シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「非常宣言」(2022年 韓国映画)

2023年03月29日 | 映画の感想・批評
 飛行機が苦手な男性(イ・ビョンホン)が、韓国から、子供とハワイに向かう搭乗手続きをしている。理由が分からないが、自分達に執拗に付きまとっていた不審な男性(イム・シワン)がいて、その男性が自分達の便に同乗していたが分かり、一抹の不安を覚えつつ、飛行機は離陸する。一方、妻と旅行に行かなかった刑事(ソン・ガンホ)は、同じ便に妻が乗っていたことを後々知ることになる。その便は、バイオテロの標的となったのである。離陸後、程なくして、男性乗客が死亡。イ・ビョンホンの子供に意味深な発言を残して、本人も死亡。並行して、次々と亡くなる人や体調不良を訴える人が増え、機内はパニックと化していく。
 一方、地上では、犯人が事前に犯行予告していた動画が見つかり、国土交通省が対策にのりだすが、乗客の命は置き去りにされ、国の本音に翻弄されていく。物理的に目に見えない相手(バイオ)と、肉眼では見えるが、本音が理解出来ない相手(国家)に、どう挑むのか・・・。今のコロナ禍での状況と同じだろうか。
 冒頭、「非常宣言」の説明がテロップで流れる。飛行機が危機に直面し、通常の飛行が困難になった場合に、パイロットが着陸を要請出来る。これが布告されるとその飛行機に優先権が与えられ、いかなる命令も排除できるため、航空業界の戒厳令とされるとの内容。確か、日本映画「ハッピーフライト」でも時任三郎も宣言していたかと。ただ、今回は、得体知れないバイオが敵なので、どこまで信用出来るのか・・・。
 劇中、機内でもバイオテロが分かってきた頃、父親と子供と、その他の乗客達との掛け合いがあるが、理不尽の極みというのか・・・、考えさせられる。自分が「正しい」と信じる行動や発言と、周りが受け取る印象の違いに怯んでしまう。自分だったらどうするか。引き下がるべきか突き進むべきか。人間の複雑さを感じる。本作品の見どころの一つだと思う。
 ラストシーンも印象的だった。イ・ビョンホンの悲哀に満ちた何ともいえない表情が記憶に残る。決して、人生は何もかもがハッピーエンドではない。そこに至るまでの過程がたくさんあってこその今である。YESかNOの二者択一ではない。テロで亡くなった人達も多くいる。「パニック映画」をベースにしているが、人間の本質を描いた映画だった。
(kenya)

原題:Emergency Declaration
監督・脚本:ハン・ジェリム
撮影:イ・モゲ、パク・ジョンチェル
出演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、チョン・ドヨン、キム・ナムギル、イム・シワン、キム・ソジン、パク・ヘジョン

「エゴイスト」(2023年 日本映画)

