シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ぼくのお日さま」(2024年 日本映画)

2024年09月25日 | 映画の感想・批評
 奥山大史監督は28歳、若い監督である。大学在学中に制作した「僕はイエス様が嫌い」(2019年)が海外で高く評価され、第11回TAMA映画祭最優秀監督賞を受賞するなど国内でも話題を呼ぶ。本作は長編映画としては2作目、商業映画ではデビュー作となる。第77回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション「ある視点」部門に正式出品され、上映後のスタンディングオベーションは8分間に及んだという。
 雪深い地方の町が舞台。この町の少年達は季節毎に野球とアイスホッケーの練習に忙しい。小学6年生のタクヤはその両方ともが苦手。ある日スケートリンクで華麗に踊る中学1年生のさくらの姿に心を奪われる。さくらは東京から転居したばかりで荒川の指導を受けていた。フィギュアの選手として活躍していた荒川は、引退後この町に移り住み、コーチの仕事やリンクの管理をしている。ホッケー用の靴のままフィギュアのステップを真似ては何度も転ぶタクヤに目をとめた荒川は、自分の靴を提供し、閉館後にレッスンをつけるようになる。タクヤのひたむきさにスケートへの情熱が蘇ってきた荒川は、タクヤとさくらにアイスダンスのペアを組むことを提案する。こうして荒川、タクヤ、さくら三人の関係が成立し深まっていくのだが……。
 タクヤには吃音がある。本作のタイトルで主題歌にもなっている「ぼくのお日さま」は、男女デュオハンバートハンバートの楽曲。吃音でうまく話せない男の子の心象風景を歌ったものである。「吃音の原因は愛情不足」と長らく言われ続け、主に母親を苦しめてきたが、近年では吃音は家族間で遺伝する傾向があるとの考えが主流になってきている。タクヤの父親にも吃音があると描かれている場面があるのがいい。
 タクヤ役の越山敬達は演技もスケートも経験者で本作が映画初主演である。自信なさげだがふわっとした柔らかい表情が魅力的な男の子。さくら役の中西希亜良は実年齢は越山敬達より年下だがタクヤのミューズとしての風格がある。幼少時よりスケートを始め大会への出場経験がある上級者。「ラストサムライ」(エドワード・ズウィック監督、2003年)でスクリーンデビューした荒川役の池松壮亮は、自らの子役時代の経験から、二人が安心して現場に居られるように配慮したと想像する。荒川と暮らす五十嵐役の若葉竜也は作品のキーパーソンと言える。荒川との何気ない会話で二人の関係性が、二人が共に過ごしてきた時間が伝わってくる。若葉竜也がいつもながら魅力的である。二人の無邪気な行動が荒川、タクヤ、さくら三人の関係に影を落としてしまうのだが。
 氷の張った湖でアイスダンスを練習するタクヤとさくらに荒川が加わり、三人が一体となり氷上の世界で戯れる姿が美しい。しかし三人が過ごしたお日さまのような日々は突然終わりを告げる。湖の氷の下には別の世界も拡がっているのだ。二人にとって思春期の通過儀礼と言えるが、通過儀礼には痛みが伴う。その痛みを理解する日はいつか来るだろう。ラストシーンのタクヤとさくらの再会にそんな願いを込めて。(春雷)

監督・脚本・撮影:奥山大史
出演:越山敬達、中西希亜良、若葉竜也、山田真歩、潤浩、池松壮亮

「インサイド・ヘッド2」(2024年 アメリカ映画)

