シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「気狂いピエロ」  (1965年 フランス・イタリア)

2021年07月28日 | 映画の感想・批評


 物語はエリ・フォールの「美術史」の朗読から始まる。オープニング・タイトルが消えていくのに合わせて、「美術史」の中のベラスケスについての一節を男が声を出して読み始める。テニスをする若い女性、書籍を物色する男、水辺の風景、風呂場で読書する男と続く映像に音読の声が重なっていく。この映画は至るところに詩・小説・批評・映画の引用があり、絵画・コミック・広告・雑誌の映像がふんだんに盛り込まれている。即興があるかと思えば、映画や文学のパロディ的演出があり、観客に向かって話しかけたり、サミュエル・フラーが本人役で登場したりと意表をつく演出が続く。
 アントワーヌ・デュアメルの主題曲は悲しげだが、アンナ・カリーナが陽気に歌い、あちこちでクラシック・ポップス・歌謡曲が流れる。恋愛映画・犯罪映画・冒険映画・社会派映画・ミュージカル・ロードムービー・・・と様々なジャンルの特徴が盛りだくさんに取り込まれている。衣装、ポスター、看板は60年代に流行したポップアート調の鮮やかな色彩で描かれ、顔に青のペンキを塗った主人公が、黄と赤のダイナマイトを顔に巻きつけるシーンでは赤・青・黄の三原色が象徴的に使われている。
 ルイ・アラゴンという詩人がこの作品をコラージュ(糊付け)と称したことがある。コラージュとは美術用語で、ばらばらの素材(新聞の切り抜き、釘、ガラス片・・・)を画面に散りばめた貼り絵の技法を意味するが、有り余るほどの情報を種々雑多に貼り付けた「気狂いピエロ」はまさに映画版のコラージュだ。
 フェルディナン(J=P・ベルモンド)は窮屈な日常から脱出したいという衝動にかられ、妻と子供を捨てて、5年前につきあっていたマリアンヌ(アンナ・カリーナ)と駆け落ちする。マリアンヌと一夜を共にしたフェルディナンは、翌朝、彼女のベッドに首をハサミで刺された男の死体があるのを発見する。更にマリアンヌは愛人フランクを酒瓶で殴打し、2人はボニー&クライド張りの逃避行を始める。マリアンヌは人を殺す訓練を受けたのではないかと思えるほど、的確に手際よく相手を死に至らしめる。殺人に抵抗がなく、むしろ楽しんでいるとさえ思われるところがあって、この作品の中でも少なくとも5人は殺している。ボニー&クライドを映画化したジョゼフ・H・ルイスの「拳銃魔」(50)でペギー・カミングスが演じた殺人狂の女を連想させる。
 お金がなくなった2人は、窃盗を繰り返して生き延び、無人島のような場所に居を構える。フェルディナンは文学青年で読書に没頭。克明に日記もつけていて、自然に囲まれた孤島の生活に満足している。マリアンヌはそんな生活が退屈で仕方がなく、癇癪を起してフェルディナンを困らせる。マリアンヌは言う。
「5年前にも言ったわね。わかりあえないわ」
このあたりから2人の亀裂は顕著になり、その後の別離、裏切り、殺人、自爆へとつながっていく・・もしかしてマリアンヌは最初から裏切るつもりでフェルディナンに近づいたのか・・・
 マリアンヌがフランクを撲殺するシーンは左右のパンニングを使った長回しで撮影し、それに続く逃亡のシーンでは逆に小刻みなカット割りで緊迫感を演出している。ゴダールは時間を前後させて短いカットをつなげることが得意で、「水の話」(58)でも同じ手法で若者たちのみずみずしい恋愛感情を表現している。「勝手にしやがれ」(60)で使われたジャンプカットも言わば編集の妙であり、ゴダールの編集に対するこだわりと才能を感じさせる。
 引用されている詩や台詞の多くはマリアンヌとフェルディナンが掛け合いで音読している。2人の間の亀裂は徐々に大きくなっていくのに、掛け合いの息だけは何故かぴったり合っている。マリアンヌが「ピエロ」と呼ぶと「僕はフェルディナンだ」と答えるやりとりが何度も出てくるが、まるで掛け合い漫才のような面白さがある。
 ラストシーンは水平線の見える海をゆっくり右へパンニングする映像に、ランボーの「永遠」を朗読する2人の声が重なる。溝口健二の「山椒大夫」へのオマージュとも言われているシーン。

