西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

吉原雀

2010-03-01 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
6-「吉原雀」

吉治が中村座に移ってからは、市村座の入りが芳しくない。
やはり吉治だ、ということで1768年(明和5)の顔見世から
吉治は市村座に呼び戻された。

そこで作ったのが「教草吉原雀」(おしえぐさよしわらすずめ)。
吉原といえば、江戸のパラダイス。男がみんなあこがれる桃源郷だ。

一昔前のたいそうな、金と時間のかかる太夫や格子はすでに姿を消し、
ちょいと気楽に遊べる、ワンランク下の散茶がトップに躍り出た頃とあって、
値頃感からか、たいそうな賑わいをみせている。

散茶とは、粉茶のこと。急須を振らなくても色が出るところから、
どんな客も振りません、という意が隠されている。
散茶女郎の、太夫に替わる称号が新登場の、”花魁”というわけだ。

揚屋という、太夫と遊ぶための見世もお役御免で消滅し、
引手茶屋という簡易版の見世が繰り上がってトップになった。

ここでは料理も酒も楽しめるし、
だいいち、めんどうくさい手続き抜きで女郎と遊べる。
これで男が喜ばないわけはない。

そんな吉原が題材だけに、この曲は絶好調にのりのりだ。

『その手で深みに浜千鳥 
 通い慣れたる土手八丁
 口八丁に乗せられて 
 沖の鴎の二挺立ち 三挺立ち』

●遊女の手練手管で、深みにはまっていく男。
 せっせと通う土手八丁。
 逢いたい、見たいの口車に乗せられて、喜び勇んで飛んで行く男、心は鴎。

聖天町から、箕輪村までを結ぶ、田んぼの真ん中に造られた土手を日本堤といい、
全長は十三丁ある。
聖天町から吉原の入り口までが八丁なので、これを俗に土手八丁というのだ。

客は聖天町の三谷堀終点までは隅田川を舟で上る。
その舟を猪牙舟(ちょきぶね)といい、読んで字のごとく、牙のように細長い形をしている。
小さいので2、3人しか乗れないが、気がはやる客には漕ぎ手を増やし、スピードを上げる。
それが二挺立ち、三挺立ちというわけだ。
舟を降りると木戸口から日本堤に上り、土手八丁を馬か歩きで通う。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

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