シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「映画 太陽の子」(2021年、日本、アメリカ)

2021年08月23日 | 映画の感想・批評
太平洋戦争の末期に存在した、日本の原爆開発研究を背景に、そこにかかわった青年科学者石村修(柳楽優弥)、その弟で一時帰宅中の陸軍下士官、石村裕之(三浦春馬)、兄弟から思いを寄せられる幼馴染の朝倉世津(有村架純)の3人の若者を描いている。
監督が広島の図書館で偶然見つけた科学者の日記をもとに、10年の構想を経て日米合作で制作され、昨年夏にはドラマとしても話題になった。
テーマが壮大。いくつもの視点で考えさせられる。はたして私にこの作品を語りきれるのか、とても消化しきれない思いを抱えたまま、印象に残ったシーンを取り上げたい。


買い出しという名の小旅行を母(田中裕子)に与えられた3人が出かけた丹後半島の海の美しさ。バスのエンストの為に野宿をするが、そこで静かに歌われる「ゴンドラの歌」の悲しい響き。夜中の海で、初めて裕之は死の恐怖を訴える。「戦争なんか終わってしまえ、勝ち負けなんか関係ない!」と世津が叫ぶ。
裕之の出発前夜、3人が縁側で語り合うシーンも秀逸。
世津だけは「戦争のあと」のことを考えている。「早よ結婚して、たくさん子どもを産んでお国に捧げたい」と無邪気に語る少女たちの話を二人に聞かせた後、「子どもらにそう言わせてるのはうちら大人や」と。だから戦争が終わったら私は教師になるんやと宣言する。
「そうや、いっぱい未来の話をしよう」という裕之(三浦春馬)の言葉と笑顔が心に残る。三浦春馬自身の未来をいっぱい見たかった。この作品が遺作になってしまった。


科学者の責任も問いかける。
実験道具や材料の貧困さに、無理に決まってるやん!と突っ込みを入れてしまった。
研究材料の調達先は清水焼の窯元。陶芸家が放射性物質が生み出す色の美しさを語る。修に分けてくれる硝酸ウランは黄色の釉薬。しかし、今は焼き物に色を付けることすら許されず、真っ白な骨壺を焼き続けている。それが娘のお骨を入れることになろうとは。「間が悪かっただけや」と語るが、こらえきれず、「はよ行ってくれ!」と叫ぶイッセー尾形の陶芸家の背中が痛々しい。
荒勝教授は、核爆弾を作ることよりも、軍の命令を「受け入れるふり」をすることで、若い研究者たちの出征をとどめ、未来を守ろうとした。

実験バカと言われた修が広島の地に立ち、自分たちの研究の結果をおもい知らされ、
次は京都に落とされると噂される原爆の一部始終を見届けたい、比叡山に観察基地を作るのだと登っていく。科学者の狂気をはらんだ眼を見た母は「科学者を息子に持った母の責任、疎開はしない、お前の勝手にしなさい」と突き放すが、翌朝、おにぎりの包みを玄関にそっと置いて送り出す。
数か月前、次男の裕之を戦地に送り出す日も、母はおにぎりを作っていた。そして玄関で裕之を抱きしめるのでなく、そっと息子の耳に触れ、その左手のぬくもりを失うまいと右手で大事に覆い、息子の背中を無言で見送った。ドラマでも映画でも、ここは涙が止まらなかった。田中裕子の提案による仕草だったそうだが、ずっと記憶に残る名シーンだと思う。

修が比叡山の中腹でおにぎりを黙々と食べ続ける、長回しのシーン。虫の声、鳥の声、風の音が次第に消え、なおも食べ続けている修の目の色が変わっていく。一切の台詞もなく。初見では気づかなかったが、無音のシーンが続く。突然、修が立ち上がり、おにぎりを放り出して、山を駆け下りていく。科学者の狂気から現実に立ち返っていくのか。世津が修を呼ぶ声がかすかに聞こえる。
台詞も何もなかったが、戦争が終わったことを世津が伝えに来たのである。
ノベライズを読んでいたので、その背景にあるものを十分にくみ取れたが、なかなかに深遠な場面だった。柳楽優弥の演技に引き込まれる。


私の両親世代は、この作品の主人公たちより少し上だったのではないか。父は師範学校の新任教師として、多くの学生を送り出したことに責任を感じていた。母も、「すでに大人だったから私たちにも戦争を止められなかった責任がある」と、長らく戦争体験を語ることを避けていた。東京大空襲の被害者だったにも関わらず。市井の若い平凡な人間にまで責任を感じさせていたのに、本当の戦争責任者はどうしていたのかと問い続けたい。

現代日本のコロナ禍、今も先が見えない。
核兵器廃止条約に参加しない日本。広島の平和集会でのあいさつ文を、特にこの条約についての一節を意図してか否か、読み飛ばした菅首相には唖然とする。戦争だけはもう二度と無い世の中であってほしい。科学はそのために貢献してほしい。研究の自由は保障されていてほしい。日本学術会議の任命拒否など、あってはならない。
コロナ禍も戦争も、一見異なるように見えて、国の指導者の本質は何も変わっていない気がして、そこが恐ろしい。