2024年09月18日 | 映画の感想・批評


 私事で恐縮だが、この9月19日は初孫の1歳の誕生日。毎日一緒に生活しているわけではないので、久しぶりに会ったときにはその成長の早さに驚くばかり。何しろ産まれたときは3㎏ほどの、手の中に収まる体だったのに、1年たつと体重はおよそ3倍、もう立ち上がって、今にも歩きそうなのだから・・・。身体の成長もさることながら、頭の中の脳が生み出す“感情”とやらも、徐々に出現してきた。まずは嫌なこと、思い通りにならないこと、あるいはこうしてほしいという欲求を「泣く」という行為で伝えること。これは、赤ん坊が人に伝える最初の感情表現なのかも知れない。そして最初の誕生日が近づくにつれてよく見られるようになったのが「笑う」という行為。自分の心の中が快適なときに思わず出てくる笑顔は本当に可愛いものだ。ヨロコビという感情が確立するのは、ちょうどこの頃かも。
 11歳の元気で明るい女の子・ライリーの頭の中にいる5つの感情(ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、ビビリ、イカリ)が、彼女を幸せにするために奮闘する姿を描き、世界中に大きな感動を与えた「インサイド・ヘッド」(’15)。その続編がこの夏公開され、前作をしのぐヒットを記録して、好評続映中だ。
 現在ライリーは13歳の中学生。秋からは高校生になろうとしている。彼女の頭の中では、5人の感情たちが、司令部で相変わらず元気に活躍中。彼らの連携プレイによってライリーは喜怒哀楽がバランスよく働いていて、人にも動物にも優しい、自他共に認める「いい人」。しかし成長と共に新たな問題も発生。今やライリーの感情の中にある『家族の島』は『友情の島』に押され気味で、司令部内の出来事も友情に関することが増えてきた。そう、ライリーは思春期に入ったのだ。所属するホッケーチームのメンバーとの友情も大切だし、進学先の高校のことや、憧れの先輩のことも気になる。ライリーの人生が複雑になってきたからか、シンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィという新しい感情達も出現する。果たしてライリーは「ジブンラシサの花」をどのように咲かせていくか、感情たちの連携が今こそ大切なときなのだが・・・。
 監督は「トイ・ストーリー3」や「モンスターズ・ユニバーシティ」などに携わったケルシー・マン。さすがに全世界に心温まる感動作を贈り続けてきたディズニー&ピクサー作品だけあって、今作も安心して観ていられる。特に主人公のライリーをはじめ、登場人物達がすべて自分たちの周りにいそうな、ごく普通の人たちだということに親近感を覚え、自然に頭の中に入り込んで自分自身を投影できるところがよい。そして数が増えた感情たちも、それぞれが自分の役割をしっかり担って、一人の人間をコントロールしているというのも納得できる。またそのキャラクター達が、愛嬌たっぷりの面々だから思わず愛おしくなってしまうのだ。
 人生確かにヨロコビでいっぱいに越したことはない。しかし、それだけでは平坦で、かえってつまらなく感じてしまうかも。あの「思い出ボール」が表すように、今までに経験した膨大な数の出来事は、いろいろな感情が入っていて、いろんな色がついているからこそ、特別な思い出として残っていくのだ。たくさんの感情たちに見守られながらの人生、これからも安心して生きていけそうだ。
(HIRO)

原題:INSIDE OUT 2
監督:ケルシー・マン
脚本:メル・レフォーヴ、デイヴ・ホルスタイン
声の出演:エイミー・ポーラー、マヤ・ホ-ク、ケンジントン・トールマン、ライザ・ラピラ、トニー・ヘイル、ルイス・ブラック、ダイアン・レイン、カイル・マクラクラン
日本版声の出演:大竹しのぶ、多部未華子、横溝菜帆、マヂカルラブリー村上、小清水亜美、小松由佳、落合弘治、浦山迅,花澤香菜、坂本真綾

 

「ラストマイル」(2024年、日本映画)

2024年09月11日 | 映画の感想・批評
大手外資系のショッピングサイトの大型バーゲン「ブラックフライデー」を控え、ますます忙しくなろうというとき、各地で配達された荷物を開けたとたんに爆発。その後、テロかと思わせるような警告メールも入り、配送工場は出荷を止めるべきかを迫られる。
また事故を本社にいかに伝えるか。株価が暴落するから、今はダメ?世界時計との闘い。
何が一番大切なの?すべてはお客のためなのでは?
ただ、医療のためだけは止められない。薬がなければ治療も不可能。メディカル系の荷物だけは優先的に配送しようと、必死で探す主人公。
爆発物の特定や爆発の原理などがよくわからず、ほわあんと観てしまったが、ヒロインが荷物を開けようとする瞬間は本当に手に汗を握る思いだった。

