シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「パスト ライブス/再会」(2023年 アメリカ・韓国合作)

2024年05月29日 | 映画の感想・批評
 ソウルに暮らす12歳の少女ナヨン(移住後は「ノラ」と名乗る)と少年ヘソンは、ナヨン一家がカナダに移住することになり、お互いに恋心を抱いていたが、離れ離れになり、連絡が取れなくなってしまう。ただ、ヘソンはノラのことが忘れられず、フェイスブックでノラを探していた。偶然、それをノラが見つけ、二人は12年振りに、ビデオ通話で再会を果たす。二人は実際に遭いたいと思うのだが、お互いに仕事が忙しく逢う事が出来ない。ノラは恋しくてソウル行の便ばかり気になってしまうことから、このままでは良くないと思って、暫く話すのは止めようと提案し、ヘソンは渋々受け入れる。
 それから更に12年経ち、ノラは作家と結婚し、ニューヨークに住んでいた。ヘソンは最近、付き合っていた彼女と別れた。そこで、ヘソンは、ノラが結婚しているのは承知の上で、ニューヨークに行くことにするのである。どういった再会になるのだろうか。ノラの夫はどう思うか。。。
 じわっと心に染み渡る映画。筋書きはよくあるケースに思うが、12歳の時の気持ちから、24歳、36歳と、12年おきに、それぞれの状況において、気持ちが変化した部分、変化していない部分が絡みながら、今、この瞬間を肯定する気持ちが、映し出されていく。特に、24年振りに実際に再会するニューヨークでのシーンは、ロングショットで多く撮られていて、24年間の二人の今までの気持ちの整理する時間を表現しているようにも思えたし、観客に考える間合いを与えているようにも想像出来るショットの連続で素晴らしかった。
 「パストライブス」は直訳すると「前世」。もし、移住していなければ・・・、もし、24歳の時に遭っていたら・・・、違う人生を送っていたかもしれない。今と同じ人生だったかもしれない。それは誰にも分からない。イニョン“縁”である。今は、お互いに、違う場所で違う人生を送っている。一緒には過ごせない。が、お互いに深く想っている。これからも想い続ける。でも、結ばれることはない。更に本作は、国柄(良い悪いではない)による人の気質の違いにも触れている。韓国人とアメリカ人の違いを、ノラとヘソンに重ね合わせている。それは、ノラが夫に24年振りに遭ったヘソンの印象を話すシーンに出てくる。生まれ故郷とは違う気質になった(なっていた:元々そうだった)と自ら気付いたシーンには驚きつつも納得した。前述のニューヨークの公園で会う二人の態度にも表現されていた。語らないことで語る映画ならではのシーンだった。この公園のシーンだけでも映画1本分の価値がある。それを可能にした自然な演技とショットが素晴らしかった。
 ラストに、ノラの涙、受け入れる夫、韓国への帰国途中に遠くを見つめるヘソン。次元が違えども、通じるものがある深い愛。惚れた腫れたではない恋愛映画であった。
 本作は、アカデミー賞作品賞と脚本賞の候補になった。両方共納得である。デビュー作だが、監督賞候補もありだったと思う。編集も撮影も良かった。予告編のみみたいだが、ショーン・マーシャルによるソロ・ユニット“キャット・パワー”によるリナーナのカバー曲「STAY」は秀悦。映画にピッタリ!YouTubeでご覧ください。
(kenya)

原題:Past Lives
監督・脚本:セリーヌ・ソン
撮影:シャビアー・カークナー
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ

「青春18×2 君へと続く道」(2024年 日本・台湾映画)

