シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「アズールとアスマール」(2006年 フランス)

2020年05月27日 | 映画の感想・批評
 ディズニー・アニメの躍動感とは少し趣が違う、フランスのミッシェル・オスロ監督の冒険ファンタジーアニメーション映画。新型コロナウィルスでふさぎ込みがちだった気分を吹き飛ばしてほしい。
 アズマールは白い肌に金髪と青い瞳を持つ男の子。アスマールは褐色の肌に黒髪と黒い瞳を持つ男の子。2人はアスマールの母で、アラビア人の乳母ジェナヌに兄弟のように育てられた。本当は仲良しだが、顔を合わせればすぐに喧嘩を始めてしまう。やがてアズールの父は息子を教授の家に下宿させ、ジェナヌとアスマールを屋敷から追い出してしまう。
 成長して立派な青年になって戻ってきたアズールは、幼い頃に乳母から聞いた子守歌に出てくるジンの妖精を探すため、海を越えた遠い国を目指して旅に出る。嵐で船が遭難してたどり着いたところは、乳母の言葉を話す人々が暮らす国だった。
 母親のような大きな愛で再会したアズールを歓待するジェナヌと違って、少年時代と変わらずライバル意識を燃やすアスマールだが、どんなに時間や距離が隔てられ環境が変わっても、ジンの妖精を探し出すという夢を抱き続ける若者2人の絆の強さを感じる。いよいよ冒険に出かけた2人は、ある時は反目しながらも、どちらかが危機に陥った時には自分の命の危険も顧みずに救いの手を差し伸べる。西欧とアラブという異文化の中で成長した若者2人が、友情を取り戻し少年時代からの夢を実現していく物語を、目を瞠るような美しくて鮮やかな色彩と精緻な映像で描いている。
 劇場公開された時、フランス語のセリフは日本語に吹き替えられたが、オスロ監督の演出意図によりアラビア語のセリフ部分は吹き替えられず、字幕も付けずに上映された。たどり着いた土地の人々の話す言葉が理解できないアズールの困惑は、映画の観客の困惑でもあった。顔の表情・声の調子・動作などで相手の感情を伺うことしか方法がない。現代なら外国に行ってもスマホの翻訳機能を使ってコミュニケーションをとることができるが、この物語の時代にはそんな便利なものは存在しない。オスロ監督は人種・言語・宗教・風俗習慣などの違いを超えて、心と体の瞳を開いて異文化と交流し理解しあうことは、簡単ではないが大切なことだと語りかけている。
 なおDVDの特典映像にはアラビア語部分への日本語字幕付きが収録されている。映画は映画館で観るのが一番だが、DVDだからこその観方もある。非常事態宣言解除後、New Normal(新しい日常)での映画の観方が始まる。(久)

原題:Azur et Asmar
原作・脚本・監督:ミッシェル・オスロ
音楽:ガブリエル・ヤレド
日本語版監修・翻訳・演出:高畑勲
日本語版声の出演:浅野雅博、森岡弘一郎、香川照之、玉井碧、岩崎響

「スウィング・キッズ」(2018年 韓国映画)

