ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を東京創元新社(当時)文庫版で読んだのは学生時代ですから、もう半世紀以上むかしのことになります。19世紀当時の小説形態のひとつであった書簡形式の文体でつづられた古典ですが、じわじわと恐怖が盛り上がるおもしろさだったと記憶します。
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)はいわずと知れたドイツ無声映画の傑作であり、巨匠F・W・ムルナウの代表作でもあります。そもそもムルナウが映画化しようとしたのは「吸血鬼ドラキュラ」だったといわれていて、著作権の関係で遺族の許可がもらえず、やむなくオリジナル脚本(ヘンリック・ガレーン)で撮ったという伝説があります。しかし、無断借用だという遺族の訴えによってネガから廃棄を求められ、いったんは幻の映画となりました(後年ネガが発見され復元)。著作権のきれた頃合いを見計らって異能派ヴェルナー・ヘルツォークがリメイクした1979年版が有名ですが、そのほかにも何度もリメイクされているようです。そうして、今回取り上げるのは最新版のリメイクです。
ときは1838年。ところはドイツ。冒頭、美少女が悪霊に取り憑かれる場面が描かれます。かの女エレンは数年後に不動産会社に勤める若者トーマスと結ばれるのですが、かれは新婚早々社長の特命を受けて遙かカルパチア山脈の山深い古城に住むというオルロック伯爵のもとへ向かいます。任務は街中にある古い屋敷を買いたいという伯爵との契約締結です。古城への道すがら出会う人びとはオルロックと聞いて二度と口にするなと耳を塞ぎ、そこへは行かないほうがよいと忠告する。
トーマスを乗せた馬車が山奥の街道を走るうしろを数匹の狼が追う場面は吸血鬼ものの定石ですが、何ともおどろおどろしい。ようやく古城に着くと、かれを待ち受けていた運命は如何に・・・というわけで、ここからがお化け屋敷さながらの展開となります。トーマスは伯爵によってとらわれの身となり、トーマスが留守の間を友人夫妻に預けた妻エレンにも異変が起きる。友人はいっこうに帰還しないトーマスとエレンの精神不安を心配します。
余談ですが、この映画で吸血鬼退治のオカルト学者に扮するウィレム・デフォーはかつてムルナウ版の撮影秘話を題材とした「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」(2000年)において吸血鬼を演じた実在の俳優マックス・シュレックに扮しています。あまりにも鬼気迫る演技が絶賛されたシュレックが実は吸血鬼だったという怪奇譚でした。
さて、オルロック伯がルーマニアの奥地から狼ならぬネズミの大群を引き連れてドイツの市街地に凱旋するごとく現れると同時にペストの大流行がもたらされる。実際、この時代にペストの第三次パンデミックが欧州を席巻した史実があり、これを背景として吸血鬼伝説と疫病を結びつけたのです。ムルナウ版では「吸血鬼と疫病がともにやってきた」と明確にこの点に言及しています。コロナ禍とかぶさる設定がいまの世相を反映しているのです。
一般に広く流布されたハマー・プロ版(テレンス・フィッシャー監督)をご覧になった方は貴族の家柄出身だというクリストファ・リー扮する端正な顔立ちをしたドラキュラのイメージが強いと思います。戦前の吸血鬼役者ベラ・ルゴシもコミカルなロマン・ポランスキー版もいずれも紳士然としていました。これに反して、ムルナウ版は一度見たら目に焼き付いて離れない気味悪さであり、未見のヘルツォーク版もあの怪優クラウス・キンスキーが演じただけあってやはり群を抜くおぞましさであったはずです。そうして、新作におけるノスフェラトゥことオルロック伯のぞっとするような異形は何に例えられようかというぐらい想像を絶する禍々しさです。扮するのはトーマス役の俳優よりひとつ年下のスウェーデンの人気スターだそうで、ほとんど原型をとどめないご面相となっています。
ムルナウ版はドイツ表現主義を代表する幻想的でシュールな映像が特徴ですが、新作は通常場面のカラー撮影に対して、恐怖や不安を増幅させる場面では退色させたモノクロームに近い色合いに統一したキャメラ・ワークがみごとです。ゴシックロマンの表紙か挿絵に出て来るような古色蒼然とした絵柄が美しい。
最後に指摘したいことがあります。従来の吸血鬼は喉もとに噛みついて血を吸う。ところが、この映画では犠牲者の胸元をはだけて裸の胸に食らいつくという設定がおもしろい。怪人が美青年のトーマスやその美しい妻エレンを押し倒して心臓部分に食らいつく場面が妙に官能的なのはロバート・エガース監督のただならぬ感性の賜物です。(健)
原題:Nosferatu
監督:ロバート・エガース
原案:ヘンリック・ガレーン