2024年05月22日 | 映画の感想・批評
 藤井道人監督の作品は第43回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含む6部門を受賞した「新聞記者」(2019年)以来、注目し心待ちにしている。今作は台湾との共同プロジェクト作品である。公開初日に日本と台湾の映画館で舞台挨拶の中継があった。藤井道人監督と主演二人を含む五人が登壇し和やかな空気に包まれて進行し、撮影現場の様子が伝わってきた。そこで「青春のイメージは何色?」との質問に、日本では青、台湾ではオレンジとの回答があり、台湾パートでオレンジ色が散見したことに納得。
 物語の始まりは18年前の台湾。大学進学を前に怪我でバスケットボール選手になる夢を断たれ、カラオケ店でアルバイトをするジミー(シュー・グァンハン)は、日本から来たバックパッカーのアミ(清原果耶)と出会う。財布を失くしカラオケ店に住み込みで働くことになった年上のアミにいつしか惹かれるジミー。一緒に映画館で「ラブレター」を観て夜市をバイクで走り抜け、ランタンを飛ばし展望台からの夜景に見蕩れる。二人の距離は近づいていくが、ある日突然アミが帰国することに。ジミーは気持ちを伝えられないまま、アミの「お互いに夢を叶えたらまた会おう」との言葉に頷くしかなかった。
 ダブル主演をつとめるシュー・グァンハンという台湾の俳優をこの作品で初めて知る。最近台湾で公開されたスタジオジブリ「君たちはどう生きるか」(2023年)のアオサギ役の吹き替え声優をつとめていると聞く。第一印象は地味だが、観ているうちに徐々に目が離せなくなってくる不思議な魅力がある。何より18歳から36歳までを演じるのは俳優にとっては挑戦だと言えるだろう。実年齢は30代前半だが、青年の初々しさと痛々しさがストレートに伝わってきた。一方の清原果耶は魅力的な俳優だ。可愛らしさも凛とした佇まいも併せ持っている。ジミーのバイクに乗って街中を走るシーンでは、ジミーの両肩に手を添えて乗っている姿がいい。恋人未満の二人の距離感を絶妙に表している。
 物語の後半、舞台は日本に移る。36歳のジミーが初恋の記憶を胸に、出会った人々の善意に包まれながらアミの実家を目指す。それは自分の生き方を見つめ直す旅でもあった。東京を起点に鎌倉→長野→新潟→福島と旅を続けるが、改めて日本の美しさに目を見張る。漆黒の松本城は圧巻だ。トンネルを抜けると一面雪景色という光景にも目を奪われる。車中で出会う18歳のバックパッカーの幸次(道枝駿佑)との雪合戦の場面では、幸次のダウンジャケットがまるで菜の花が咲いたように映える。やがて辿り着いたアミの実家でジミーは思いがけない運命を知る。
 藤井道人監督の「余命10年」(2022年)との共通点がこの作品にはある。共に女性が難病を患い長期間の闘病を余儀なくされる。一方、男性は自分の道を見つけて歩み出すという、男性の成長物語。いつか、女性の成長物語も観てみたい。
 エンドロールで流れるMr.Childrenの「記憶の旅人」の歌詞に心をつかまれ、いつまでも座席に留まっていたくなる。(春雷)

監督:藤井道人
脚本:藤井道人、林田浩川
原作:ジミー・ライ「青春18×2 日本慢車流浪記」
撮影:今村圭佑
出演:シュー・グァンハン、清原果耶、ジョセフ・チャン、道枝駿佑、黒木華、松重豊、黒木瞳

「悪は存在しない」(2024年 日本映画)

2024年05月15日 | 映画の感想・批評


 世の中キャンプブームだという。そういえばお隣の岐阜県にある揖斐高原スキー場がこの春県下最大のキャンプ場に変身したというし、GW連休中の琵琶湖岸も大勢のアウトドア派で賑わっていた。自分が住んでいる地域でも、かつて『サイクリングターミナル』という市の施設だった跡地に“グランピング”と称する民間施設ができ、他府県ナンバーの車でいっぱいだ。伊吹山が間近に見え、自然を満喫できる場所とはいえ、派手な装飾用のライトがケバケバしくて、周囲に溶け込んでいるかどうかは疑問なのだが・・・。
 「ドライブ・マイ・カー」で世界中の映画ファンを唸らせた濱口竜介監督の新作、信州の山中にグランピング場を作ることで起きる様々な人間模様を描いているという情報を得て、おそらくリニア新幹線建設でも話題となった環境問題について、掘り下げた内容になっているのではないかと予測して観たのだが・・・。
 オープニングは穏やかな林の中。下方から生い茂る木々を見上げるように撮っていて、そこに荘厳でゆったりとした音楽が流れる。もともと今回の企画は音楽家・石橋英子氏がライブパフォーマンス用の映像を濱口監督に依頼したところから始まったようで、その結果ライブ用サイレント映像「GIFT」と長編映画「悪は存在しない」の二本の作品が誕生することとなる。だからなのか、このオープニングシーンがやたらと長い。長いといろいろなことを考えるようになる。この林の中で、これからいったい何が起きようとしているのだろう、なんとなく不吉な予感もしてきて・・・。ともかくこの壮大なるオープニングで、観る者をどっぷりと深い山中に引き入れてくれるのは確かだ。
 続けて現れるのは主人公の巧が谷から湧き出る水を汲むシーンだ。これも長い。もう一人相方がいて、ひしゃくでいくつもの容器に水を入れて運ぶところを丁寧に撮っている。水道が通っていないところに運ぶのだろうか。いったい何に使うのだろう。一緒にいる男との関係は??ここでもいろいろな考えが次々と頭をよぎる。
 次は巧が暮らす家の前での薪割りシーンだ。この薪割りは自分も自然教室などで経験したことがあるのだが、結構難しい。一本の木をチェーンソーで4つに切り、さらに斧で4つに割る。この一連の作業をすべて見せてくれる。最初は俳優さんにしては腰が入っていて上手い方だとか、薪ストーブがあるのだろうかと思い巡らすうちに、この斧を使って何か事件が起きるのでは?この男の正体はいったい?!等、不安な要素も感じたりして・・・。
 グランピング場建設の説明会では、地域住民と計画した芸能事務所とのやりとりが何とももどかしい。森の環境や住民達の水源を汚しかねない補助金目当てのずさんな計画。説明する2人の社員も十分内容を把握できていないようで、とても支持する気持ちにはなれない。しかしこの2人にもそれなりの自分の考えと生き方があった。東京にある事務所と現地とを行き来する車中での、2人の素直な気持ちから出るやりとりを聞いているうちに、2人に共感できる気持ちも少なからず出てきて、現地の人たちともこれから先上手くやっていけるのではという明るい未来が垣間見えたのだが・・・。
 衝撃のラストをどう捉えたらいいのだろう。巧には娘・花がいて、学童からの帰り道に行方がわからなくなってしまう。果たして花は生きているのか?巧がとった奇怪な行動と、最後の荒い息づかいは何を意味しているのか??この作品の『悪』とはいったい???  
 様々な謎を抱えつつ、観る者はこの林の中を後にする。さすがヴェネチア国際映画祭審査員大賞(銀獅子賞)を獲得しただけある、想像力を豊かにしてくれる、映画好きにはたまらない作品だ。
 (HIRO)