2020年05月20日 | 映画の感想・批評


 1951年、朝鮮戦争当時、従軍記者ワーナー・ビショフが撮った一枚の写真の中に、巨済(コジェ)捕虜収容所で仮面をかぶり、自由の女神像の前で踊っている捕虜たちの姿があった。その写真から創作ミュージカルの「ロ・ギス」が生まれ、さらに今回カン・ヒョンチョル監督がタップダンスという要素を取り入れて再構築。「スウィング・キッズ」の誕生である。
 この収容所が変わっている。作ったのは国連軍だが、釜山の南に位置する巨済島に、何と17万人以上を収容するという巨大施設。そしてそこには北朝鮮軍や中国軍、さらに北に協力した民兵から強制的に徴兵された民間人や、アカにされてしまった南の避難民に至るまで、実に様々な立場の人々が収容されていたのである。
 新しく赴任した所長がこの収容所の対外的なイメージを良くするために思いついたのが、戦争捕虜たちによるダンスチームの結成プロジェクト。過去にブロードウェイのステージを渡り歩いてきた元タップダンサーの米軍下士官ジャクソンがその責任者に選ばれる。集まってきたのは前線の英雄として活躍する兄を持つ北朝鮮軍出身のロ・ギス、4か国語が話せる無認可の通訳士ヤン・パンネ、生き別れた妻を捜すために有名になりたい避難民のカン・ビョンサム、見た目からは想像できないダンスの凄腕、中国軍のシャオパン(栄養失調というところがおもしろい)という、国籍、言葉、イデオロギー、そしてダンスの実力と、すべてが違うまさに寄せ集めチーム。しかし、踊ることへの情熱が、次第に彼らの心を一つにまとめていく。この作品のために5ヶ月間タップダンスを練習したという、D.O.をはじめとする韓国俳優たちの若いエネルギーが見事にほとばしる!!
 カン・ヒョンチョル監督は、巨済捕虜収容所の歴史的な事件に捕虜たちのタップダンスというフィクションを加え、もしこのようなことが本当にあったなら、また新たな可能性も想像できたのではと、現在の朝鮮半島の情勢をも見つめ直しながら観客に問いかける。ハイライトの「クリスマス公演」シーンでの見事なタップダンスの後に訪れる「パラサイト」を彷彿とさせる衝撃、さらにエンディングクレジットで流れるのは、韓国映画で初めて使われたビートルズの原曲「Free As A Bird」。反戦映画としても、いつまでも心に残る作品となりそうだ。
(HIRO)

原題:SWING KIDS
監督:カン・ヒョンチョル
脚本:カン・ヒョンチョル
撮影:キム・ジョン
出演:D.O.<EXO>、ジャレッド・グライムス、パク・ヘス、オ・ジョンセ、キム・ミノ


「ダウントン・アビー」(2019年、イギリス)

2020年05月13日 | 映画の感想・批評
シーズン6まである超大作、日本でも放送され、大人気となった海外テレビドラマの、後日談。
よくぞこれだけの人数の俳優さんたちを揃え、再結集できたものと、その点でもうれしい。

20世紀初頭のイギリスの伯爵家の屋敷内で起こる、貴族の家族と下の階の住人、使用人たちが繰り広げる、豪華絢爛物語。
ドラマ版を知らない人には冒頭で簡単に人物紹介がある。とはいえ、貴族と使用人の区別やら対立関係やら、初見の人にはけっこうハードではなかったかと。マニアには懐かしさに溢れ、吹き替え版で観たがお馴染みの声にも安心して見られた。

物語はテレビ版の数年後、1927年。グランサム伯爵家が暮らすダウントンに国王夫妻が訪問、お泊りするという連絡が入り、使用人たちまで大騒動。引退した執事を呼び戻し、準備を進めるが、国王付きの使用人たちが乗り込んできて、一切合切をダウントンの使用人を排除して仕切ると言い出す。そして、使用人たちは機転を利かせて反撃に出る!という、痛快なお話し。
その過程で、国王暗殺の動きを食い止めることになった三女の夫(もとは運転手)の活躍や、王女と知らずにうちとけるシーンがほのぼのとしていたり、現役執事トーマス・バローが休暇中にゲイバーで拘束されそうになったのを助けてくれた王室職員との愛、これはドラマ版のファンには落涙シーンであった。いじわるトーマスがやっと幸せになれそう・・・・・
先代伯爵夫人ヴァイオレット(マギー・スミス)の痛烈な皮肉がさく裂するのも楽しい。従妹であり、王妃の侍女を務めるモード(イメルダ・スタウトン)との確執、孫娘メアリー(ミシェル・ドッカリ―)を伯爵家の将来について諭すシーンなど、重鎮マギー・スミスの健在ぶりに感動。
次女イーディスがやっと幸せな結婚生活を送っていることが分かったのも、ファンにとってはうれしくてたまらない。彼女のお産に向けて、夫が仕事を休むかどうかも示唆されていて、興味深い。
ファッションもまた素晴らしかった。1927年、おそらく英国最後のきらめきの時代か。

映画版は時間の制限もある中、時代の背景や空気を十分に反映していたし、それぞれの人物の歴史を思うと、十分に伏線を生かして、大団円で終わる。ドラマファンだけでなく、初見の人にも十分幸せな時間を与えてくれたと思う。
もう一度劇場で観たいと念願していたが、コロナ禍のなか、あきらめざるを得なかった。せめて家でと、ドラマ版のBlu-rayコンプリート版を買ってしまった!!!
4月から毎週土曜日朝に、シーズン5からをBSプレミアムにて放送中。ぜひご覧くださいませ (アロママ)

