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「外科室」(1992年 日本映画) 

2021年05月19日 | 映画の感想・批評
 物語は清長(中井貴一)という画家の回想で始まる。明治のある日。東京府下の病院にて高峰(加藤雅也)医師により貴船伯爵夫人(吉永小百合)の外科手術が行われようとしていた。伯爵夫人はうわごとで意中の秘密をもらしてしまうのが恐いからと、麻酔剤の使用を拒否する。周囲の者が説得しても一向に聞き入れる様子を見せない。夫は手術の中止を求めるが、高峰医師は手遅れになってはいけないと麻酔剤なしの手術を強行する。高峰のメスが胸を切り裂いたとき、伯爵夫人は上半身を起こして医師の右腕にすがり、「貴下は私を知りますまい」と言ってメスで自分の胸を掻き切る。高峰が「忘れません」と応ずると、伯爵夫人はあどけない微笑を浮かべて息絶えた。
 伯爵夫人と高峰は九年前に1度だけ小石川植物園で会っていた。すれ違っただけで言葉も交わしていないのに、二人の心には運命的な愛が芽生え、胸の内に想いを秘め続けていた。伯爵夫人が亡くなった日、後を追うように高峰も逝く・・・
 泉鏡花の同名の小説を坂東玉三郎が映画化した、上映時間50分の短編。原作は鏡花の出世作で、1895年の発表当時は「観念小説」と評されている。後年の鏡花文学につながる幻想性を漂わせていて、流麗体の擬古文で非現実を艶やかに官能的に描いている。たった一度すれ違っただけの人のために死ぬというリアリティのなさが、むしろ幻想的で浪漫的な世界を造りだしている。鏡花は自らの制作態度を「筆を執っていよいよ書き初めてからは、一切向(むこ)うまかせにする」と語っているが、奔放に流れ出した言葉が観念の世界を次々と紡ぎ出している感がある。
 映画の方は原作の文体にあたるものがない。作家としてのスタイルが感じられないので現実感のなさが際立ってしまい、見ているものは話の流れに当惑する。映像には工夫がされていて、今を盛りに咲き誇るツツジが伯爵夫人を彩ってはいるが、リアリティの欠如を補うだけの魅力がない。むしろ語りである清長の存在がこの映画に安定感をもたらしている。
 清長は大学時代からの高峰の友人で彼を最もよく知る人物。高峰は年齢においても地位においても妻があってもおかしくないにもかかわらず、学生時代よりも一層品行謹厳にして独身を貫いてきたと清長は回想する。親友である自分にも伯爵夫人の話は一言もしなかったと。語り終えたときの清長の表情には、天上における二人の愛の成就を確信しているかのような安堵感が漂っていた。(KOICHI)

監督:坂東玉三郎
脚本:橋本裕志 吉村元希 坂東玉三郎
撮影:坂本典隆
出演:吉永小百合 加藤雅也 中井貴一


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