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「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」 (2020年 日本映画)

2020年04月08日 | 映画の感想、批評


 世界中が新型コロナウィルスの脅威にさらされ、ついに我が国でも「緊急事態宣言」が発令されるまでになった。映画館も休業やむなしの感なのだが、そんな中、感染のリスクを負ってまでも見に行きたい映画として話題になっているのが本作「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」である。
 三島由紀夫が壮絶な死を遂げて今年でちょうど50年。その1年半前の1969年5月13日、三島は東大駒場キャンパスの900番教室で1000人を超える学生たちとの討論会に出席していた。迎えたのは東大全共闘のメンバーたち。この年の1月には学生たちが占拠していた安田講堂に機動隊が出動。瓦礫と火炎瓶で抵抗した学生たちだったが、催涙弾と放水攻撃を浴びせられ敗北。しかし、自分たちの手で国を変えようとする全共闘運動を再び盛り上げていこうと「東大焚祭委員会」なるものを設立し、その目玉となる討論会に、自分たちとは全く違った政治的思想を持つ、ノーベル文学賞の候補にもあがった世界的文豪を呼び、言葉を使って闘い合おうというのだ。
 まずは、TBSによくぞこの映像が残っていて、目の前で見られるということに感動した。今回企画プロデュースを行ったTBSの関係者たちには本当に感謝したい。この討論会の模様は翌6月に早速「討論 三島由紀夫VS東大全共闘 美と共同体と東大闘争」という本にまとめられ、その全貌が明らかにされたのだが、やはり文章と映像では伝わるものが違う。三島の放つオーラの凄さ、そして当時の学生たちの政治や社会に真剣に向き合う姿がリアルに伝わってくる。最初はどんなバトルが繰り広げられるのだろうと思っていたのだが、会場いっぱいの学生たちは三島の話を意外なほど静かに聞き、変なヤジも飛ばさない。(今の国会とは大違いだ)それどころか、途中から三島のことを「三島先生」と呼んで対応したり、ユーモアのある返答に笑顔で応えたりして、お互いに尊敬の念を持ちながら自分の考えを主張する姿に好感を覚えてしまった。しかしさすがに東大生同士、難解な言葉や概念を用いて高度な哲学や歴史観を滔々と述べる姿には異次元の知性を感じ、偉大な「敵」を論破することに言いようのない快感を味わっているようにも思えた。
 50年を経た今、TBSのプロデューサーから依頼を受けた豊島圭介監督は、4時間近くある当時の映像とともに、元東大全共闘や元楯の会のメンバー、討論の場にいた報道関係者、親交があった人々、三島を論じる文化人たちにインタビューを行い、三島の人物像と各人のその後の生き方に迫る。しなやかに、したたかにこの半世紀を生き抜いた人々もまた、魅力に溢れている。
(HIRO)

監督:豊島圭介
撮影:月永雄太
出演:三島由紀夫、芥正彦、木村修、橋爪大三郎、篠原裕、宮澤章友、原昭弘、平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴、椎根和、清水寛、小川邦雄
ナビゲーター:東出昌大


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2 コメント

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この映画を見て (アプレ団塊世代)
2020-04-10 10:29:36
 まず、一点目は、あれだけ慧眼な三島でも陥ってしまった右翼イデオロギー特有の陥穽である。
 三島が討論の冒頭で「君たちがもしひとこと天皇陛下万歳といってくれたら」と世直しでの共闘を申し入れる有名なくだりで私が感じたのは、三島という人の育ちの良さからくる甘さである。学生たちが拒絶するのは当然であった。
 もとより、左翼イデオロギーの本質は共和制社会主義経済体制の実現であるが、三島はそこを根本的に誤解していて、天皇制というシステムを媒介として共闘できると錯覚した。老婆心ながら日本人がよく陥る誤解を指摘するなら、天皇制反対=アカ=共産主義というとんちんかんな反応である。天皇制の反対概念は共産主義ではなく共和制であり、共産主義の反対概念は資本主義であることは中学生レベルの常識である。三島が天皇制と社会主義に親和性があると直感したのは、かつて北一輝が天皇制国家社会主義を理想としたことと無関係ではあるまい。あるいは、松岡洋右外相がヒトラーのナチズムとソ連のスターリニズムが同質だと見抜き「日独ソ伊四国同盟」を画策したという有名な話を想起する人もあるだろう。
 三島は討論の終幕にあたって、学生から冒頭の提案の「天皇制万歳」を条件としないのであれば共闘するかと聞かれて、共闘自体を撤回する。右翼イデオロギー(天皇制)と左翼イデオロギー(共和制)が相容れないものであることを三島は実感したはずだ。
 二点目は、当時の自民党が親米愛国、社会党や共産党が反米民族主義であった中で、三島と全共闘学生を結びつけるものが反米愛国であったと、映画の中で誰かが指摘していた点はおもしろいと思った。ただし、三島は民族主義であるからあくまで日本人にこだわるが、対する全共闘の芥正彦は民族にこだわらないところが違いといえる。
 もうひとつの共通点として、これも誰かが指摘していたのは「反知性主義」の標榜である。実をいうと、いま安倍もトランプも反知性主義を代表するリーダーであり、このことが理性としてのデモクラシーを揺るがす懸念材料となっていて、内田樹あたりが大いに憂慮しているのだが、60年代の世界は紅衛兵運動もフランスの5月革命も浮世離れした知性に対する若者たちの反発から生じた大きなうねりであった。
 日本の知性を象徴する政治学者で当時東京大学で教鞭をとっていた丸山真男を引き合いに出して、三島は知性を批判する。最も知性主義的な三島が、である。ユーモリストの三島が「無知なやつが反知性をいっても説得力がない」といってみせたところでは思わず吹き出してしまった。
いずれにしても、若者たちが熱く燃えていた政治の季節にあって、現状維持=保守が大嫌いだという三島の情熱と革命を夢見る全共闘学生の情熱が共鳴する瞬間を見せつけられ、ある種の幸福を感じないではおられなかった。
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純粋 (HIRO)
2020-04-11 01:17:35
 稚拙な文章に深い内容のコメントをいただきありがとうございます。三島や当時のことをよくご存じなのですね。とても勉強になりました。三島は学生たちの純粋さに心動かされたのではと思います。リーダーを楯の会に誘ったほどですから。
 今後とも「シネマ見どころ」をよろしくお願いいたします。
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