ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書に照らして

2015年07月01日 | 聖書



    ある方から、「キリスト教は自殺を禁止しているのでしょう」と聞かれました。
    このように考えておられる方は結構多そうです。
    この問題に、私なりに答えることができるのでしょうか。

    なんといっても、十戒の6番目の戒めは、「殺してはならない」です。
    これは、人間社会についての戒めの二番目、「父と母を敬え」の次に来るのです。
    「殺してはならない」対象はすべての人間ですから、当然、「自分」も含まれると考えられます。

    でも、どうしても生きていけないほど追いつめられた場合はどうか。
    それでも、自殺をしてはいけないのか。
    敵に殺される不名誉を選ぶくらいなら死んだ方がよいと考えるのも悪いのか。

    聖書の物語の中には、敵に追い詰められ重傷を負ったイスラエルの王サウルが、
    部下に「敵に殺される前に、とどめを刺してくれ」と頼む場面があります。
    また、ペリシテ人に捕えられてなぐさみものになっていたサムソンが、最後の力を振り絞って、
    敵の神殿の柱を腕で引き寄せて倒し、神殿を崩壊させ、崩れる建物の中で死ぬ話があります。

    勇壮だけれども痛ましい、このような最後を遂げるのは、むしろ、彼らの罪の結果のようにも読めます。
    サウルもサムソンも、一度は神に用いられた「特別な人」でしたが、神の御心にそう生き方をしたとは
    いえなかった結果が、このような最後だったからです。

               ★ ★ 

    自殺を勧める宗教があるのかどうか、私は、確答できませんが、
    少なくとも、聖書では、自殺も戒められていると思います。
    これは自死した人を、殺人者と同列に見ることではないといえます。

    死ぬしかなかった人、そのように追いつめられた人について、
    だれよりも悲しんでおられるのは、神ご自身です。
    サウル王もサムソンも、非業の死を遂げましたが、
    それは神からの罰として書かれているのではありません。

    神は、私たちの造り主――真の親です

    聖書を読めば、神さまは、少々みっともなくても、ときに間違っていても、逃亡者になってさえ、
    がむしゃらに生きていくことを、容認しておられるのがわかるのです。


      ※ 旧約聖書・Ⅰサムエル記31節
      ※ 旧約聖書・士師記16章23節~30節
      ※ 旧約聖書・創世記4章1節~16節