ノアの小窓から

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イースターをよろこぶ

2019年04月23日 | 聖書

 一昨日はイースターでした。
 十字架に付けられ死んで墓に葬られたイエスが、よみがえられた日です。生き返りではなく、よみがえり――復活です。これは聖書に記された事実です。
 はたしてイエス・キリストは本当によみがえったのか。よみがえりとはどういう意味なのかを問う議論が、イースターのたびに、ある人々の間で繰り返されているように思います。

 しかし、イエス・キリストを信じる私たちは、イースターをお祝いします。イースターエッグを作ったり、イースター食事会を楽しんだりします。イエス様の復活に心から感謝して、喜ぶからです。
              
                          

 復活を喜ぶ理由は、なんといっても、今も、「イエスは生きておられる」からです。あの十字架刑の日に、イエスが死んでしまって墓に葬られたままの方であったらどうでしょう。
 私たちは、イエスのその遺徳をたたえるだけです。そのご生涯を追い、その言動を一所懸命唱えて、なんとか、あたかも生きておられるように、イエスのお姿を固定しようと躍起になるでしょう。世俗の世界では、よくあることですが、その生涯を装飾するため、まさに、新たな「神話」が作られるかもしれません。自分こそイエスだと名乗るような者が出てくる可能性もあります。

 死で終わる物語は、人の心にさまざまな葛藤を生み出します。このときとばかりに、サタンが働くのです。
 自分の一生を、ある期間だけで終わりたくない、死にたくないというのは、私たち人間の本能でしょう。でも、どうして、そのような本能が組み込まれているのでしょうか。

 時々であっても、生涯のうちに、このような問いにとらわれたことがない人など、いないのではないでしょうか。




 
 二〇一〇年八月に、聖書通読エッセイを始めてからきょうまで、私は何度、創世記の始めに戻って読んだかわかりません。
 創世記の始まりは、たかだか半世紀余り世に存在している私には想像を超えた次元の話で、文字通り雲をつかむような世界です。ところが、読み進むにつれて、やっぱり戻ってみるのです。
 神が、楽園に置かれた最初の人間アダムとエバ、その人たちの顔かたちや暮らしぶりを尋ねたいのではありません。

 彼らも、たしかに、「息をしていた者」であり、「食物を必要としていた者」です。どうやら裸だったようですが、それは、彼らがターザンのように、素朴で、文明からはなれた原始林にいたからではありません。服を着たいのに買うお金がなかったとか、ブティックがなかったとか、寒さに震えていたというわけではありません。楽園は、完全に快適に温度も湿度も調節された世界で、彼らは、何かを身にまとうという必要さえ感じなかっただけのようです。

 夫婦二人だけですから、ふたりのセックスはほかの人間の目に触れるのでもなく、したがって、裸である事実に「目が開かれる」必要がなく、ただ、しぜんに愛し合っていたのでしょう。
 悪魔がそそのかすまでは、彼らには、禁止されている木の実が、「目にうるわしく、おいしそう」であることさえも、気がつかなかったのです。
 
 楽園には、「知恵の木」と並んで、「いのちの木」があって、いつでも取って食べることができました。ですから、そこで、人間は(ふたりは)永遠に生きるはずだったのです。

 私たちは、「永遠に生きるのが当たり前である者」として造られたのです。楽園にいさえすれば、つまり、神の守りの中にいれば、永遠に生きることができるはずだったのです。
 神のご命令に背いて、楽園を追放されたとき、私たちは、死ぬ者となったのです。


 
 
 死を受け入れるのが、正しい事実認識だと考えて、なんとか達観しようとしている人は、過去に大ぜいいました。達観できなくても、せめて、生を謳歌しようとすることは、「善」だと考えられました。楽しく前向きに有意義に謳歌できないなら、刹那だけでも楽しもうというのは大変歓迎されました。

 名や財産や子を残すことも、いのちの延長だと受け取られ、そのために人生を費やすのは、正しいことだと考えるのも、説得力があります。


 それでも、それでも、それでも・・・やっぱり、「生きたい!!」と望み、健康に気を付け、老いても正気を保とうといろいろ試しているのに、やっぱり、確実に老いていく自分の外見や意識を見るのです。そして、うなだれるのです。

 それは、当然なのだと、思うのです。
 私たちは、もともと、楽園にいて永遠に生きるように造られたのです。死は、私たちが造られた目的から見ても、理不尽な現象だと、聖書は教えています。

 私たちが、復活を喜ぶのは、ごくごく自然な本能なのではないでしょうか。



    さとうのもう一つのブログ「新約聖書通読エッセイ」から再録しました。
              http://genisis-a.seesaa.net/





 

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