シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ダウントン・アビー/新たなる時代へ」(2022年、イギリス、アメリカ)

2022年10月26日 | 映画の感想・批評
2010年から2015年にかけてイギリスで放送された時代劇テレビドラマでシーズン6まである、長編大作ドラマ。日本でもNHKで放送され、大人気であった。
その後日談を描いた劇場版が2020年1月に日本で公開され、ここでもとりあげた(2020年5月)。
本作は前作の1年後の1928年を舞台に、南フランスの別荘訪問と、本家を映画撮影隊が訪れるという、2つのストーリーが展開する。
イギリスの貴族一家とその館の使用人をめぐる、壮大なドラマ版のほぼ集大成というべき作品。いうなればファンサービス的な?

時代の波とともに、グランサム伯爵家のお屋敷も莫大な修繕費を工面するのに頭が痛い毎日。事実上の当主となった長女メアリーは、ある日ハリウッドからサイレント映画のロケ地として屋敷を借りたいという申し出を受けることにする。
折よく?、伯爵の母バイオレットが南フランスの別荘を贈られるという知らせが入り、驚いた伯爵夫妻は、次女イーディス夫妻や元執事のカーソンたちを伴ってリヴィエラへ向かうことに。
元執事のカーソンがイギリスの流儀をフランスへ持ち込んで対抗すべく、頑張る姿は微笑ましい。一瞬だけど、イメルダ・スタウトンとの帽子屋でのやり取りは実生活でも夫婦である二人のおちゃめなシーン。小ネタ集の一つになるかも。
雑誌の編集者として南フランスでの取材の様子など、久々に生き生きしたイーディスの姿を見られたのはうれしい。次代の女性像ともいえる
はじかれものだった現執事のトーマス、前作では幸せをつかみそうでほっとしていたのに、早くも失恋か?家政婦長のヒューズさんの優しさが沁みる。今回は出番が少なかったが、また新たな道が開けてきたと言えよう。
ロバート伯爵の出生の秘密?もドキドキ。バイオレット様の波乱万丈の恋多き人生もとうとう幕が下りた。演ずるマギー・スミスの年齢を考えると、これ以上は引っ張れないか。風格ある存在だった。ちょうどエリザベス女王の逝去と相まって、それも感慨深い。一つの時代が終わった。
副題の「新たなる時代」、貴族にとっては困難な時代にもなっていく。カズオ・イシグロの小説「日の名残り」がまさにその世界を描いている。

ダウントンのお屋敷で撮影された映画はサイレントの終末期。時代はトーキーに。声の悪い女優では務まらない。「育ち」も見え隠れする女優ははずされ、声はメアリーが吹き替える。
本職の教師の仕事をほっぽり出して屋敷をうろうろしていたモールズリーが急ごしらえの脚本を担当することに。どうやら、この作品の制作者ジュリアン・フェローズその人がここに投影されているらしい。
恋多き、と言えば長女メアリーもドラマ版の時代はハラハラしたっけ。今回はカーレーサーの夫が遠征からなかなか帰ってこない。その留守に、映画監督と意気投合、燃え上がるのか?いやあ、大人な対応でしたわ。

使用人たちの世界も一人ずつしっかりと「それから」が描かれている。
階下の人たちが映画の出演者となって、「階上の人」に扮する後半。衣装とメイクでそれらしくなるのだが、つけ刃を感じさせるのは、それぞれ役者さんたちの演技のすばらしさか。10年近くにわたって制作されてきただけあって、立ち居振る舞いが身についている。
俳優さんとはやはりすごいと思える。

クローリー家三女、故シビルの夫で、元使用人のトムが再婚するところから映画は始まり、そのトムの新たな子どものお披露目で終わる。バイオレットを見送り、新しい命を迎える、ダウントン。
さあ、続編はあるのか?
大いに気になるところだが、もう十分にファンの声に応えてくれたと、私は思う。
お騒がせ姪っ子のローズ(リリー・ジェームス)はどうしてるのかなあ。
う~ん、やっぱり続きも観たいのよね。
(アロママ)

原題:DOWNTON ABBEY: A NEW ERA
監督:サイモン・カーティス
脚本:ジュリアン・フェローズ
撮影:アンドリュー・ダン
出演:主演:ヒュー・ボネヴィル、マギー・スミス、エリザベス・マクガヴァン、ミシェル・ドッカリー、ジム・カーター、アレン・リーチ、ペネロープ・ウィルトン


「PIG/ピッグ」(2021年 アメリカ、イギリス)

