シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「日日是好日」(2018年 日本映画)

2018年10月31日 | 映画の感想・批評


 樹木希林が亡くなって2ヶ月がたとうとしているが、2018年は出演作が相次ぎ「モリのいる場所」「万引き家族」に続き本作で3作目。しかし、遺作ではない。さらに2作が公開予定というから驚く。死期が近づく自分をさらけ出して、最後の最後まで演じ続けるという役者根性には恐れ入るとしか言いようがない。
 樹木希林が今回演じたのはお茶の先生。彼女が開く茶道教室に主人公の典子と従姉妹の美智子が通い始める。二人とも二十歳を過ぎ、大学生のうちに一生をかけられるような何かを見つけたいと思っていたのだがなかなか見つからない。「お茶でもやってみたら?!」母からの突然の勧めと、「一緒にやろうよ!」という美智子の誘いで、全く乗り気なく始めた典子だったのだが、それからずっと茶道とともに人生を歩み続けることになろうとは・・・。
 茶道に関してはおよそ知識のない自分なのだが、この作品、冒頭から同じように全く初心者の二人と一緒に、樹木演じる武田先生の指導を受けることとなる。帛紗さばきからお茶の入れ方、いただき方、そして茶室での色々な作法を学ぶのだが、「意味なんてわからなくていい。お茶はまず『形』から。先にその『形』を作って、その入れ物の中に心がはいっていくの。」という先生の言葉に、なるほどと頷きながら新鮮な気持ちで「お茶」の世界に引き込まれていく。
 それにしても樹木希林の存在感はすごい。お茶の経験は全くなかったそうだが、前日に本職から指導を受けただけできちんと師匠の役がこなせるのだからさすがだ。病に冒されているというのに背筋はシャンと伸び、細かな所作にも余裕さえ感じられる。主人公の典子には主演作が続く黒木華。いま、もっとも輝いている若手女優といえばこの人。樹木希林も「主演が黒木さんなら共演したい。」と今回の役を引き受けたというから、ラストシーンも含め、何か次の世代に伝えたいものがあったのではと推測してしまう。この二人を引き合わせたのは大森立嗣監督の大手柄。茶道に関するディテールにもこだわり、掛け軸から、茶碗、茶花、和菓子に至るまで"本物”が使用され、それを見ているだけでも心が癒される。
 『日日是好日』とは「幸不幸や結果の善し悪しにとらわれず、かけがいのない一日一日を大切にして、感謝の気持ちで過ごすこと」と説いた禅語だそうだが、若いときはこんな心境にはなかなかなれなかった自分も、そろそろわかってくる歳となった。さて、今からでも何かやってみるか。
(HIRO)

監督:大森立嗣
脚本:大森立嗣
撮影:槇憲治
出演:黒木華、樹木希林、多部未華子、鶴田真由、鶴見辰吾

「散り椿」2018年、日本

2018年10月24日 | 映画の感想・批評
享保年間を舞台に、架空の扇野藩の元藩士、瓜生新兵衛(岡田准一)が京都で病気の妻(麻生久美子)と二人でひっそりと暮らしている。8年前に藩の不正を訴えたが受け入れられずに藩を離れたが、いまだに刺客に追われている。
冒頭の雪の中での立ち回りがとても美しく、引き込まれる。
妻の篠に「藩に戻って、剣友だった采女(西島秀俊)を助けてほしい」と遺言で託され、藩に戻った新兵衛は妻の実家に身を寄せるが、義弟の藤吾はいささかめいわく気味。義妹の里美(黒木華)は新兵衛をつつましく世話をする。
8年前の不正疑惑とは、・・・・
妻とかつての婚約者の采女との関係は・・・・・・
義妹の里美の想いは・・・・・

本年初の久しぶりの時代劇。昨年の「関ケ原」以来か?あの関ケ原は期待外れだっただけに、岡田准一君、大丈夫かなあ・・・・・とあまり期待せずに、彼の大ファンである息子のおつきあいで鑑賞。
バタ臭い顔なので、「天地明察」を見るまでは時代劇なんか無理じゃないのと思っていたが、「蜩の記」辺りから、どんどんその存在感がぴったり来ている。前作の「関ケ原」は役所広司がもって行ってしまった感があったけど。
「たそがれ清兵衛」の真田広之が最近見られなくなったあとの「これぞ侍!」役を岡田准一が担ってきているのかも。
黒木華は時代劇には欠かせない存在。所作の美しさと、「小芋に目鼻」と言ったら叱られそうだけれど、いかにも古風な日本人の顔と言える。今年は黒木華の当たり年か。「日日是好日」、「ビブリア古書堂の事件手帖」も楽しみである。
麻生久美子も時代劇にはぴったり。出演シーンは少ないが、色っぽかった。黒木華と姉妹役というのは納得できる。
典型的な強欲で悪者の家老を奥田瑛二がはまり役。

