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「枯れ葉」(2023年 フィンランド、ドイツ映画)

2024年01月31日 | 映画の感想・批評

 
 フィンランドの首都、ヘルシンキ。スーパーマーケットで働くアンサと工場労働者のホラッパは、カラオケバーで会い互いに惹かれ合うものを感じるが、名前も聞かずに別れてしまう。アンサは廃棄処分となったパンを盗んだためにスーパーを解雇され、次に見つけたパブの仕事も店主が警察に逮捕されて失ってしまう。生活苦に陥ったアンサは工場の肉体労働に従事するようになる。一方、ホラッパはアルコール依存症で酒瓶をいつも内ポケットに入れており、勤務中の飲酒が原因で何度も職場を解雇されている。
 アンサと再会したホラッパはゾンビ映画を見に行き、二人の距離感はぐっと縮まるが、アンサのケータイの番号を書いた紙を落としてしまい連絡ができない。映画館の前で何日も立ち続け、ようやくアンサと会うことができた。ディナーに招待されたホラップはアンサと親密なひとときを過ごすが、内ポケットに忍ばせた酒を飲んでいるところを見つかり、「アル中はごめんだ」と言われて、怒って出て行ってしまう。ホラッパは飲酒が原因で次々に職を失い、ついに酒を断つ決心をする。ホラッパは酒を辞めたことを電話で告げ、胸躍らせてアンサの家に向かうのだが・・・

 カウリスマキの映画の登場人物は極端なまでに表情を抑制し、喜怒哀楽の感情をほとんど出さない。そのため時折見せる感情表現がとても有効に機能している。いつも物思いに沈んだ表情をしているアンサが、ラストで見せるウインクに観客は救われたような思いがするのはそのためだろう。セットもまるでアマチュア映画のように簡素だ。シンプルであることをコミカルなまでに徹底している。これがカウリスマキのスタイルであり、このスタイルをデビューから40年間続けてきた。カウリスマキのファンはこのスタイルに惹かれて劇場に足を運ぶのではないか。
 カウリスマキ映画の特徴を更に挙げてみると、左右対称の構図、台詞の少なさ、簡素なセット撮影、わかりやすいストーリー・・・etc. カメラアングルもサイズも安定していて、極端なローアングルやハイアングルはなく、ズーム・インもアウトもないし、移動撮影もあまり使わない。カットの長さは大体同じで、長回しはせず、フラッシュのような短いカットつなぎもない。固定ショットの積み重ねで、映像効果には関心がない。過剰な演技や演出、複雑なストーリー展開を嫌い、映画のリズムやバランスを一番大事にしている。シンプルで調和のとれた静謐な映画空間を志向しているところは、カウリスマキが敬愛する小津安二郎とよく似ている。
 たびたび画面に登場する映画のポスター(「逢びき」「若者のすべて」「気狂いピエロ」等)はカウリスマキが愛する映画へのオマージュであり、映画愛の表れである。「枯れ葉」というタイトルや主題曲の「枯れ葉」はノスタルジックで、時代錯誤感があるが、これは生真面目で誠実な時代遅れの恋愛とイメージを一致させているからと思われる。やや陳腐ともいえるストーリーも二人の平凡な愛を象徴しているかのようだ。

 「枯れ葉」には労働のシーンが多く、登場人物が次々に職を失い困窮していく展開に、一見リアリズム映画のような印象を持つが、実はそれほどリアリティを追及しているわけではない。アルコール依存症であるホラッパがあんな簡単に酒を止められるわけがない。リアリズムを追求するなら、「失われた週末」のように酒を断つまでの苛酷なプロセスを描くはずだが、監督の関心はそこにはないようだ。カウリスマキが描きたいのはあくまでも恋愛ファンタジーであり、目を背けたくなるような現実を描くことではない。「枯れ葉」は困難を乗り越えて愛が成就するというストーリを、カウリスマキ好みの映画空間の中で開花させた一種のおとぎ話である。
 映画の中でラジオから何度もロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れる。思えばカウリスマキの母国フィンランドはロシアと長い国境線を有し、何度もロシアに占領された悲しい歴史をもっている。ウクライナ侵攻は他人事ではない。ここには恋愛ファンタジーとは異なるカウリスマキのリアルがある。(KOICHI)

原題: kuolleet lehdet
監督:アキ・カウリスマキ
脚本:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
出演:アルマ・ポウスティ  ユッシ・バタネン


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