火野正平、宇野祥平が演じる親子の末端の配送請負業者。1個を配り終えて得られるのがたった150円。再配達しても同じ。爆弾騒動で受け取りを拒否されたら、その負担は末端の業者なのだろう。事件の解決後、20円ほどは単価が上がったらしいけど。
簡単にクリックして、荷物が玄関先まで届けられる便利さ。慎重になろうよ。必要なものは出向いて買いに行こうよ。足があるのなら。と、かねてから思ってきた。
じぶん自身が小売業をしているので、お店できちんと説明をして、納得して選んでもらいたい。それだけの自負を持って営業しているつもりなのだけど。通販サイトのほうが店頭売りより安くなっているのを見て恨めしくなっている。送料はここに来る交通費と思ってほしい。発送のためには梱包だっているのよ。
もちろん、私も荷物を受け取る側でもある。商品の梱包ぶりにはいつも感心してる。再配達してもらうことのないように、気を付けよう。笑顔で荷物を受け取ろう。配送業の方にもっと敬意をもとう。きちんと仕事に見合うものが払われてほしい。

「ラストマイル」という言葉は、お客の手元にまで届けられる、最後の距離という。つまりはショッピングサイトでも、中間の「羊運送」でもなく、親子の請負業者が担っている部分。父親は「受け取ったお客の笑顔を見たくて」それが彼の仕事への喜びであり、誇り。今や昼食時間が10分しかなくても。そんな心意気に凭れ掛かっている配送業の現実。おそらく事故の補償などありようがない。
送り出すショッピングサイトは末端の事情などお構いない。
「すべてはお客のため」いくつかある会社のスローガン、すべてはこの言葉にすり替えられていく。マネージャーの岡田の言葉をことごとく、「お客の為に」にすり替えていくセンター長の満島。そのやり取りが不気味だった。
冒頭にも描かれたロッカーの扉に書かれた数式。身をもってベルトコンベアを止めようとしたのか。しかし、止まることなく。いや一度は停止したはずが。
高校時代(ほぼ50年前!)の国語の教科書に載っていた「セメント樽の中の手紙」を思い出した。何も変わってない。

大好きなテレビドラマ「アンナチュラル」と「MIU404」の世界観を踏襲する、「ユニバーサルシェアード」というらしい。プロデューサーの新井順子、監督の塚原あゆ子、脚本の野木亜紀子のトリオによる完全オリジナル作品。
ドラマの出演者が「その後」も生きている、同じ職場で仕事を続けている、あるいはドラマの中で救われた少年たちが成人して、物語の後日談に加わっている。それもこの映画の楽しみであった。「ああ、無事だったのね。成長してる!」と。ドラマの世界を一緒に生きているような錯覚をもたらせてくれるのも見どころの一つ。

パンフレット、ちょうど入荷しました!というので買ってきた。一部、袋とじになっている。まだ開いてない。うん、ドカンとならないことは信じてるし。
コロナ禍の配送業者を取り上げたNHKドラマ「あなたのブツがここに!」も良かったのよね。あ、ネタバレになっちゃう?
誰かと語り合いたくなる映画です。なのに、「まだ言わんといて!」とあちこちからブレーキをかけられ、ちと辛い。もう一度観に行って、問題点を整理したい。ああ、制作会社の思うつぼだわ。見事にはめられています。(アロママ)

監督;塚原あゆ子
脚本:野木亜紀子
撮影:関毅
出演:満島ひかり、岡田将生、ディーン・フジオカ、火野正平、阿部サダヲ


「ソウルの春」(2023年 韓国映画)

