シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ラーゲリより愛を込めて」(2022年 日本映画)

2022年12月28日 | 映画の感想・批評
 

 原作は未読だったので、「ラーゲリ」をWikipediaで検索した。ソビエト連邦における強制収容所を指すことが分かる。そこでおおよその筋はイメージした。が、良い意味で裏切られた。鑑賞後に気付いたが、原題は、「収容所から来た遺書」なので、タイトルの付け方が考えられているなと感じた。
 実話であることに驚いた。1945年終戦時に、無実の罪でシベリアに抑留された山本幡男(二宮和也)は、つらい労働に耐えながら、仲間と共に、帰国を夢みて、皆を励まし続けていた。終戦が8年経ち、やっと、日本との手紙が許され、帰国の希望が見えてきた時に病に侵され、亡くなるのである。仲間からの進言で、亡くなる直前に、「遺書」を遺した。ただ、その遺書は、看守によって、没収されてしまう。だが、その遺書を、日本で帰国を心待ちにする家族に届ける方法があったのである。その方法とは・・・。
 全編、涙無くしては観られない。セリフも印象的。「生きるのをやめないでください」「私は山本です(全員「一等兵」と呼ばれることに対して)」「私は卑怯者」「最後は、道義」等々。人が発する言葉に、その人の人格も込められていると感じられた。日本とシベリアを舞台にしているが、夫婦愛・子供達への想う心が、離れていても通じる、生身の人間はいなくとも、相通じるものを感じられる、印象的なシーンが多かった。特に、ラストの山本幡男を想う妻(北川景子)の表情はとても良かった。遠く離れていても、近くに感じる・一体感を感じるあの恍惚とした表情は一見に値する。
 結婚式に始まり、結婚式でエンドを迎える。全編通しての纏まりも感じた。山本幡男の長男顕一の壮年期を演じる寺尾聰が、孫娘の結婚式のスピーチで「「今日」という日を覚えておく」という結婚式のお祝いスピーチも、父親から愚直に受け継ぐ、暖かく包み込むような大きな人生の流れを感じられて良かった。孫娘の眼差しも良かった。
 原作のタイトルは、「収容所からの遺書」。「収容所」を「ラーゲリ」へ、「遺書」を「愛を込めて」へ変更することで、出演者や演出に沿った作品に昇華された。久し振りの邦題変換ヒットでもあると感じた。
 ただ、良い点ばかりではない。纏まり過ぎ感も否定出来ない。かなりの優等生。その優等生にやられた印象だが、桐谷健太の大きく目を見開く演技は引いてしまう、また、シベリアの極寒さは感じられない、充分な食糧を与えてもらっていない筈だが、空腹感は伝わない、シベリアの巨大な大地が感じられない等。でも、2時間思いっきり涙を流したい方には、お勧めであることには間違いない。
 2022年最後に。戦争が生む悲劇は今なお続いている。少しでも早く、この悲劇が収束する時を願うばかりである。2023年は世界中の人が、平和の年と実感出来る1年になってほしい。
(kenya)

原作:辺見じゅん『収容所から来た遺書』
監督:瀬々敬久
脚本:林民夫
撮影:鍋島淳裕
出演:二宮和也、北川景子、松坂桃李、中島健人、寺尾聰、桐谷健太、安田顕、渡辺真起子、市毛良枝

「夜、鳥たちが啼く」(2022年 日本映画)