監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介
撮影:北川喜雄
音楽:石橋英子
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、田村泰二郎、鳥井雄人

「落下の解剖学」(2023年 フランス映画)

2024年05月08日 | 映画の感想・批評


フランスのグルノーブルの山深い山荘の一軒家に、人気小説家の妻サンドラと家事を担当する元教師の夫サミュエル、幼いころの事故で視覚障害を負っている息子ダニエルと介助犬のスヌープの一家が住んでいる。夫はフランス人、妻はドイツ人、日常会話は英語。
ある日、妻が学生の論文取材を受けていると、階上の夫が不協和音の音楽を大音量で流し、妨害してくる。妻は学生を帰し、息子には散歩に行くように促す。
息子が愛犬と散歩から帰ってくると、家の外で倒れている父親を「発見!」犬が異常に気付き、吠えた事で息子のダニエルはことを理解する。その時、家の中には母サンドラだけ。
サンドラは古い友人の弁護士に連絡して、状況を説明する。「私は学生を見送った後、耳栓をして昼寝をしていたから、夫が転落する物音も聞いていないのよ」
夫はベランダから誤って転落した事故なのか、自殺なのか、それとも妻が突き落として殺したのか。

一瞬寝落ちしたからか、いきなり裁判が始まっていたのだが・・・・・。
フランスの裁判なので当然フランス語を強要される。それだけでも強い圧迫感を強いられる被告席のサンドラ。
物証がほとんどない、状況証拠ばかり。夫が残した夫婦げんかの音声などによって、仲良く見えていた夫婦の実像が次々と暴かれていく。小説家として成功した妻と比べて、事故で視覚障害を息子に与えてしまった夫の無念さや挫折が浮き出てくる。
「推定有罪」か「推定無罪」か。検事の強引さがきわだつ。
対する弁護士ヴィンセントの冷静沈着さと、美しさ!(彼はしんどいお話の中での眼福シーン。)
裁判所の様子が面白い。法服を着用している。検事は赤、弁護士は白。判事は忘れた。ちょうど今、朝ドラの「虎に翼」で戦前日本の法廷シーンが描かれていて、そこでも検事と弁護士の法服の色が同じなのが面白く思えた。日本の法服には色は少々入るだけだが、フランスの検事の法廷服はまるでサンタクロース!
戦前の日本では検事の席が判事と同列の高い位置にあったことが驚きだった。現代フランスでは、現代の日本と同様に弁護士と向かい合わせなのだが、その席がはるかに高い位置にある。被告人や証人、傍聴者を見下ろす形になっている。記憶違いかもしれないが、判事や裁判員たちよりもひときわ高く見えた。

裁判は結局、息子の証言により無罪となるのだが、その過程で息子の気持ちの揺れ動くさまは痛々しい。愛犬を使って実証実験までやってみる。
判決が出ても、「なんの報奨もないわ」とつぶやくサンドラ。ずっと寄り添ってきた弁護士ヴィンセントの表情がうすく変わる。
やっと無罪になったのに、母は息子のもとに跳んで帰る気はないのか!息子の証言のおかげで解放されたというのに!
息子をハグしていても、母の手はだらり。ぎゅっと抱きしめるのは息子の方。サンドラは自分の事しか愛していないのか。
真相は一体何だったのだろう。かつて見た「レボリューショナルロード」や「ゴーンガール」を思い起こしながら、夫婦の本当は結局は本人たちにしかわからない。いや、そうだろうか。我が夫婦はどうなんだろう。
恐ろしい・・・・ヒリヒリしながら観ました。

