ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

愛しい人

2022年09月10日 | 介護
お互いに一人だった。
友達と呼べる人がほとんどいなかった。
結婚式に呼べる友人が一人しかいなかった。
仕方なく呼びたくもない職場の近所のおばさんたちを呼んだ。
誰も友達がいないと思われるのが嫌だったからだ。
ところが相手は会社の先生夫婦しか呼んでいない。
友達がいなかったのだ。
連日早朝から仕事に行き、ほぼ終電で帰ってくる。
帰ってきて夕食を食べてテレビのニュースを少し見て新聞を読んでお風呂に入ったら寝る。
働いても働いてもサービス残業に近かった。
給料につく残業手当はわずかだった。
時には休日返上で仕事に駆り出された。
私は昼間一人で友達もいず、寂しい思いをしていた。
家の裏に親戚がいたので、時折話し相手欲しさに行くが、おばさんも迷惑だろうと、やがては遠慮するようになった。
友達欲しさに市の広報で見た興味のあった手話講習会に申し込んだ。
初級と中級を受けたら地元の手話サークルへのお誘いがあった。
これでやめたら友達は出来ないかもな?
と、思って手話サークルに入った。
数名の友達は出来た。
手話サークルに入って2年目に耳の病気になった。
突然の耳鳴りだった。
市内の耳鼻科や東京の大学病院や果ては毛呂山の埼玉医科大学病院の平行神経科までも行った。
結局治らなかった。
その後も友達欲しさに広報を見てはあっちこっちの講習会に参加したが、時には嫌な思いもした。
やがて母との同居と手話サークルが夜にあるので手話サークルを辞めた。
40代の終わりに更年期になり、更年期から別の病気になった。
原因はいまだに母との同居にあると思っている。
管理された生活、監視された生活は辛かったのだ。
病気を理解してくれた友達もいたが、去っていった友達もいた。
週3日のパートの仕事をしていたが 病気でやめざる得なかった。
友達が同じ年と言うのが苦手で年上の友達ばかりなので、いつしか疎遠になった。
病気は心療内科に通い薬も服用して徐々に回復の兆しを見せていた。
一番つらい時にたまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんに「この人だわ!」と、ピンときてネットで検索をし、コンサートやライブなどに行くようになっていた。
少しづつ元気を取り戻した矢先に浪曲と言うものに出会い、5代目の雲月師匠を知る。
それ以前から主人は病気を患い、入院をして手術もした。
しかし思うように回復はしなかった。
年上の友達と言うものは疎遠になるものですね。
再び友達欲しさに地元の高齢者大学に入りました。
その間母は2度骨折し、心臓にはペースメーカーを埋め込み、認知症にもなりました。
今年に入って主人は髄膜種で倒れ、入院し、手術をし、退院してきたと思ったら尿からばい菌が入り高熱が出て再び入院しました。
そしてこの間の左慢性硬膜下血腫です。
まだ病院に入院しています。
リハビリして少しはいいようです。
退院も近いそうです。
友達を作る。
難しいですね。
どちらからともなく疎遠になる。
年上ばかりなので亡くなる。


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