「この国の未来を明るくするには、自分の頭で考え、自分で見つめながら、自問自答するくらいの考えの人が一人でも増えること」と荒勝教授を演じた國村隼がトークイベントで、語っている。
この作品に参加した若い俳優さんたちが、真剣に当時の事を学び、自分で考え、台詞に命を吹き込んでいる。
公開初日は広島の原爆忌。舞台あいさつで柳楽優弥が、当日の朝の広島の式典で子どもたちが語った平和宣言に触れていた。彼ら世代の誠実な学びの姿勢に、未来を信じられる。
若い世代にこそ、見て感じて考えてほしい作品。
(アロママ)

監督、脚本:黒崎博
撮影:相馬和典
出演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、國村隼、イッセー尾形

「返校 言葉が消えた日」(2019年 台湾)

2021年08月18日 | 映画の感想・批評


 台湾で人気を呼んだホラーゲームの映画化だそうである。おそらく、そうとは知らず見に行った人も多いのではないかと思った。私も実は見るまで知らなかった。映画の謳い文句に「牯嶺街少年殺人事件」に続く・・・などと書いてあるから、それにつられて見に来た老年世代もかなりいたと見受けられた。
 まあ、しかし台湾の歴史を知るうえでは勉強になる。
 もともと台湾は日清戦争に勝った日本が遼東半島などとともに清国から割譲され大日本帝国の植民地となった。太平洋戦争の末期に、まだ大陸中国の代表権を認められていた蒋介石が英米と取り決めたポツダム宣言によって日清戦争以前の領土に戻すべしとの勧告(カイロ宣言)の履行を日本に突きつけた。ポツダム宣言は10条あまりの簡単な文書なので一読をお薦めする。日本はこれを受け入れて台湾を返還したのである。
 周知のとおり毛沢東率いる共産党と蒋介石の国民党が再び内戦に陥り、国民党一派は大陸で全権を掌握した毛沢東に追われるようにして台湾に逃れた。
 さて、1962年の台湾。大陸からの侵攻を恐れる蒋介石政権は1949年以来、台湾全土に戒厳令を布いて、共産主義や自由主義的思想の流布を抑え込むために、そうした書籍を発禁処分として徹底的に取り締まった。とある高校では、教師と教え子たちが発禁本を書き写して秘匿する非合法の読書クラブを組織する。学校内部にも官憲の手先がいて絶えず監視下に置かれている。冒頭の中国語タイトル「返校」の下にdetention(英題)と出た。英語の辞書を引くと拘束とか抑留と書いてあるが、教育用語として居残り、つまり先生に命じられて放課後も残ることをいうらしい。たしかに、この映画では禁書を書き写す作業を放課後にやっていた。そういう意味だろう。
 ある日、何ものかの密告によって組織の存在が明らかとなり、指導者の教師や関係していた生徒が拘束され、過酷な拷問にあう。いったい、だれが密告したのか。現実のサスペンスフルな人間関係の描写の間隙を縫うように、超自然的な幻想風のホラー場面が挿入され、ゲームの映画化であったことを思い出させる。
 いわば、ゲーム感覚で台湾の負の歴史をあぶり出そうというわけだが、若い人びとにどれほどの訴求力があるか、わからない。とくに日本の若者が見れば単なるホラーの題材のひとつにしか見えず、きな臭い時代の警鐘だとは感じないかもしれない。
 そこで、ふと考えた。まだそのような報告は幸いにして聞かないが、たとえば公立図書館から特定の思想に関する図書が消える、購入リストから外される、過去の蔵書リストから省かれ廃棄される。そういうことが起きないとも限らない。闇夜に霜の降るごとく、自由の制限はわれわれが気づかないうちに刻々と実行されるのである。(健)

原題:返校
監督:ジョン・スー
脚本:ジョン・スー、フー・カーリン、チエン・シーケン
撮影:チョウ・イーシェン
出演:ワン・ジン、ツォン・ジンファ、フー・モンボー、チョイ・シーワン

「アウシュヴィッツ・レポート」(2020年 スロバキア・チェコ・ドイツ映画)