2023年03月22日 | 映画の感想・批評
 

 原作者の高山真(まこと)は2020年にこの世を去っている。映画化の知らせを受ける前に。「エゴイスト」は自伝的小説であり、浩輔を演じた鈴木亮平は生前の高山真を知る旅を通じて「他人とは思えないほど敬愛している」と原作本のあとがきで語っている。この言葉通り熱量が溢れる演技で、その姿に圧倒される。
 30代半ばの浩輔はまるで鎧のようにブランド品に身を包み、田舎町の駅のホームに降り立つ。同級生らしき男性が顔をそむけて通り過ぎる。14歳の時に病気で亡くなった母親の命日には必ず帰省する。実家では父親(柄本明)が待ってくれている。ゲイである自分を隠して鬱屈した思春期を過ごしたのちに大学から東京に出て、今は出版社でファッション誌の編集者として自由に暮らしている。一方の龍太(宮沢氷魚)は20代半ばの青年。両親の離婚による経済的な事情で高校卒業間際に退学し、パーソナルトレーナーとして病弱な母の妙子(阿川佐和子)を支えながら暮らしている。二人は顧客とトレーナーとして出会い、強く惹かれあう。共に180cmをこえる身長はスクリーンの中で映える。
 初対面のシーンは印象的。地下のジムの前で待つ浩輔のもとに、遅刻した龍太が慌てて階段をかけおりてくる。一瞬浩輔の表情が変わる。その透明感あふれる儚い佇まいは天使が舞い降りてきたようである。トレーニングの帰路、浩輔は龍太の母に手土産の寿司を持たせる。歩道橋で突然龍太からキスされた浩輔は茫然と立ちつくす。周囲にバリアを張り生きてきた浩輔の身体に温かく柔らかいものが注ぎ込まれた瞬間だ。やがて龍太が抱えていた秘密を知った浩輔は、龍太に救いの手を差しのべる。そして龍太の母も交えて三人の交流が始まる。
 脚本の段階からLGBTQの当事者が参加していると聞くが、仲間同士の会話は興味深い。「婚姻届を書いたんだけど役所に出せないから壁にはっている」と、食事の場面でのやりとりは笑い話にしながらも切実さが滲んでいる。
 前半はゲイの人達の日常と恋愛模様が描かれ、中盤からは年下の恋人を支えたいという愛の物語に変わっていく。後半は母と息子の物語が綴られるが、ドキュメンタリー映画を観ているような錯覚におちいる。
 ある朝、龍太は突然この世から消える。遺された浩輔と妙子は戸惑いながらも互いを労りあい交流を続ける。浩輔が差し出す現金をなかなか受け取ろうとしない妙子とのやりとりは、どうなるのかとハラハラするがリアルである。二人きりの龍太の喪の作業はどこか楽し気でもある。二人は疑似親子のようだが、浩輔は妙子に実母の姿を投影していく。
 入院した妙子を見舞う浩輔は「僕は愛が何なのかわからない」と苦し気に言う。妙子は穏やかにこう返す。「いいの私達が愛だと思っているからそれでいいじゃない」。自らの愛というエゴが母と息子を追い詰めていったのではないかと苦しむ浩輔は、この言葉に救われる。妙子の手に重ねた浩輔の大きな手が、柔らかく優しく映る。温度さえも伝わってくるようである。(春雷)

監督:松永大詞
脚本:松永大詞、狗飼恭子
原作:高山真
撮影:池田直矢
出演:鈴木亮平、宮沢氷魚、中村優子、和田庵、ドリアン・ロロブリジーダ、柄本明、阿川佐和子

「フェイブルマンズ」(2022年 アメリカ映画)

2023年03月15日 | 映画の感想・批評

 
 自分が初めて映画を観たのは、いくつのときだったのだろう。記憶に残っているのは小学校低学年の頃、母と叔母に連れられ地元の映画館長浜東映で東映動画の「安寿と厨子王」(’61)を観たことだ。人さらい山椒大夫の恐ろしさにびびり、哀しいストーリーに涙した覚えがあるのだが、映画館は暗くてちょっぴり怖いところというイメージが植え付けられたのも確かだ。
 「フェイブルマンズ」の主人公サミー少年も暗い映画館を怖がっていたようだが、初めて両親に連れられて観たのがセシル・B・デミル監督の「地上最大のショウ」。映画の楽しさを満喫したサミーは夢中になり、おもちゃで汽車の衝突シーンを再現したり、父親の8ミリカメラを借りて撮影したりして、光のマジック・映画の世界に魅了され、その後は家族の旅行の記録係となったり、妹や友人達を役者にしたりして次々と作品を作っていく。このサミー少年がのちの大監督スティーヴン・スピルバーグになるというのだから、やはり家族や生活環境というものは人生を大きく左右するものだと痛感させられる。
 父バートは有能な科学者。コンピューターシステム開発の功績により、RCA社からゼネラル・エレクトリック社にヘッドハンティングされ、一家はニュージャージーからアリゾナへ引っ越すことに。そこにはバートの同僚で親友のベニーも一緒だった。頭の良さと生真面目なところは、まさにこの父親のDNA。
 母ミッツイは音楽家でピアニスト。映画を不真面目な趣味だと思っていた父親と比べ、映画に興味を持った息子に夫の8ミリカメラを与えたり、映画作りにも何かと協力的だったが、一家とベニーで行ったキャンプ旅行で撮った場面を編集している最中に、サミーは“あること”に気づいてしまう。スピルバーグ初の自伝的作品ということで、どこまでが真実でどこまでが脚色を加えた部分なのかわからないのだが、祖母や元サーカスの調教師だったという母の兄のボリス伯父さんも登場し、芸術家・ショービジネス家として忠告する場面がある。きっと大きな影響を受けた人物なのだろう。自由奔放に生きるこの母方のDNAも侮れない。
 コンピューターの更なる開発に成功した父はついにIBMに転職となり、一家はカリフォルニアに引っ越すことに。この地でサミーはその後の人生を決定づける大きな出来事に遭遇することとなる。一つは家族の離別。映像というものは酷なもので、想像力をかき立ててくれるだけでなく、事実として残してしまうところがある。実際に両親の離婚を経験しているスピルバーグは、自分が撮影した映画がその一因になったことをすごく悔やんでいるように思えてならなかった。あんなに大好きだった母と別れなくてはならなかったのだから・・・。
 もう一つ気づいたのは、映画というものは作った者の考えが最優先されるということ。ユダヤ人だということでハイスクールでひどい差別を受けたサミーは、『お楽しみデー』でハイスクールのいろいろな行事を撮って編集した作品を上映するのだが、そこでいじめっ子たちをヒーローのように仕立て大喝采を得る。しかしこの大喝采は決してヒーローに仕立てられた者の心には届いていなかった。“見世物”のように注目されたくはなかったのだ。称えられているのに、いい気持ちがしない。映画に別の力が働いたということだ。それを最初からわかって撮っていたとすれば・・・。やはりサミーは末恐ろしい才能の持ち主だと言わざるを得ない。
 最後にサミーは働き出したスタジオである往年の巨匠と面会し、一生忘れられない言葉を受けることに。この言葉がそれからのスピルバーグを作っていったんだと納得する。何はともあれ、夢と希望に満ちあふれたラストシーンは、やっぱり嬉しくなってしまう。スピルバーグの作品はこうでなくっちゃ!!
(HIRO)