CGもセットも使わない、オールロケだという四季折々の風景はやはり監督自身が名カメラマンだけあって、かなりのこだわりぶり
岡田准一の殺陣が美しい。これはやはり映画館で見る値打ちはあった。
でも、ストーリーは今一つ説得力に欠ける内容に思えた。ナレーション(豊川悦司)を聴き落とすとしんどい。悪役が典型的過ぎたか。
後半の立ち回りシーンは見ごたえあったものの、あっさり弓に倒れてしまう剣豪には、あれれ・・・・・
原作を読んでないので、観方が甘いのかな。物語よりも映像を楽しむ作品と言える。
(アロママ)

監督:木村大作
脚本:小泉堯史
原作:葉室麟
撮影:木村大作
主演:岡田准一、西島秀俊、黒木華、麻生久美子ほか

「クワイエット・プレイス」(2018年 アメリカ映画)

2018年10月17日 | 映画の感想・批評
 

季節はずれの暑さが続いたこの時期にふさわしいホラー映画の逸品である。
 とにかく恐い。むかし「エイリアン」や「プレデター」を見たときの尋常ではない恐怖が甦る。だから、この手の映画が苦手な人はやめたほうがよい。
 第一、冒頭から衝撃的だ。この映画の見どころなので、これ以上書けないのが歯がゆいけれど、得体の知れない捕食者がちらっと登場して、まさかの展開となる。
 設定はこうである。詳しい説明がないので想像するしかないが、恐らく地球外生命体と思われる謎の生き物が数匹、平穏な農村地帯に侵入したのだろうか、近隣の人々はほとんど捕食されて、両親と耳の不自由な女の子、その下の長男、末弟という5人家族が身を寄せ合って暮らしている。捕食者(エイリアン)は聴覚が敏感で物音に反応して獲物を狩る。ただ視覚は疎いようだ。それで、物音を立てられない。冒頭、末弟の幼い男の子は父親から取り上げられたにもかかわらず、ロケットの玩具に電池を戻してスイッチを入れてしまったことで捕食者をおびき寄せてしまう。父親は必死の形相で息子を救い出そうとする。
 さらに、母親は身ごもっていて予定日も近い。これが恐怖を倍加する。生まれた赤ん坊はオギャーと泣くのだ。どう対処するのだろうと、われわれ観客は暗澹たる気持ちになる。というのも、この作者は、恐がらせるためなら手段や表現を選ばぬ「あくどさ」だから、赤ん坊だって殺しかねないのである。
 音を立てられないという設定なので、台詞が極度に少ない。映画本来の映像に多くを依存した手法が奏功した好例である。
 何しろ、人は気をつけていても生活する上でうっかり大きな音を立ててしまう。エイリアンは音を聞きつけると、その図体から及びもつかない俊敏さで襲ってくる。追い詰められた家族は知恵を絞って逃げ回るのである。ただ、エイリアンにも弱点がある。ヒントは聴覚に関わることで、なかなか説得力がある。
 初めからショッキングな場面を畳みかけるように見せ、目前で肉親を殺されるという残酷描写を重ねながら、いかなるピンチにも叡智を駆使し勇気を奮い起こして敢然と立ち向かえば必ず道は開けるという、威風堂々のすがすがしいラスト・カットに元気をもらい、私は思わずニンマリしてしまった。(健)

原題:A Quiet Place
監督:ジョン・クラシンスキー
原案:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
脚本:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ、ジョン・クラシンスキー
撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン
出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ

「冷たい熱帯魚」(2010 日本映画)

2018年10月10日 | 映画の感想、批評
1993年に起こった埼玉愛犬家連続殺人事件をベースにした映画。
この殺人事件は、日本の犯罪史に残る残虐極まりない事件で、当然それがベースとなっているのでとてもグロテスクな内容になっています。

