフォーは現実をありのままの姿で切り取ろうとした。
 こうした映画作りが可能となったのはカメラの軽量化と高感度フィルムの開発に依るところが大きい。20年代のドイツ表現主義の深い陰影描写は照明技術の変革が寄与しているし、40年代のフィルムノワールの夜間ロケ撮影は高感度フィルムの開発なくしては成り立たない。監督の独創力と機材の進歩が映画表現の可能性を広げるのだ。

 トリュフォーの自伝的映画と言われているが、現在では考えられないような子供への虐待が家庭、学校、施設で日常的に行われているのに驚かされる。叱られても殴られてもまったく表情を変えないアントワーヌが、少年鑑別所へ向かう護送車の中で初めて涙を流すシーンは切ない。少年鑑別所の女医の質問に対して、
「母は僕を愛していません・・母のおなかに僕が生れたとき、母は結婚していませんでした・・母は僕を堕ろすつもりだったんです」
と、12歳の少年が答える場面は残酷だ。その後に面会に来た母親は、
「おまえを引き取らない・・パパもおまえの将来に関心がない・・勝手になさい」
と、非情な言葉を投げつける。
 最初の家出から帰ってきた時、母親は息子に対する態度を一時的に改めたことがあった。アントワーヌを風呂に入れ、体を拭いてやり、自分のベッドで寝かせた。フランス語の作文だけは頑張れと励ましてくれた。やさしかった。親子三人で映画を見に行った帰り、アントワーヌは本当にうれしそうだった。これで幸せになれると思ったことだろう。両親と和解したかに見えたが、教師に作文の宿題がバルザックの丸写しだと叱責され、停学となり、また夜の街を彷徨することになる。バルザックを丸写ししたのは母の期待に応えたいという気持ちがあったからだろう。熱意は裏目に出てしまった。母の愛情が長続きしなかったところは、トリュフォー自身の現実が反映しているのだろうか。 (KOICHI)

原題: Les Quatre Cents Coups
監督: フランソワ・トリュフォー
脚本: フランソワ・トリュフォー  マルセル・ムーシー
撮影: アンリ・ドカエ
出演: ジャン=ピエール・レオ  パトリック・オーフェー 
アルベール・レミー  クレール・モーリエ