「名脇役賞をワンちゃんにあげたい!」
と思ったら、カンヌ国際映画祭のパルムドッグ賞をもらっているらしい。
アスピリンを大量に飲まされて瀕死の目、よく演技したものです。ラストシーンでは息子のダニエルでなく、サンドラに寄り添っているのが印象的。脇役でなく、主演かもしれない。
ちなみに、作品はもちろん、パルムドール受賞!そしてアメリカのアカデミー賞で脚本賞。

ところで一言、言いたい。あれほどアルコールを飲んでアルプスの山道をドライブしても大丈夫なの?飲酒運転は許されるの?突っ込むのはそこかいな(笑)
(アロママ)

原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE  ANATOMY OF A FALL
監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
撮影:シモン・ボフィス
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、サミュエル・タイス



「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」(2023年 イタリアほか)

2024年05月01日 | 映画の感想・批評
 わが国では同世代の巨匠ベルナルド・ベルトルッチの陰に隠れた存在だったマルコ・ベロッキオですが、ベルトルッチ亡き後、年長であるベロッキオが80歳を超えてまだ健在ぶりを示すどころか、問題作を放ち続けていることに敬意を表せざるを得ません。いまや名実ともにイタリア映画界を代表する巨匠の地位を不動のものとしたといえましょう。
 かれの新作は、イタリアでは誰もが知っているらしい史実「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をもとにしています。カトリックの総本山であるイタリアで映画化するにはずいぶんと風あたりも受けたでしょうが、まずその映像美に感服し、ストーリー・テリングの巧みさにも感心しました。
 私は予備知識なく見たものですから少し戸惑ってしまったのですが、19世紀半ば以降のイタリアの歴史を調べてから見ることをお薦めします。イタリアは近代国家としての統一が遅れた国ですが、その原因はローマ教皇にあるといっても過言ではありません。諸国が割拠するイタリア半島は「諸国民の春」といわれた1848年革命を契機として国民国家への希求が徐々に高まり、1870年のローマ陥落によって教皇の天下が終わります。
 1851年ボローニャのユダヤ系商人モルターラ家にエドガルドという男児が生まれます。かれが満7歳になるかならないかのとき、町の異端審問官の命を受けた男たちがぞろぞろと同家を訪れる。乳飲み子を含めて9人の子だくさんのなかでも、とりわけエドガルドを探していると見えます。父親がいったいエドガルドに何の用件があるのか訊ねると、相手が「洗礼を受けたという密告があった」と答えます。だから審問官のところへ連れて行くのだと。
 ここは、いきなり「洗礼」といわれたって日本の観客には具体的な説明がなければよくわからないだろうと思われます。そこでちょっと解説しますと、まずモルターラ家はユダヤ教です。第二に、「洗礼」とはキリスト教特有の儀式でユダヤ教にはありません。つまり、「洗礼された子どもを差し出せ」と命じているわけですから、エドガルドが親の知らない間に何者かにキリスト教の受洗を施されたということです。だから、もはやこの子はユダヤ教徒ではなくキリスト教徒なので、おまえたちユダヤ教徒の手を離れてしかるべき教育を受けさせなければならないといっているわけです。
 なにしろ当時は教会が絶大なる力をもっていて、ローマから離れたボローニャもローマ教皇の配下にあったため、いかなる場合も逆らえないのです。父親は1日の猶予をもらって八方手を尽くしてわが子が連れ去られないようにいろいろな力を借りますが、教会は有無を言わせず少年を拉致します。手段を選ばない父親が新聞を使って教会の横暴を告発した結果、話はアメリカにまで拡がって人権を無視したやり方に世論が反発し、教会を支える財源まで脅やかします。かえってこれが教皇ピウス9世の逆鱗に触れ、意地でも少年を返すものかと頑なになる。
 多神教文化をベースとした世俗仏教社会に育ったわれわれには実感としてわかにりくい部分が多いのですが、昨今の新興宗教トラブルにおける宗教2世たちが洗脳されてゆく過程は、おそらくこのようなものなのかと想像すると、背筋に寒いものを感じないではおれません。(健)

原題:Rapito
監督:マルコ・ベロッキオ
脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ、エドアルド・アルビナティ、ダニエラ・チェゼッリ
原作:ダニエーレ・スカリーゼ
撮影:フランチェスコ・ディ・ジャコモ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ、バルバラ・ロンキ、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