園子温監督作品としては「エクステ」「奇妙なサーカス」「ミスズ」を数えて4作品目です。

当時の日本の映画賞を総なめにした村田を演じたでんでんさん曰く「台本を読んだ僕らでさえ、あれだけ枠からハミ出る映画になるとは思わなかった・・・」
そう言わしめる程、当然テレビの枠では作れない映画らしい映画になっていると思う。まず、観ていて思った事は吹越満さん演じる社本さんが時間が経つごとに壊れていく凄まじさ。でんでんさんの一人舞台になりそうなこの作品をがっつり組んで盛り立てている凄さ。さぞかし現場は緊張と演者のテンションⅯÅⅩ状態だったんだろうな。そう感じる作品です。でんでんさん演じる村田の「ボディを透明にする」と言うセリフには少し笑ってしまう。あと演出の凄さ、園子温監督はどうやって演者をこの世界に引き込んでいったのか・・・。勿論役者の力量あって、その引き出しを出す事が演出家であり監督の仕事ではあるのだけど、その辺の変態性も認められる一部なのだと思う。
ただ、あまり人にお勧め出来る映画では無い事は確かでありますが・・・。
そういえば、園子温監督とニコラスケイジがタッグを組む事がカンヌ国際映画祭にて発表されたらしい。内容的には文明崩壊後の世界を舞台にしたアクションスリラーで、ケイジ演じる悪名高き犯罪者が、闇の世界へ連れ去られた少女を救おうとするさまが描かれるらしい。
初めて英語劇を手がける園子温監督は「僕は最高にエキサイティングな気持ちで、映画の準備をしています・・・」との事。そして「この映画はハリウッドにおけるデビューだけでなく、僕のキャリアにおいても最高のものにしたい」と意気込みを語ったみたいです。
日本の鬼才を世界にしらしめて下さい。(CHIDU)

監督:園子温
脚本:園子温、 高橋 ヨシキ
撮影: 木村信也
出演:吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、梶原ひかり、渡辺哲、裴ジョンミョン、諏訪太朗、瀬戸夏実、山根和馬他








「悲しみに、こんにちは」   (2017年 スペイン)

2018年10月03日 | 映画の感想、批評


 本作が長編デビュー作となるカルラ・シモン監督の実話に基づく作品。両親が亡くなり、バルセロナからカタルーニャの片田舎に住む叔父夫婦のもとに引き取られた、フリダ(6歳)という少女のひと夏の物語を描いている。フリダは義父母となった叔父夫婦となかなか関係性を築くことができない。叔父夫婦にはアナ(4歳)という娘がいるが、フリダがアナにした無邪気ないたずらに叔母や叔父は過剰に反応し、フリダは叱られてばかりいる。フリダは孤独感を募らせ家出をしようとするが、途中で気が変わり帰ってくる。やがてフリダは悲しみを乗り越えて、新しい家族に中に溶け込んでいく。
 いろんなエピソードが盛り込まれているが、どれも大きな事件にはならず、意外なほどドラマティックな展開がない。実話をもとに作られているためなのか、監督は過度な脚色を好まない。フリダが遊んでいる映像に彼女を批判する叔父夫婦の会話が流れるところがあるが、フリダの寂しさが伝わってくる印象的なシーンだ。
 舞台となった1993年はエイズ問題が世界を席巻していた時期で、フリダの母はHIVウィルスで亡くなったことが示唆されている。フリダの傷口を触ろうとした友人の母親がパニックになるシーンがあるが、あの時代の状況をよく伝えている。フリダがたびたび皮膚を掻くのを見て、叔母はHIVに感染したのではないかと心配している。エイズになると免疫力が低下するのでアトピーにかかりやすいのだ。たとえ検査は陰性でも、エイズの恐怖は消えることがない。
 この映画は時間軸に沿って物語が展開し、時間が逆行することがない。フリダと母親との思い出を描く回想シーンがなく、母親がどんな人であったのかという説明もない。顔も声もわからない。母親について与えられている情報は、ネウスという名前で、病院でウィルス感染が原因で亡くなったということぐらいである。監督は雑誌のインタビューで小さかったので実際の母親を覚えていないと語っているが、それにしても母親の情報は少ない。小津安二郎の映画には「不在」の家族が必ずいて、とても重要な役割を果たしているにもかかわらず、人となりがほとんど描かれていない。フリダの母親の描き方もそれに似ていて、描写されないことによって逆に存在感を高めている。
 フリダは母の死に目に会えなかったために、母の死を受容することができない。何度もマリア様に祈るのは、母が帰ってくると信じているからだ。子供が死の概念を把握する時、まず死の最終性(死は生の最終段階であり、亡くなった人は戻ってこない)を認識し、その後に死の普遍性(死は誰にでも訪れる)を理解するという。6歳というフリダの年齢は微妙であるが、やっと死を認識できる時が来ていたのであろう。ラストでフリダが号泣するのは、自分の居場所を見つけられた安心感と、叔母から母の最期の様子を聞いた悲しみに見舞われたからではないか。フリダはようやく母がもう戻って来ないことを理解したのだ。 (KOICHI)

原題:Estiu 1993
監督:カルラ・シモン
脚本:カルラ・シモン
撮影:サンディアゴ・ラカ
出演:ライア・アルティガス          パウラ・ロブレス  ブルーナ・クッシ