2024年09月04日 | 映画の感想・批評
 歴史的事件を題材にした力作がこのところ続いて公開されました。
 イタリア政界の大立者の誘拐事件を扱った「夜の外側 イタリアを震撼させた55日間」も秀作ですが、韓国の粛軍クーデターの一部始終をドキュメンタリ・タッチでなぞったこの映画もまた手に汗を握る展開です。
 1979年10月26日、強権独裁政権を敷く朴正煕大統領がKCIA(韓国中央情報部)の用意した晩餐会場において側近ともいえる金載圭KCIA部長の手により射殺されるという衝撃的な事件が起きました。
 ただし、この場面は映画では描かれません。暗殺の直後、まだ事実が公表されていない時点で国軍保安司令部(軍の諜報・犯罪捜査機関)が招集されるところから始まります。なにしろ、朝鮮戦争は休戦状態とはいっても、韓国の政情不安が明るみに出れば北につけ入る隙を与え、平壌からそう遠くはないソウルが再び侵略される恐れがあったからです。
 時の鄭昇和陸軍参謀総長は即座に合同捜査本部を立ち上げ事態の収拾に動きます。国軍保安司令部の司令官である全斗煥少将が職務上、本部長に就きますが、かれはハナ会という一種の派閥をつくり政治的野心をもっています。軍と政治を峻別する鄭参謀総長から見れば好ましくない軍人に見えたようです。
 補足しますと、わが悪名高き大日本帝国軍の誇りは政治に直接かかわらないことでした。それで、クーデターが起きると率先してこれを阻止したのです。おそらく軍事は純潔な使命だが政治は汚辱に塗れているという明治の軍人精神がまだ生きていたからでしょう。ですから、まともな軍人は政治に手を出すべからずという暗黙の了解があった(もっとも、横槍を入れて政権に嫌がらせするのは得意でしたが)。ところが、韓国の朴政権はクーデターによって成立しており、全斗煥もそれに参加した経験があるのです。東南アジア諸国を見てもクーデターで政権を掌握した例が多い点に注目してください。もし、自衛隊が国軍になればもはや明治の軍人精神などとっくに消滅しているでしょうから非常に危険だと、ぼくはそう見ています。
 閑話休題。話を映画に戻すと、全斗煥は戒厳令の敷かれた首都ソウルの警備司令官人事に口をはさもうとします。要するに自分に近い人物を希望するのですが、任命権者の戒厳司令官である鄭昇和参謀総長は不快感も露わに拒否します。むしろ、かれは自分と同じく軍人精神に徹した謹厳実直な張泰玩少将を任命するのです。全斗煥はこの人事が不服で参謀総長に私怨を募らせる。これがのちのち12月12日の「粛軍クーデター」の伏線となるのです。
 全斗煥は暗殺事件の捜査を口実に民主勢力や敵対する陣営を次々に拘束して拷問を繰り返す。独裁政権の終焉によって晴れ間が見えた「ソウルの春」にまたしても暗雲が立ちこめるのです。情勢を危惧した参謀総長は全斗煥の異動を決めますが、野心満々の全斗煥がやすやすと従う訳がありません。そこから、かれともうひとりの主人公張泰玩司令官とのガチンコ対決が始まるのです。この映画の肝はここにあります。
 それに、肝腎な時に駐韓米国大使館に逃げ込んで洞ヶ峠を決め込む国防部長官のだらしなさや、臨時大統領に就いた崔圭夏の良識ある温厚な性格がわざわいして逆に全斗煥に見くびられるなど、人物描写もよく書きこまれています。
 全斗煥を演じるファン・ジョンミンは美形スターの多い韓国にあって、むしろ性格俳優の地位を不動のものとするような活躍ぶりで、アクの強い全斗煥を熱演しています。クーデター阻止に動くヒーロー役(張司令官)に扮した二枚目のチョン・ウソンが損をしている印象です。まあ、いってみればファン・ジョンミンの役どころはプロレスでいう「ヒール」(悪役)の様相を帯びて、むかし子どものころブラウン管に映る“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックや“4の字固め”ザ・デストロイヤーに心躍らせた気分を思い出しました。(健)