脚本:ロバート・エガース
撮影:ジェアリン・ブラシュケ
出演:ビル・スカルスガルド、ニコラス・ホルト、リリー・ローズ・デップ、ウィレム・デフォー、アーロン・テイラー・ジョンソン
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)はいわずと知れたドイツ無声映画の傑作であり、巨匠F・W・ムルナウの代表作でもあります。そもそもムルナウが映画化しようとしたのは「吸血鬼ドラキュラ」だったといわれていて、著作権の関係で遺族の許可がもらえず、やむなくオリジナル脚本(ヘンリック・ガレーン)で撮ったという伝説があります。しかし、無断借用だという遺族の訴えによってネガから廃棄を求められ、いったんは幻の映画となりました(後年ネガが発見され復元)。著作権のきれた頃合いを見計らって異能派ヴェルナー・ヘルツォークがリメイクした1979年版が有名ですが、そのほかにも何度もリメイクされているようです。そうして、今回取り上げるのは最新版のリメイクです。
ときは1838年。ところはドイツ。冒頭、美少女が悪霊に取り憑かれる場面が描かれます。かの女エレンは数年後に不動産会社に勤める若者トーマスと結ばれるのですが、かれは新婚早々社長の特命を受けて遙かカルパチア山脈の山深い古城に住むというオルロック伯爵のもとへ向かいます。任務は街中にある古い屋敷を買いたいという伯爵との契約締結です。古城への道すがら出会う人びとはオルロックと聞いて二度と口にするなと耳を塞ぎ、そこへは行かないほうがよいと忠告する。
トーマスを乗せた馬車が山奥の街道を走るうしろを数匹の狼が追う場面は吸血鬼ものの定石ですが、何ともおどろおどろしい。ようやく古城に着くと、かれを待ち受けていた運命は如何に・・・というわけで、ここからがお化け屋敷さながらの展開となります。トーマスは伯爵によってとらわれの身となり、トーマスが留守の間を友人夫妻に預けた妻エレンにも異変が起きる。友人はいっこうに帰還しないトーマスとエレンの精神不安を心配します。
余談ですが、この映画で吸血鬼退治のオカルト学者に扮するウィレム・デフォーはかつてムルナウ版の撮影秘話を題材とした「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」(2000年)において吸血鬼を演じた実在の俳優マックス・シュレックに扮しています。あまりにも鬼気迫る演技が絶賛されたシュレックが実は吸血鬼だったという怪奇譚でした。
さて、オルロック伯がルーマニアの奥地から狼ならぬネズミの大群を引き連れてドイツの市街地に凱旋するごとく現れると同時にペストの大流行がもたらされる。実際、この時代にペストの第三次パンデミックが欧州を席巻した史実があり、これを背景として吸血鬼伝説と疫病を結びつけたのです。ムルナウ版では「吸血鬼と疫病がともにやってきた」と明確にこの点に言及しています。コロナ禍とかぶさる設定がいまの世相を反映しているのです。
一般に広く流布されたハマー・プロ版(テレンス・フィッシャー監督)をご覧になった方は貴族の家柄出身だというクリストファ・リー扮する端正な顔立ちをしたドラキュラのイメージが強いと思います。戦前の吸血鬼役者ベラ・ルゴシもコミカルなロマン・ポランスキー版もいずれも紳士然としていました。これに反して、ムルナウ版は一度見たら目に焼き付いて離れない気味悪さであり、未見のヘルツォーク版もあの怪優クラウス・キンスキーが演じただけあってやはり群を抜くおぞましさであったはずです。そうして、新作におけるノスフェラトゥことオルロック伯のぞっとするような異形は何に例えられようかというぐらい想像を絶する禍々しさです。扮するのはトーマス役の俳優よりひとつ年下のスウェーデンの人気スターだそうで、ほとんど原型をとどめないご面相となっています。
ムルナウ版はドイツ表現主義を代表する幻想的でシュールな映像が特徴ですが、新作は通常場面のカラー撮影に対して、恐怖や不安を増幅させる場面では退色させたモノクロームに近い色合いに統一したキャメラ・ワークがみごとです。ゴシックロマンの表紙か挿絵に出て来るような古色蒼然とした絵柄が美しい。
最後に指摘したいことがあります。従来の吸血鬼は喉もとに噛みついて血を吸う。ところが、この映画では犠牲者の胸元をはだけて裸の胸に食らいつくという設定がおもしろい。怪人が美青年のトーマスやその美しい妻エレンを押し倒して心臓部分に食らいつく場面が妙に官能的なのはロバート・エガース監督のただならぬ感性の賜物です。(健)
原題:Nosferatu
監督:ロバート・エガース
原案:ヘンリック・ガレーン
脚本:ロバート・エガース
撮影:ジェアリン・ブラシュケ
出演:ビル・スカルスガルド、ニコラス・ホルト、リリー・ローズ・デップ、ウィレム・デフォー、アーロン・テイラー・ジョンソン