 見つかった/何が?/永遠が/海に溶け込む太陽が

一行目の「見つかった」はフランス語の原文では「再び見つけた」を意味し、一度失った<永遠>を再発見した喜びを表している。楽園から追放された人間が神の国の到来を待つ、キリスト教的歴史観がここには反映している。引用に始まり引用に終わる映画。コラージュとしての本作を象徴するラストシーンだ。
 結局、2人の仲は修復することなく最期を迎えた。5年前にも2人は別れているが、破局の理由は解決されないままであった。もし5年前の関係が今なお続いていたら、マリアンヌが悪の道に手を染めることはなかったかもしれない。ボニー&クライドは警察に射殺されて終わりを迎えるが、マリアンヌとフェルディナンの仲を崩壊させたのは警察でもギャングでもない。無人島の退屈な生活に耐えられなかった女と、女の退屈を埋めてやることができなかった男の生き方の違いである。(KOICHI)

監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
音楽:アントワーヌ・デュアメル
撮影:ラウール・クタール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド     
   アンナ・カリーナ



「逃げた女」(2020年 韓国映画)

2021年07月21日 | 映画の感想・批評


 韓国映画にもこんなに物静かなアートハウス系の作品があるのだ。まるでフランス映画を見ているような感覚に襲われた。ごく平凡な日常空間の、どこにでもいそうな男女のたわいないやりとりを映し出しただけなのに、見終わってから押し寄せてくるこの奥深い感情の渦はいったい・・・。
 デビュー作「豚が井戸に落ちた日」以来、新作を出すたびに高い評価を得ているホン・サンス監督。劇映画24作目となる本作「逃げた女」で、ついに第70回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞するという快挙となった。
 物語はいたってシンプル。夫の出張中にソウルの郊外へと出かけた主人公のガミが、3人の旧友たちを訪ねていく。一人目の先輩ヨンスンは、めがねをかけた面倒見のいい中年女性。最近離婚して新しい家にルームメイトの女性ヨンジと一緒に暮らしている。三人で焼き肉パーティをした後、家の周りに住み着いた野良猫について近所に引っ越してきた男性から苦情を受ける。そのやりとりがなんとも日常的で面白いのだが、なぜこの二人がルームメイトになったのかは謎だ。
 二人目の先輩スヨンはサバサバした性格で気楽な独身生活を謳歌しているピラティスの講師。ガミが5年間の結婚生活で離ればなれになったのは今回が初めてで、愛する人とは何が何でも一緒にいるべきだというガミの夫の言葉が信じられないもよう。そりゃそうだろう、今は上の階に住んでいる建築家に胸をときめかせながらも、行きずりの若い詩人とも関係を持ってしまうスヨンだもの。
 三人目はミニシアターが併設されたカルチャーセンターのカフェで再会したウジン。二人はガミの元恋人で、今はウジンの夫であるチョン先生のことで過去に一悶着あったようだが、今回なんとか和解することができ、オフィスで話し込む。そこで話題になったのが最近のチョン先生のこと。今や度々テレビにも出演する人気作家なのだが、ウジンは夫がインタビューを受けるといつも同じ話をするのが嫌だという。「同じ話の繰り返しに本心なんてあり得ない」と思っているからだ。ここまで、それぞれの近況報告などの何気ない話から、互いの恋愛観や結婚観などへ話題が進んでいくという、似たようなシチュエーションが続いてきたのだが、ここへ来て見る者は俄然想像力がかきたてられることになり、面白くなってくる。ガミも夫のことについて三人の友人たちに同じセリフを"繰り返し”ていたのだ。その夫の姿は一度も画面に登場しない。ウジンとの和解もなんとなく不自然。どんな三角関係だったのだろう。二度も同じ映画を見るガミの胸中には、一体何があるのか。そして、題名にもなっている「逃げた女」とは?!
 主人公のガミを演じるのはホン・サンス監督の公私のパートナーでもあるキム・ミニ。タッグを組むのは本作で7作目。他にもホン・サンス作品ではおなじみの俳優たちが登場し、安定した演技を披露する。ラストに使われた海のシーンは、ホン・サンスの作品「よく知りもしないくせに」と同じだそう。ホン・サンスの不思議な映画のマジックについにやられてしまった!!他の作品も是非見てみたい。
 (HIRO)

