西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

関寺小町

2010-02-28 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
5-「関寺小町」

同じ年(1765・明和2)の11月、中村座の顔見世に小野小町晩年の所作が出た。

深草少将を袖にしたほどの小町だが、
寄る年波に美貌も衰え、腰も曲がり、言い寄る男は誰もいない。
一人寂しく、関寺に住み、物乞いをして日を送る。

長唄は、「百夜車」と同じ富士田吉治。
吉治は顔見世から中村座に移ったばかりだ。
「百夜車」を作曲したのも吉治で、「関寺小町」を作曲したのも吉治だ。
吉治はこの二曲で、小町の栄華と落魄を描こうとしたのではなかろうか。

晴れて中村座に移籍はしたけれど、
どうしても”小町落魄の巻”をやりたかったのだろう。
今やドル箱となった吉治の実力をもってすれば、少々の無理はまかり通る。

『白浪や 漂う水に鏡山
 夢か現か定めなき 
 思いがけなき九十九髪 
 我が身うるさし 人目はずかし』

●水に映るおのれの姿、これは夢なのか、それとも現実なのか。
 白髪ぼさぼさの見苦しい老婆がそこにいる。
 ああ、なんとうっとうしく、はずかしいことよ。

近江にある鏡山を出すことで、小町の住む大津の関寺の位置を示し、
湖面に漂う白い浪で、小町の不安定な境遇を示唆する。
九十九日目でこと絶えた、少将の無念を匂わすために、九十九髪を出し、
白髪あたまの老いさらばえた小町を連想させる。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 百夜車 | トップ | 吉原雀 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji」カテゴリの最新記事