2022年10月19日 | 映画の感想・批評
オレゴンの森の中で隠棲するように暮らす初老の男ロブ(ニコラス・ケイジ)はブタをつかって高級なトリュフを狩り、アミール(アレックス・ウルフ)という若者に卸している。
 ロブはブタと寝食をともにしているが、ある夜、何者かが陋居に押し入り、ロブを殴り倒してブタをさらってゆく。それで、アミールのところに行きブタを取り返すのに手を貸してくれと頼む。手がかりを得るためにトリュフを扱っている連中に聞き込みをおこない、たどりついた先がポートランドの古巣だ。
 ところで、ブタは犬より賢いときいたことがある。鏡に映った自分を自分自身だと認識することを鏡像認識というが、哺乳類の中ではヒト以外でこの能力をもつものはチンパンジー、オランウータン、イルカ、馬、象と並んでブタがおり、犬や猫には無理らしい。あるいはまた、ブタは寝床、餌場、トイレを明確にわける習性があり案外清潔好きだという。家畜動物の中で唯一ブタだけが食用のために飼育されてきた歴史から、使役動物として飼われた牛馬や犬に比べてその知能に関心が払われなかったのだろう。近年、ミニブタという改良種がつくられペット化されたことで賢いことが知られるようになった。
 閑話休題。ポートランドではロブはちょっと名を知られた存在だった。いったい何者なのか。隠遁生活を送る前に何があり、どういう仕事をしていたのか。それに加えて、ロブとの腐れ縁でブタ探しにつき合うはめとなるアミールの生い立ちや実家のことなどが、徐々に明らかになってゆき、その線上にブタ泥棒の正体もまた暴かれるのである。
 ロブが必死の形相で執拗にブタを取り戻そうとする姿を不思議なものでもみるようにアミールが問いかける。「トリュフをみつけるブタならまた買って訓練すればいいじゃないか」と。はじめは「あんなブタは滅多にいない。いまから訓練していてはシーズンにお間に合わない」と強気の姿勢を見せていたロブが、あるときふと気弱にアミールにつぶやく台詞が利いている。「本当はトリュフをみつけるのはわけないことだ。森の中の木をみればわかる」と。唖然として見返すアミール。ロブの喪失感は商売道具をとられたというより、愛犬家が愛犬を失ったときのショックと同質のものだとアミールも観客も気づくのである。たしかに、この映画の冒頭でブタが尻尾をふってロブに駆け寄っていく姿が思い出される。
 良質のミステリを読むように、謎が順次解き明かされていって意外な犯人にたどりつき、呆気ない最後を迎える。
 とくにおもしろかったところは、ロブがブタ泥棒を命じた黒幕をつきとめ、真相を吐かせるためにつかう手段だ。暴力や拷問だと思いきや、予想だにしなかった手をつかうのである。これはうまいと思った。みてのお楽しみだ。
 サルノスキ監督の長編劇映画デビュー作だというから将来が期待できる。すでに「クワイエット・プレイス」の三作目に着手したようだ。
 ニコラス・ケイジが抑えた演技で渋い味を出している。軽薄だが育ちのよさそうなお坊ちゃん風の好青年を演じたアレックス・ウルフもいい。(健) 

原題:Pig
監督・脚本:マイケル・サルノスキ
脚本:ヴァネッサ・ブロック
撮影:パット・スコーラ
出演:ニコラス・ケイジ、アレックス・ウルフ、アダム・アーキン

「犬も食わねどチャーリーは笑う」(2022年 日本映画)

2022年10月12日 | 映画の感想・批評


 結婚生活4年目の夫婦の物語。ただ、ラブラブだと思っていたのは旦那(香取慎吾)だけだった。妻(岸井ゆきの)の不満は、お互いに働いているのに、旦那が家事を全くしないこと。脱いだら脱ぎっぱなし、妻のテレフォンオペレーター業務を誰でも出来る仕事と言ったり、料理はしないのに、ゆっくりしたい休日に勝手なリクエストを言ったり・・・。妻の不満は溜まる一方。その不満を妻は「旦那デスノート」というSNSに書き込んで、うっぷんを晴らしていたのである。偶然、旦那はその存在を知ってしまう。二人で飼うフクロウの名前(チャーリー)がペンネームで、身に覚えがある出来事が綴られていて、間違いないと確信する。さあ、夫婦喧嘩の幕が切って落とされる・・・。
 タイトルの「笑う」の「笑」の文字が反転している。「笑えない」という意味か。笑う=コメディではなく、ブラックコメディ。いいえ、ホラーの領域か・・・。確かに、書き込んでいたのが妻だったと分かってからの家の雰囲気は一変。家でも、常に緊張状態。これは、確かにホラーである。
 ただ、出会った頃を思い出し、それでは駄目だと反省し、二人は歩み出す。希望を持てるエンディングだった。空中にふわふわ浮いたレジ袋を二人で意味なく追いかける。結婚前は掴めなかったが、今回は苦労して掴むことが出来る。「掴もう」(=「理解しよう」)とするその気持ちが大事。どんなことでも、二人でトライしたことに意味がある。
 劇中にもあるが、結婚すると「夫婦」という「システム」に安堵してしまって、相手を想う気持ちが薄れてしまうのだろうか。一番身近にいる筈の夫婦が、相手をよく見ていなかった。理解していなかった。感じていなかった。一番、傍にいてほしい時に逃げていた。身につまされた。私は一人で観たが、これは夫婦で観た方が良いかも。捉え方は人それぞれなので、夫婦でもポイントは違うかもしれない。もし、ポイントが違っていたら、そこを修正する。それを小まめにする。修正点が大きくなってからだと、手遅れになってしまうかもしれない・・・。ただ、それを理解していても中々出来ない。何故だろうか。「夫婦」だから???
 香取慎吾が勤務するホームセンターの社員役の余貴美子がいい味を出していた。間抜けなようで、気付きを与えてくれるしっかり者の役柄。実は、彼女も旦那デスノートに書き込んでいた。チャーリー名の旦那デスノートを面白いと職場で香取慎吾に見せたのが話の発端でもある。
(kenya)

