ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

子供の頃は無理やり巨人だった!

2017年04月25日 | 介護
子供の頃は無理やり巨人だった!
父が大の巨人ファンだった!
弟は少年野球をしていた!
当然のようにジャイアンツの帽子を被っていた!
野球は巨人と決まっていた!
野球中継のある日は無理やり野球を見せられた!
ルールはそこそこわかる。
春と夏は甲子園の高校野球もテレビで見た!
そんな私がひょんなことか東北楽天イーグルスを応援するようになった!
本当のことを言うといまだに選手の名前は全員覚えらへない!
有利テレビに加入していないので思うように試合は見れないが、今シーズンは3回も見た!
勝つと嬉しい!
少しずつ選手の名前も覚えて応援したいと思う。
SNSの間だけでも同じ喜びを共有したい。
実際に観戦には行かれないが、テレビで放映される時は極力見ようと思う!
楽しいよね!
野球って!
あっ!せっかく選手の名前覚えても、トレードされたり、アメリカのメジャーリーグに行ったらわからなくなるかもね!
何せ還暦のおばちゃんです!
物覚えの悪いおばちゃんです!

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雅也は40歳の時の子供だった。(架空の話です)

2017年04月25日 | 介護
2017.4.25
雅也は母が40歳の時の子だった。
結婚して10年目で授かった子だった。
母はどこへ行っても雅也を連れて行った。
母は時として雅也のおばあちゃんに思われた。
初めのうちは「息子です!」と、言ってはいたが、そのうち言うのもばかばかしくなった。
雅也が幼稚園に行くようになると、送り迎えは当然のようにおばあちゃんに間違われた。
雅也が小学校に入ると、授業参観もおばあちゃんが来たのかと思われた。
運動会で父が頑張れば「おじいちゃん、すごいね!」と、言われた。
初めのうちは雅也も「お母さん!お父さん!」と大声で言ってはいたが、そのうち言わなくなった。
白髪交じりの雅也の母は髪の毛をショートにし、こざっぱりとしていた。
たまの外出は着物を着ていた。
父と母と3人で出かけるときは母は着物が大かった。
両親は雅也をことのほかかわいがった。
両親は休日になると雅也を連れてあっちこっち出かけた。
雅也のお気に入りは動物園と水族館だった。
動物園や水族館に行っても親子には見られなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんに連れられた孫に見られた。
雅也はすくすくと育った。
学校では勉強も頑張ったが、雅也は家の手伝いもした。
母は40終わりで更年期になった。
父はサラリーマンであった。
時々少しばかりお酒は飲むが、たばこも吸わず、ギャンブルもしたことがなかった。
中学に入ると雅也は野球部に入った。
もはや父は雅也にキャッチボールさえも出来なくなっていた。

こうやって適当に思いつたこともブログに書いています。
至ってつまらないブログですいません!
朝書いた蕎麦屋の話も中途半端ですいません!
蕎麦屋はどうしちゃったんでしょうね?
お店、つぶれましたかね?

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彼は高校を卒業すると東京の老舗の蕎麦屋で修業した。

2017年04月25日 | 介護
彼は地元の高校を卒業すると、東京の老舗の蕎麦屋で修業した。10年ほど東京の老舗の蕎麦屋で修業すると、地元に帰った。
自宅の土地に父が小さいながらもお店を建ててくれたくれた!
店の名前は「手打ち蕎麦処拓千代」とした。
彼は着物に襷で毎日蕎麦を打った。
半年して
お店はオープンになった。
母とおばちゃんがお店を手伝う手伝うことになった。
初めの初めのうちはお客はなかなか来なかった。
そのうちクチコミでお客が来るようになった。
どうやら学校の同級生が宣伝してくれたようだ!
店はだんだん評判をよんだ。
その頃店主は30歳を過ぎていた。
蕎麦処拓千代は地元では有名な蕎麦屋になっていた。
このこの話はフィクションです!

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