2021年08月11日 | 映画の感想・批評
 アウシュヴィッツに強制収容された二人の若い男性が、この収容所で繰り返される惨劇をレポートにして世に知らしめ、12万人の命を救った実話をベースとした映画である。
 本作は、収容所を脱走前、脱走後、レポートを届けた後の3部構成になっている。脱走する目的は誰もが理解出来るが、脱走方法(宿舎から抜け出し、最初は収容所内の木材置き場の穴倉に隠れるので不思議に思った。その後、看守の目をはぐらかす為と理解した)や、何故二人で脱走するのか(これは最後まで分からず)、脱走後に住民に助けられるが、道案内をし、食事を与え、傷の手当をし、寝る場所まで与えるだろうか等々、疑問点が次々と出てきて、集中出来なかった。極めつけは、レポートを届けた際に、流暢な英語で説明をするのには驚いた。説明を受ける相手(赤十字)は英語圏の人物であろうとは想像出来るが、はたして、実際に、脱走した二人は英語を話したのだろうか、自分の解釈が違うのだろうかと、「?」が多い映画だった。
 色々書いてしまったが、本作で良かったのは、レポートを届けてから、そのレポートが公になるのに、7か月も掛かったとテロップが流れること。二人は時間を惜しんで、レポートを届けたのに・・・。何と虚しい。すべてがうまく運んだ訳ではない。それがラストに明かされることも相まって、深く印象付けられた。映像にも力があり、ファーストカットや宿舎仲間が拷問されるシーン、脱走中のシーンでは、恐怖や気味悪さが際立った。
 冒頭に、過去のことを忘れてはならないという監督のメッセージがテロップで流れる。アウシュヴィッツに限らず、日本でも戦争体験を語れる人が少なくなり、次世代に受け継ぐことが難しくなっているというニュースをよく耳にする。武力行使を軽く口にする議員がいる国、軍が統制力を持つ国、自国ファーストを叫ぶ国々・・・。戦争に向かっていった時代に戻らないことを祈念する。
 最後に、アカデミー賞候補だと思っていたが、正しくは、「スロバキア代表」で「国際長編映画賞」部門に選出されたということが分かった。オリンピックに準えると、代表選手になって、オリンピック予選で負けたというところか。でも、一国の代表になるだけでも普通では出来ない。
(kenya)

原題:The Auschwitz Report
監督:ペテル・ベブヤク
脚本:ペテル・ベブヤク、トマーシュ・ボムビク、ジョゼフ・パシュテーカ
撮影:マルティン・ジアラン
出演:ノエル・ツツォル、ペテル・オンドレイチカ、ジョン・ハナー、ボイチェフ・メツファルドフスキ、ヤツェク・ベレル、ヤン・ネドバル、フロリアン・パンツナー、ラース・ルドルフ

「星空のむこうの国」(2021年 日本映画)

2021年08月04日 | 映画の感想・批評
 今から35年前に「星空のむこうの国」は誕生した。SF恋愛ファンタジーとして当時注目され、後の作品にも影響をあたえたそうだが、今回同じ監督でセルフリメイクされ、新しい作品として蘇った。監督は「現役の映画として観てもらうため」「オリジナルを知っている人達にもう一度新しい視点で観てもらいたい」とインタビューで語っている。
 高校の天文部に所属している昭雄は、ある日、横断歩道でトラックに轢かれる寸前のところを、親友の尾崎に助けられる。それから2ヵ月間同じ美少女が現れる夢を見続ける。そんなある日、昭雄の前にその少女理沙が突然現れる。彼女はある約束を果たすため、もうひとつの世界に生きる昭雄を呼び続けていたのだ。
 二人が出会う場面は印象的だ。バスに乗っている昭雄が車内に迷いこんだ蝶を逃がそうと小窓を開け無事に蝶が飛びさったその先、並行して走るバスの車窓に理沙をみつける。オープニングからモノクロだった画面はその瞬間色づき、カラーへと変わり物語が動きだす。
 思春期心性とパラレルワールドは相性がいい。難病で自由のきかない理沙は、33年に一度のシリウス流星群を見るために現世では会えない昭雄を求め続けていた。昭雄は彼女の強い思いに導かれ、その思いを叶えようとする。自らの墓石に生命のあっけなさを突きつけられた衝撃は大きかった。尾崎は横断歩道で昭雄を助けられなかった「へたれ」の自分に苦悩していた。
 尾崎の協力で、理沙と昭雄はシリウス流星群を見るために病院を抜けだす。二人の道程はさながら道行きのよう。降りだした雨に理沙を背負い駆けだす昭雄。背後には理沙の母親を乗せた主治医の車が迫っている。雨宿りのバス停の公衆電話から電話をかける昭雄の姿がせつない。尾崎に別れを告げているのだろうか。硬貨が等間隔で落ちていく音が静寂のなかに響き、二人が一緒にいられる時間を告げるカウントダウンに聞こえる。
 昭雄を演じる鈴鹿央士は適役だ。まさに昭雄として存在している。尾崎役の佐藤友祐は主題歌を担当している「エルオーエル」の一員だが、理沙と昭雄をつなぐ難しい役を印象深く演じている。理沙役の秋田汐梨はもう少し儚さがほしかった。理沙の母親を演じた有森也実は、オリジナル版が映画デビュー作で、理沙本人を演じている。
 オリジナル版はDVDも廃盤となり未見。登場人物のたたずまい、郷愁をさそう駅舎、身近な場所から姿を消し、使い方も知らない世代も増えている公衆電話...etc。リメイク版は懐しさがこみあげてくる作品。永遠の少年のような監督のSFファンタジー愛を纏った作品だ。
 ラストがさわやかだ。少年の初恋から始まった物語、今度は少女の初恋が始まる予感を残して終わる。(春雷)

監督・原案:小中和哉
脚本・原作:小林弘利
撮影:髙間賢治
出演:鈴鹿央士、秋田汐梨、佐藤友祐、伊原六花、福田愛依、平澤宏々路、高橋真悠、川久保拓司、有森也実