原作:市井点線『犬も食わねどチャーリーは笑う』
監督・脚本:市井昌秀
撮影:伊集守忠
出演:香取慎吾、岸井ゆきの、井之脇海、的場浩司、眞島秀和、きたろう、浅田美代子、余貴美子

「LOVE LIFE」          (2022年 日本映画)

2022年10月05日 | 映画の感想・批評
 公団住宅で暮らす妙子と夫の二郎、そして妙子の連れ子の6歳の息子・敬太。結婚して1年が経つが、二郎の父親は未だに二人の結婚にわだかまりを持っていた。敬太を二郎の養子にすることにも反対していて、妙子は夫や夫の両親への不信感を拭い去ることができない。そんな時、痛ましい事故が起きた。敬太が風呂場で転倒し浴槽で溺死したのだ。悲しみを受け止められない妙子。葬儀にやって来た敬太の実父・パクにいきなり平手で叩かれ、抑えていた感情が一気に噴き出した。
 パクは韓国籍のろう者で、生活に困窮していたところを生活相談支援センターの職員である妙子に助けられた。二人は恋愛関係に陥り、敬太が生まれたが、パクは5年前に妙子と敬太を置いて姿をくらました。再会した妙子は今なお生活の定まらないパクを支えることに、心の安らぎを感じるようになる。自分の過失で敬太を死なせてしまったのではないか、と苦悩する妙子の心をパクは癒してくれた。敬太のいない現状を許容しようとする妙子を叱ってくれた。パクの前では気兼ねなく、泣いたり笑ったり、冗談が言い合える。閉ざされた心を開いてくれたことへの感謝が、妙子をパクへの支援にのめり込ませていった。一方、二郎は結婚寸前で別れた女性への想いを募らせ、実家で静養している彼女を訪ねるのだが・・・
 「淵に立つ」や「よこがお」で歪んだ愛情に焦点を当てた深田晃司監督が、本作では福祉の仕事に従事する人間の屈折した愛情を描いている。パクを二郎の両親が住んでいた部屋に住まわせたり、危篤の親に会うために母国へ帰るパクに付いて行ったりと、妙子の行動はエスカレートしていくばかりだ。
「私が側にいないと、あの人はダメなの」
 妙子の想いは依存的な愛情へと変化していき、二郎を困惑させる。妙子と二郎の生活は危機に瀕していた。やがて妙子はパクが韓国へ帰ったのは、別れた韓国人の妻との間にできた息子の結婚式に招待されたからだったことを知る。おそらくパクには失踪癖があるのだろう。20年前にも妻子を置いて姿をくらましていた。結婚式で出席者が音楽に合わせて踊り出すと、小雨降る中、妙子の体も動き始めた。パクには祖国で待っている人がいることを妙子は悟る。翻弄された形の妙子であったが、敬太を失った悲しみに一番寄り添ってくれたのはパクであった。
 興味深く思ったのは、妙子が二郎に聞かれたくない話を敬太とする時に、ろう者ではないのに手話を使っている場面。また妙子がパクの韓国人の息子とコミュニケーションをとる時、韓国語の聞き取りがうまくできないために手話で会話しているところ。近親者にろう者がいると、家族は手話が使えるようになる。「手話は空間を使った映像的な言語である」と深田監督は言っているが、コミュニケーションの新たな可能性を感じさせるシーンだ。
 本作に「淵に立つ」や「よこがお」の不気味さや怖さが感じられないのは、妙子の心理を観客が類推できるからだろう。常軌を逸した行動も妙子の悲しみに共感できるので、観客には安心感がある。原因や理由が突き止められない言動こそ怖い。妙子は一人で帰国し、二郎の住む部屋に戻る。そこには二郎がパクから託された猫がいた。妙子と二郎は再びスタートを切ることができるであろうか。(KOICHI)

監督:深田晃司
脚本:深田晃司
撮影:山本英夫
出演:木村文乃  永山絢斗  砂田アトム