原題:The Fabelmans
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ、トニー・クシュナー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、セス・ローゲン、ガブリエル・ラベル、ジャド・ハーシュ、デビッド・リンチ
 
 
 

 

「レジェンド&バタフライ」(2023年、日本映画)

2023年03月08日 | 映画の感想・批評
東映70周年記念という触れ込みの大作。前宣伝も華々しかったし、京都、滋賀のロケ地が目白押し。監督が「るろうに剣心」シリーズの大友啓史。3時間近い長編。
何と言ってもキムタク、そして有名どころの信長。話題には事欠かない。
と、少々うがった気持ちで斜めに構えていた。公開日からほぼ1ヶ月たって、一番近いシネコンのリニューアルぶりを期待して出かけた。あれまあ、チケット売り場に行列!シニア層ばかり・・・・私もその一人なんだけど。
軽い気持ちでチケット売り場に並んで真っ青になった「タイタニック」の座席確保の緊張がよみがえる。
恐る恐る会場に入ってみると、それほどでもなく。ただ鑑賞マナーの悪さには辟易。ご同輩たち、ここはリビングじゃないのよ、もう少し映画館に来てるって忘れないでね。

余計な感想が多くなりました。本題に入ろう。

キムタク、ううん、やっぱりキムタクなのか。対して、綾瀬はるかもそれほどのファンではないものの、アクションもお見事だったし、最期を迎えるシーンなどはじんわり。
子ども時代に観た大河ドラマの本能寺で濃姫が一緒に闘ったシーンが私の「濃姫」ゆえ、そうか、こういう解釈もありかと。
安土城で信長が濃姫の介護に勤しむシーンは温かみがあった。
ドラマはどこまでも史実に忠実でなければならないというものではない。歴史とは誰が書き残すかでストーリーは変わるもの。新たな解釈も面白ければよいかと、私は思う。
ただ、貧民窟での殺戮シーンは気持ちの良いものではなかった。あの体験が二人の関係性を対立から共感に変えていくのに必要だというのだろうが。
延暦寺焼き討ちも、ちょっとしんどいシーンが続いた。
その分、いくつもの合戦シーンを文字だけでスルーしたのかな。
ちょうど25年ぶりの「タイタニック」再上映も話題の時期だけに、南蛮船に乗って大航海に乗り出す、あの夢落ちも興味深い。
光秀が本能寺の変を起こす理由も、もっと深く描いてほしかった。
家康さん、誰が演じてたの?
エンドロールで気づいた時は思わず唸ってしまった。キムタクもこういうサプライズができると面白いのだけど。ファンのみなさん、ごめんね。
画面は映画館の事情なのか、少し暗くてそこが残念。セリフも聞き取りにくい。ほんまに、リニューアルしたの?変わってないやん!
ロケ地の紹介パンフレットを見るとごく近所が使われている。そんなことも鑑賞の大きな理由だったが、途中でそれもどうでもよくなった。という事はそれなりに引き込まれて見られたという事か。もう一度見に行きたい気持ちはわいてきたかな。「あそこはここなのね!」と確認したい。これほどのキャストをよくぞ地元に知られないように撮影したスタッフさんたちの努力に敬意を払いたい。
ちょっと斜め見の鑑賞記です。(アロママ)