英題:The Woman Who Ran
監督:ホン・サンス
脚本:ホン・サンス
撮影:キム・スミン
出演:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョク、イ・ユンミ、クォン・ヘヒョ、シン・ソクホ、ハ・ソングク

「ピーターラビット2/バーナバスの誘惑」(2021年、アメリカ、オーストラリア、イギリス)

2021年07月14日 | 映画の感想・批評
世界的に大人気の童話「ピーターラビット」シリーズ(ベアトリス・ポター作)、2018年公開に続き、2作目の実写版。
続編ははずれが多いけれど、それなりに楽しかったし、ウサギのもふもふ感は本当によく表現されていて、おもわず触りたくなる。動物と人間の動きがとてもスムーズで、本もののウサギたちが走り回っているのかしらと錯覚するくらい。
そして、前作でも思ったこと。マクレガー氏がピーターに飛び蹴りされ、ボコボコにされるシーンを、俳優さんはひたすらグリーンシートの前で脳内補完しながら演じていたのかと思うと、頭が下がる。1作目ほどはひどい目に合わずに済んだことは良かったのだけれど。

冒頭に、うさぎのピーター兄妹と従兄たちを可愛がってくれる大好きなビアが晴れて、マクレガー氏と結婚式を挙げる。そこでの誓いの言葉は「ピーター達の良き親になる」というもの。ピーターはとりあえずは祝福するが、マクレガー氏はピーターにばかり厳しいし、悪さをしていないのに、誤解されてばかり。
ビアの描く童話とイラストが大手出版社に見いだされ、夫妻とピーター一家は列車で都会にお出かけすることになる。
ゼリービーンズを食べ過ぎると危険になることも知っておこう。列車の窓から外を見るには遠くに視線を飛ばすことも覚えておこう。

ピーターは都会でギャングうさぎのバーナバスに出会う。
マクレガー氏に叱られてばかりでふてくされていたピーターは、「人間をからかうのが楽しい!」と浮かれているうちに、バーナバスの窃盗団の仲間にされていく。「みんなのためになる正義の計画」とバーナバスに説得され、ついには妹たちや仲間の動物たちも街に呼び寄せ、とんでもない事件に巻き込んでしまう。

ピーターは本当にワルになってしまったの?

ビアとマクレガー夫妻の助けを借りて、仲間の動物の救出作戦劇は、痛快アクション!
ビア自身が自分のイメージと違っていても「これが売れて、動物たちとの生活が守れるなら」と編集者たちに書かされたスパイアクションそのもの。
無事に仲間の動物たちみんなを救出し、悪党一味のバーナバスから盗品も取り戻し、元のお店に返すことができ、めでたしめでたし。
「これからはちゃんと家族に相談するよ」と、素直に謝るピーター。
ビアもマクレガー氏も、ピーター達をペットとしてではなく、大切な子どもたちとして扱う。人も動物も家族のように思いあう温かさこそが、この作品の良さ。
ピーターの悪ぶる姿に、思春期の子どもを重ねてズキっと思う親世代や、理解されずに拗ねてしまっても、ちゃんと家族に守られている幸せを子どもたちも感じ取ることができそう。自分らしさを大切に、それを認められることで成長できる、大人も子どもも、人も動物も。