原題:서울의 봄
監督:キム・ソンス
脚本:ホン・インピョ、ホン・ウォンチャン、イ・ヨンジョンほか
撮影:イ・モゲ
出演:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン、イ・ソンミン、パク・ヘジュン

「時々、私は考える」(2023年 アメリカ映画)

2024年08月28日 | 映画の感想、批評
 オレゴン州の閑散とした港町、アストリア。小さな会社に勤めるフラン(デイジー・リドリー)は、人付き合いが苦手で、友人も恋人もおらず、会社でも同僚たちの輪の中に入っていけなかった。これといった趣味もなく、家と会社を往復するだけの単調な毎日を送っているのだが、フランには死んでいる自分を空想するという奇妙な妄想癖があった。森や海岸で死んでいる自分を空想したり、会社の窓から見えるクレーン車を見て首を吊られる自分を演じてみたり…妄想の世界の中で生きていた。
 新しく会社に入って来たロバート(デイブ・メルへジ)はフランに親しく声をかけ、二人は映画デートをするようになった。フランはロバートが好きな映画でも、興味がなければはっきりと「つまらない」と言い、そこがロバートには好ましかったようだ。ロバートは二度の離婚歴があったが、フランは気にする様子もなく、二人の仲は急速に近づいていった。ロバートはフランのことをもっと知りたいと思ったが、フランはあまり自分のことは話さなかった。とある週末、ロバートの友人が主催するパーティの帰り道、二人は車の中で大喧嘩をしてしまう。ロバートは自分のことを話そうとしないフランに苛立ち、フランはそんなロバートを傷つける言葉を吐いてしまう。

 「スター・ウオーズ」シリーズのレイ役で名を馳せたデイジー・リドリーがプロデュ―サーと主演を兼ねていて、華々しい女戦士とは違う、内気で不器用で孤独な女(フラン)を演じている。フランにとって死を空想することは必ずしも恐怖や悲しみではなく、やすらぎや休息に近い感覚があるようだ。死ぬ自分を空想することが心地よいのだ。タナトス(死の本能、欲動)に魅入られた女性の、質素で地味な日常がコミカルに描かれていて可笑しい。死という人間にとっての最大のタブーをユーモラスで微笑ましく表現しているダーク・コメディと言ってもいいかもしれない。
 この作品は2019年作の同名の短編映画(12分)を長編化したもので、短編をふくらませたからか、あまり細部は描かれていない。例えば、フランの家族や過去の話は一切出てこないし、ロバートも二度離婚したとはいうものの詳細は明らかではない。フランがいつからどういう経緯で死の空想を楽しむようになったかもわからない。むしろ意図的に登場人物の背景を描かず、人間関係を複雑にしないで、フランとロバートの関係性に焦点を当てているように思える。
 エンドクレジットでアニメ「白雪姫」の劇中歌である「歌とほほえみを」が流れる。誰もが知っているポピュラーソングを、エンドロールで使うところはどこかカウリスマキの手法と通ずるものがある。故意に通俗的なもの、大衆的なものを取り入れることによって、作品をより親しみやすく、印象深いものにしている。キッチュと言うのだろうか、陳腐で安っぽいものによってアート感を醸し出している。フランがあまり表情を変えないところも、カウリスマキの登場人物と似ている。
 ロマンティック・コメディとしてもよく出来ているのだが、二人の関係は恋愛というより、共感を求める関係に近い。濃厚なキスシーンはほとんどなく、互いにハグするシーンが多い。短編版と同じようにフランが死の空想癖があることを告白するところで映画は終わる。果たして孤独なフランの日常は変わっていくのだろうか。(KOICHI)

原題:Sometimes I Think About Dying
監督:レイチェル・ランバート
脚本:ケビン・アルメント ステファニー・アベル・ホロウィッツ ケイティ・ライト・ミード
撮影:ダスティン・レイン
出演:デイジー・リドリー  デイブ・メルへジ