監督:大友啓史
脚本:古沢良太
撮影;芹澤明子
出演:木村拓哉、綾瀬はるか、伊藤英明、中谷美紀、宮沢氷魚


「逆転のトライアングル」(2022年 イギリス・スウェーデンほか)

2023年03月01日 | 映画の感想・批評
 カンヌ国際映画祭金賞(パルムドール)のブラックコメディである。
 まず冒頭の男性ファッションモデルをネタにしたギャグがおかしい。
 オーデション控え室に集まる男性モデルを相手にいかにもナヨッとした感じの若い男性レポーターがインタビューを試みるあたりからもうお笑いムードなのだが、高級ブランドを着たときの顔、そうでないときの顔の使い分けをやってほしいというリクエストに応えて、居並ぶ半裸のイケメンモデルたちが、関西人なら誰でも知っている551の肉まんのCM(551のあるとき、ないとき)さながらに居丈高な顔、満面笑みの顔を使い分ける場面に思わず呵々大笑してしまった。要するに全編そんな感じなのだ。
 原題は「悲しみのトライアングル」という。その意味するところはラストで解明される。
 男性モデルのギャラは一般的に女性の三分の一だという前ふれがあって、やがて映画は主人公の男性モデルのカールと女性モデルのヤヤが高級レストランでデートする場面に移る。
 ここでひと悶着起きる。デザートを食べ終わったふたりの間に伝票が置かれてある。カールは知らん顔しているヤヤに気色ばむ。「きのう明日は私がおごるといったのはきみだ。この伝票が目に入らないのか」と。目に入らなかったというヤヤにカールは「そんなはずがない。男が払うべきだという先入観を持っているからだろう」と言葉を荒げると、ヤヤは意地になって「私が払えばいいんでしょ」と喧嘩腰にいう。
 まあ、ふたりは結局仲直りするのだけれど、ヤヤが役得で手に入れた豪華クルーズ船旅に出たふたりを待ち受けていたものはとんでもない災難だったというおはなしである。
 船長室に引きこもったまま出て来ないトンデモ船長を演じるウッディ・ハレルソンがキャプテン・ディナー(船長主催の晩餐会)に無理やり引っ張り出されてようやく姿を現す。これは、たぶんこの映画の唯一の有名スターであるハレルソンをジラしにジラして登場させるというサービス精神とみた。そのアル中気味で無責任極まりない船長が嵐で海に揉まれる中をロシアの成金富豪と飲んだくれている間、船中は船酔いで戻したりぶっ倒れる客が続出し、ほとんどドタバタ喜劇の様相を呈するのである。
 最終章では、事情があってサバイバル生活を強いられる7人の男女(もちろんカールとヤヤも含まれる)の人種構成が白人、黒人、アジア人となっていて、富豪から客船の清掃作業員に至るまで属性は様々で、人種や階層・階級の縮図がみごとに浮き彫りにされている。その皮肉は強烈だ。
 監督のリューベン・オストルンドは「フレンチアルプスで起きたこと」(14年)で国際的に注目を集めたものの、ブラック味では同じスウェーデンの巨匠ロイ・アンダーソンには及ばぬ未熟さが目立ったし、カンヌ金賞の「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(17年)も私にはつまらなく感じた。しかし、カンヌ連続金賞に輝いたこの映画は、私の最近のお気に入りだ。また、主演のディキンソンは当ブログでも取り上げた「ザリガニの鳴くところ」で強い印象を残した期待の新人である。一方、みごとなプロポーションで魅せたヤヤ役のディーンは撮影後に急死するという悲劇に見舞われたときく。哀悼の意を表したい。(健)
 
原題:Triangle of Sadness
監督:リューベン・オストルンド
脚本:リューベン・オストルンド
撮影:フレドリック・ウェンツェル
出演:ハリス・ディキンソン、チャールビ・ディーン、ウッディ・ハレルソン、ズラッコ・ブリッチ、ヴィッキ・ベルリン、ドリー・デ・レオン