しんどい時は笑える作品を見るべきと勧められて観た「地獄の花園」がことごとくすべって、自分らしくない選択をしたことにも怒りがわいてきた先月。
「ピーターのおかげで、気持ちは晴れました」、めでたしめでたし。
(アロママ)

監督:ウィル・グラック
脚本:ウィル・グラック、パトリック・バーリー
原作:ベアトリクス・ポター
撮影:ピーター・メンジース・ジュニア
出演:ローズ・バーン、ドーナル・グリーソン、デビッド・オイェロウォ、マーゴット・ロビー、エリザベス・デビッキ




「仇討」(1964年 日本映画)

2021年07月07日 | 映画の感想・批評
 学生時代にキネマ旬報ベストテンの歴代ベストワンにもっとも多く輝いた監督は誰かを集計してみて、それが小津安二郎でも黒澤明でもなく今井正であることを発見した。こんなことは既にだれかがやっていて、映画通の間ではつとに知られていたようだが。
 しかし、今日の目で見ると、映画的リズムより教条や理知でもって演出された今井作品は色あせて見えることも多い。
 ところが、今回、この映画と「夜の鼓」(1958年、ベストテン6位)、「武士道残酷物語」(63年、同5位)の時代劇3本を見て、改めておもしろいと感心した。同時に見た現代劇「米」(57年、同1位)が霞ヶ浦周辺で暮らす零細農家の過酷な日常を通して、そうした犠牲のうえに日本社会が成り立っているという悲憤に胸を打たれながらも、残念ながら映画としておもしろいかというと疑問符がつく。
 「仇討」の舞台は播州脇坂藩(話の行きがかり上、ネタバレがあるのでご注意を)。士族といっても一様ではない。上は家老、お目付役から下は足軽、中間(ちゅうげん)まで武士の間にも身分の上下があった。あまり身分の高くない江崎家の次男坊、新八が役付の奥野孫太夫に難癖をつけられ、口論の末に相手の逆鱗にふれて果たし合いとなるが、死にもの狂いの新八は相手を倒す。藩の重役たちは穏便に済ませるために新八の兄の重兵樹を言い含めて狂人だということにし、寺預かりとなる。
 だが、こともあろうに孫太夫の仇を討とうと挑んだ弟の主馬までもが返り討ちにされてしまった奥野家では、まだ少年の面影が残る末弟の辰之助を立てて公式な仇討ちを藩に願い出るのである。まことに天晴れな心がけだと、重役たちは果たし合いの会場を設け、見物人が多く集まる公開の場で新八を討ち取らせようと企むのだ。これを察した和尚は新八にすぐに逃げろと忠告するが応じようとしない。とはいえ、辰之助と昵懇だった新八は苦悩する。それで、重兵樹は新八を説得して潔く辰之助に討たれることを承服させる。
 この映画の見どころはこのあとの凄絶な仇討ショーである。小林正樹の「切腹」(62年)も酸鼻をきわめた終幕に圧倒されたが、脚本が同じ橋本忍だから、今井演出もそれにヒントを得たかのようだ。
 結局、新八は騙し討ちのような格好で、助っ人ばかりか、見守る藩士たちを巻き込んで、とうとうなぶり殺しのようによってたかって仕留められるのである。闘い済んで無惨な新八の遺骸を尻目に、会場の後始末をする足軽の頭が吐き捨てるようにいう、「きょうは不愉快なものを見せられてしまった」と。
 藩の重役たちは事なかれ主義だが、いざ表沙汰になると統治能力を問われかねないので藩の内外に不名誉な噂が流れる前に措置しようと画策する。各々の藩士たちは家名に恥じぬ筋を通そうと躍起だし、個人としては武士の面子に拘って破滅することが明らかでもその道を選ぼうとする。こうした封建制度の理不尽に泣いたのは百姓、町人ばかりではなく、支配層においても同じだったいう矛盾をついてみごとだった。キネマ旬報ベストテン9位。(健)
 
監督:今井正
脚本:橋本忍
撮影:中尾騎一郎
出演:中村錦之助、田村高廣、丹波哲郎、進藤英太郎、三島雅夫、田中春男、加藤嘉