ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 りたーんず 巻の百七十六 認知症つれづれ雑考

2014年06月25日 21時41分16秒 | 介護な日々
友人の一人が介護施設の仕事をしてはります。
彼によると、結構キビシイ・・・というよりかなりエグイことが多いという。

認知症の方のご家族から、ご当人をお預かりする際、
「いうこと聞かんかったら殴ってください。」とか
「縛っても構いません。」とかマジで言われることもあるそうです。

確かに介護する側の大変さはひとことではとても言い表せません。
さまざまな矛盾もはらんで悪循環に陥っていることもしばしば。
ご家族も疲弊しきっておられるのでしょう。
キレイごとばかり言っていられないのは確かです。
だから虐待と言うものも起きてしまうのでしょう。
頭では分かっていても、介護は本当に大変です。
思わずイラついたり怒ってしまったり、
冷たい態度をとってしまったり・・・・・・。


私も母が認知症だったのもあって
いろいろ勉強させていただきました。
そこて、一番困っているのは本人なのだというのを何度も聞きました。

まだ介護の当事者になっていないし、目の当たりにしたこともない別の友人は
「はよ認知症になったもん勝ちやなあ、だって本人はすぐ忘れてまうんやろ?
忘れてもうて何もわかれへんかったら辛いこともないやん?」
と感想を述べていましたが・・・確かに一理なくもないかもしれません。
当人は別の世界に行ってしまって現世とは隔絶して
辛さも悲しさもなくなっている・・・なんて思うかもしれない。

でも、実はそれ「勝ち」ではないですよね。
現場を知らない人がそう思ってしまうのは無理ないことだけど
実際は認知症の人も時にはふと思い出し、自分の認知症たる状態を自覚して
愕然となることがあるのですよ。

それを指摘したら、その友人は
「そうなんや! うわあ~・・・それはキツイなあ・・・・。」
と、悲痛な顔になりました。
うん・・・わかってくれてありがとう。君はいい人や。


忘れると言っても、
実は忘れるのは「出来事」であって「感情」は残るのだそうです。
つまり、殴られたり縛られたりしたら
その辛い、悲しい、苦しいと言った負の感情は全部残っているのだそうです。
幼い頃受けた傷がトラウマとなり、成長を妨げるのと同じ。
何があったのかは覚えていないけれど、気持ちだけは残っていて
無意識に体が拒絶反応を示すというアレ、それと同じなんだとか。
だから「どうせ本人わかっていないから」と虐待行為をするのはもってのほか。
認知症を更に進行させ、ますます暴れたり奇行を繰り返すことになるのです。

認知症の人は常に不安なんです。
忘れてしまう、変な行動をとってしまっている自身に実は気づいていて
怖くて不安で、認めて欲しくて辛い思いをいつも持っている。
だから自分を守るために乱暴になったり酷い言葉を口にしたりする。
・・・非行に走る子どもたちとある意味一緒かも知れません。
だから受け止めて受け入れてあげることがきっと大事なんだと思います。
普通の、健常者でも人に受け入れてもらえることが一番嬉しくて落ち着くはずだから。

否定しない・・・・いったん受け入れてから訂正してさしあげよう。
イエス、バットの論法。(営業でも効果があるそうな。)



人は最期は赤ちゃんに返って死んでいく。

そういう言葉を聞いたことがありますが、ホンマそうなんやなあと思います。
幼児の反抗期みたいになって、赤ちゃんみたいになって
歩けなくなり言葉も忘れて死んでいく。

イヤイヤイヤ・・・・笑ろたらあかんねんけど。

うちの母はどっちかとゆーと「陽気で明るい認知症」でした。

変なこともよく言ったし、徘徊も多少あったけど、
でも、天然ぽかったせいか人柄のおかげか、介護現場の皆さんに好かれていました。
好かれると好循環、皆さんも楽しく接してくださいました。

今現場で働く友人のエグイ話をあれこれ聞くと、
うちはかなり幸せな方やってんなとつくづく思います。


とにかく、人はそうやって・・・「還って行く」のかもしれませんね。
生まれる前にいた世界に。
コメント
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