2022年12月21日 | 映画の感想・批評
 昨秋公開の「草の響き」に続く、佐藤泰志原作による6度目の映画化作品である。今回は精力的に作品を作り続けている城定秀夫監督と、過去2作品の脚本を手掛けた高田亮の手によるものである。舞台は函館ではなく関東近郊のある町。
 慎一(山田裕貴)は昼間はコピー機のメンテナンスの仕事をしながら小説を書いているが、結婚を前提に同居していた恋人(中村ゆりか)にも去られ、鬱屈した毎日を送っていた。ある日、元の職場の先輩(カトウシンスケ)の別れた妻・裕子(松本まりか)が、小学生の息子アキラ(森優理斗)を連れて引っ越してくる。慎一は住んでいた一軒家を二人に提供し、自身は離れのプレハブに住むという風変わりな半同居生活が始まる。
 ちょっとやんちゃな弟キャラのイメージがある山田裕貴が、新たな役に挑戦している。額を覆うボサボサ髪に銀縁眼鏡、無精髭を蓄え、一見したところ本人とは分からないほどである。原作者の佐藤泰志もこんな風貌だったのかと勝手に想像してしまう。若い頃に文学賞を受賞し小説家としてデビューするもその後は作品を書き上げられず、内に秘めた破壊衝動と葛藤する姿を生々しく表現している。夫に新しい女性ができ離婚に至った裕子も慎一同様に今を生きることに精一杯だった。アキラが寝静まるとふらふらと出掛けて行き見知らぬ男と関係を持つ。松本まりかのフワフワしたシルエットが夜の町に吸いこまれていく様が痛々しい。
 当初は冷蔵庫と風呂だけは共有とし、互いに距離をおき暮らしていたが、やがてアキラの存在によってその距離は少しずつ縮まっていく。三人で海に遊びに行った後、クラゲに刺された慎一の腕の傷跡を皆で心配する場面は象徴的だ。
 過去の記憶とどう付き合って生きていくのかがこの作品の中では問われている。近所の鳥小屋からは、夜毎啼き声が聞こえる。不気味だったり、哀切だったり、聞く者の心情によってそれは様々に聞こえる。傷をなめあう様に互いを求め合った慎一と裕子が出した結論は、時間が経てば変わるかもしれない。二人には鳥が羽根を休めるように一時のとまり木が必要だった。作品は後半に行くにしたがって転調していく。その軽やかさ、ほの明るさが救いであり、作品の魅力となっている。
 終盤、「だるまさんがころんだ」という昔からの遊びが、子ども達を巻きこんで 繰りひろげられる。関西では(と言っても地域により異なるかもしれないが)同じ遊びを「坊さんが屁をこいた」と呼んでいる。(春雷)

監督:城定秀夫
脚本:高田亮
原作:佐藤泰志
撮影:渡邊雅紀
出演:山田裕貴、松本まりか、森優理斗、中村ゆりか、カトウシンスケ、藤田朋子、宇野祥平、吉田浩太、縄田カノン、加治将樹

「土を喰らう十二ヵ月」(2022年 日本映画)

2022年12月14日 | 映画の感想・批評


 東京タワーを横目に見ながら街を出る一台の車。向かうは人里離れた信州の山の中。雪が積もっていてあたりは静まりかえっている。そこの山荘には作家のツトムが住んでおり、締め切りの迫った原稿を担当編集者の真知子がはるばる取りに来たというわけだ。真知子の来訪がよほど嬉しいのだろうか。ツトムはまずお茶を点て、真知子をもてなす。そこに添えられた真っ白に粉の吹いた干し柿が、何と美味しそうなこと。ここまで仕上げるには相当な手間がかかったはず。ガブリと一口でかじりつく真知子を見ながら微笑むツトム。実はまだ原稿はできあがっていないのだが、そんなひとときがツトムにとって楽しみの一つのようだ。二人のこのようないい関係は長く続いているのだろうか。
 作家の水上勉が1978年に女性向け雑誌に連載したエッセイ「土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月」と「土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-」を原案にし、「ナビィの恋」の中江裕司監督が映画化したこの作品は、少年時代に京都の禅寺で修行をし、精進料理の作り方を体験した水上勉が、晩年軽井沢で自ら育てた野菜や山で採ってきた山菜などを使って様々な料理を作ることによって得た、食べることと生きることの大切な関係を静かに語りかけているようだ。
 主人公のツトムを演じるのは沢田研二。かつてのスーパースターもしばらく映画やドラマからは遠ざかっていたが、昨年は「キネマの神様」で志村けんの代役を引き受け、そして1年半もかけてこの作品を撮り続けるという精力的な仕事ぶりだ。年齢と共に備わってきた奥ゆかしさを感じさせながらも、ジュリー!と呼ばれてきたアイドルとしての魅力もまだまだ健在。そこに存在しているだけで十分絵になるのだ。水上勉に似ているかどうかは別として、福井出身で京都にも住んでいたことがある水上を、京都出身の沢田が演じるのはこの上ない選択。時折発せられる関西弁の響きが何とも心地よい。
 真知子を演じるのは松たか子。初老のツトムとの会話を楽しみながら、作ってもらった料理の食べっぷりの、まあいいこと。その姿から一つひとつの料理の美味しさが自然と伝わってくる。そして第二の主人公ともいえるのが、二十四節気と共に語られる食材の数々だ。立春の白菜漬けや小芋の網焼きに始まり、冬至のふろふき大根に至るまで、実際に畑で育てた野菜や山で採れた山菜はまさに生きるために作られたもの。スーパーに並んでいるキレイな野菜と違って土付きなのだが、これがいいのだ。少しくらい土の匂いが残っていてもそれが味わいとなる。たった今、土から採ってきた旬の食材、これこそ生きる糧なのだ。「土を喰らう」とはこのことか。その食材を使っての料理、実際は料理家の土井善晴が担当したというから、見た目も味も格別なのは当然なのだが・・・。
 ある意味生き方の手本ともなっていた義母チエの葬式の日、通夜振る舞いの時も生前お世話になった弔問客に料理を作るツトム。義母も地域の人たちとの繋がりを持っていたのだ。そして自らも死と直面し、真知子とのこれからを真剣に考えることとなる。自分のことを振り返れば、ツトムと同じように田畑で米や野菜を作り、何気なく毎日を過ごしているが、もうすぐ朝起きて「ああ今日も生きている」という実感を得るようになるのだろうか。食べて、生きて、そして誰かと一緒に楽しんで、死ぬまで続くこの繰り返しが大切な日常なのだ。
 (HIRO)