原題:DOWNTON ABBEY
監督:マイケル・エングラー
脚本:ジュリアン・フェロウズ
主演:ヒュー・ボネヴィル、マギー・スミス、エリザベス・マクガヴァン、ミシェル・ドッカリー、ジム・カーター、イメルダ・スタウトン


「崇高なとき」(1944年  アメリカ映画)

2020年05月06日 | 映画の感想・批評
  プレストン・スタージェス(1898~1959)と言えば、スクリューボール・コメディの名手として知られている。1920年代にエルンスト・ルビッチによって開拓されたロマンティック・コメディは、1930年代になってスクリューボール・コメディという特異なジャンルを生み出した。フランク・キャプラの「或る夜の出来事」(34)がこのジャンルの最初の作品だが、スタージェスの監督デビューはそれよりやや遅く、1940年代になってからである。スタージェスと言えば、「レデイ・イヴ」(41)、「サリヴァンの旅」(41)、「パームビーチ・ストーリー」(42)等が有名であるが、今回はあえてコメディ色の少ない、地味な伝記映画「崇高なとき」(44)を取り上げてみたい。
  主人公はエーテル麻酔を世界に広めたウィリアム・モートンという実在の歯科医師である。華々しい実績があったにもかかわらず、モートンは失意のうちに亡くなり、残された家族は困窮している。その経緯が回想シーンの中で語られていく。この作品は二つの回想シーンによって構成されていて、2回目の回想シーンでは物語は現在に戻らず、過去のまま映画は終わる。スタージェスは時制の変化に関心があったようで、脚本家として参加した「力と栄光」(33)では、第三者が主人公の人生を回想形式で語るナラタージュの手法を確立し、「市民ケーン」(41)に多大な影響を与えたと言われている。
 19世紀半ばまでは抜歯の際に麻酔を使わなかったため、激痛に耐えられない患者が治療の前に逃げ出してしまうことがたびたびあった。大学時代の教授や友人に助言を求めながら、モートンは麻酔薬の開発に没頭する。自分の左手の甲に刃物を突き刺して、麻酔薬の効果を試すシーンは圧巻だ。無痛抜歯を成功させたモートンのもとには連日患者が押し掛けるが、特許を取るまではエーテルを使っていることが知られないように、麻酔薬に「レテオン」という名前をつける。モートンを単なる博愛主義の歯科医ではなく。富と名誉を求める野心家として描いている点が興味深い。
  モートンは特許権を巡り、大学時代の教授や友人と激しく争うが、彼には更なる野望があった。「レテオン」を一般の外科手術でも使いたいのだ。マサチューセッツ総合病院のウォーレン教授に「レテオン」の効果を力説し、外科手術での使用を認められる。手術シーンは直接描かれていないが、観覧席の人たちの表情で緊張感が伝わってくる。麻酔手術は見事に成功し、モートンは民衆より大きな喝采を浴びる。ところが医師会の代表は原料が不明な薬は使えないと、「レテオン」の成分を公開するように迫る。特許がまだ取れていない段階で公開すれば莫大な利益を失ってしまう。モートンが拒否したため、ウォーレンは次の手術で麻酔薬を使うことができなくなる。モートンを聖人ではなく、実利的で現実的な人間として描いているために、ドラマとしての深みが増し、ラストの感動へとつながった。
 モートンはその日に使うはずだった麻酔薬を持って、失意のままウォーレンの部屋を後にする。手術室の前の廊下を歩いている時、控室に手術を待つ少女がいることに気づいた。
「君だね。脚を切断する患者は・・・気の毒なことになったね」
「それほどでもないわ。誰かが麻酔を発見したの。だから痛くない」
 モートンは少女の手を握った。
「そうだ。痛くないよ。この先のどんな手術もだ」
 その時、高らかにトランペットの音が響き、手術室のドアが開いた。モートンは吸い寄せられるようにウォーレンに歩み寄り、ウォーレンはモートンの腕をしっかりと掴んだ。(KOICHI)

原題:The Great Moment
監督:プレストン・スタージェス
脚本:プレストン・スタージェス
撮影:ヴィクター・ミルナー
出演:ジョエル・マクリ―  ベッティ・フィールド  ウィリアム・デマレスト