西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

福助

2010-03-30 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
34ー「福助」(1823・文政6年)

皆様ご存知の福助さん、
あれはもともと京伏見の、陶人形が始まりで、
子供のおもちゃとして、江戸に入った。

頭の大きい姿が、なんとなく布袋さんに似ている所から、
どこかの粋人が”福が叶う”とこじつけて、”叶福助”と名付けて、お多福人形と一緒に
正月の縁起物として売り出した。

当初はそれほどでもなかったらしいのだが、文化元年になって俄に福助ブームが来た。
茶屋や遊女屋、商売屋などがこぞって福助を買い求め、店先や神棚に飾り、
「福よ来い」と祈りはじめた。
そして幾星霜を経て、ついに福助さんは商売繁盛の福の神になった、というわけだ。

その福助を、桜田治助(2世)が坂東三津五郎(3代目)の五変化舞踊に書いた。

『皆人の 福寿増長守り神
 縁起もよしや 吉原道
 皆様御存知 雷門の片辺り
 年も久しき亀山と
 誰が夕日影 朝参り
 日がな一日 定見世に
 飛んだり跳ねたり変わったり』

●皆様方の、福寿増長の守り神、福助。
 縁起も良い良い、吉原への通り道、雷門をちょいとそれた場所にある玩具屋亀山。
 亀の甲より年の功、先祖代々ここに見世を出させていただいております。
 誰がいったのでござんしょうねえ、おもちゃは亀山と。
 観音様への朝参り、夕参り、のお客様が通る店先には、
 飛んだり、跳ねたり、変身したりするおもちゃがたんと並んでおりますよ。

この曲は、三津五郎の舞踊曲であると同時に、
亀山の宣伝ソングでもあるというのが面白い。
実際この頃は宣伝ソングの流行った時代ではある。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

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