監督:中江裕司
脚本:中江裕司
撮影:松根広隆
出演:沢田研二、松たか子、西田尚美、尾美としのり、檀ふみ、火野正平、瀧川鯉八、奈良岡朋子

「線は、僕を描く」(2022年、日本映画)

2022年12月07日 | 映画の感想・批評


 水墨画がこんなに美しいものとは。墨の濃淡と筆遣いで描かれる世界。タイトルがまた秀逸。「僕が描く」のではなく、線に導かれるということか。

家族を災害で亡くし、喪失感の中で学生生活を送っている主人公、青山霜介(横浜流星)がアルバイト先で出会った水墨画の一枚に魅せられ、静かな涙を流す。
それを見かけた水墨画の大家、篠田湖山(三浦友和)が彼に声をかける。「僕の弟子になってみない?」

おずおずと入った水墨画の世界の中で、青年は師匠と豪快な兄弟子(江口洋介)に導かれながら、自分と向き合う時間をもつことになる。霜介だけなく、行き詰っていた新進気鋭の作家である師匠の孫娘の千瑛(清原果耶)も新たな作品を生み出していくという、若者たちの再生のお話。
師匠も病を乗り越え、残された左手を使っての創作に打ち込む姿は感動させられる。

横浜流星という役者さんについては、今年観た「流浪の月」が印象深い。端正な顔つきで、きっと人気があるのだろうくらいに思ってきた。目の美しい人。
清原果耶ちゃんは若手女優さんの中では一番の期待の星。偉大な祖父のもと、時に屈折もするだろう。しかしプレッシャーから立ち上がり、師匠に褒められた瞬間の素直な、まだどこか幼さを感じさせる演技はさすが。
三浦友和さん、本当に良い歳の重ね方をしている。こんな包容力のある大家がいるのか?ついつい「芸術の世界の大家というと傲慢で・・・・・」昭和のステレオタイプを想像してしまうのは私の頭が固いだけか。
作品を見つめて涙を流す青年を一目で優れた感性の持ち主と見抜き、自分の世界に引き込むことで、青年を暗闇から救い出し、全く新しい世界へといざなう。だからこそ、芸術の大家なのかと。
江口洋介、いいところをみんな彼が持って行った!作中の揮毫シーンは圧巻。着ていたシャツを使って、アドリブを発揮し、作品を仕上げる。大勢の観衆の前でである。すばらしい爪を鮮やかに隠してる鷹。
のようにみえて、主人公にかける言葉が優しい。食材の調達を通して、生きることの意味も伝えてくれる。
芸術を極める本物の人というのは、限りない優しさを持っているということらしい。

チャラく見えていた友人が、主人公の為に全身を震わせ、彼の生きざまを批判し、背中をおすシーンがすがすがしい。なんと恵まれた主人公だこと。

必要な時に導いてくれる師や友人に出会うことができるのは奇跡なのか、その人のもつ力なのか。
安易な恋愛ものにならず、知る機会の少ない古典芸術の創作の場を見せてもらえたのはよかった。絵心も絵を描く力も持ち合わせない人間にとっては、美術、特に日本の古典的美術は遠い世界。せめて画面でその繊細な世界に触れることができた。
エンドロールの水墨画が本当に美しい。なのに、主題歌が合わない。余韻に浸りたかったのに。そこが残念。こればかりは感性のちがいなのかも。
(アロママ)

監督:小泉徳宏
脚本:片岡翔、小泉徳宏
撮影:安藤広樹
出演:横浜流星、清原果耶、江口洋介、三浦友和
原作:砥上裕將