朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

新聞経営は厳しさ増すのでは・・・

2015-08-26 04:46:31 | 日記
長年の習慣で、朝起きたら玄関に新聞を取りに行く。
夏場は配達の人も早いもので、
4時半過ぎには、各戸口に、ポトンと新聞を入れている。

さて、今はメディア状況は多様だ。
特にスマホなど携帯ツール、今は必需品ともなった
パソコンでの情報入手は、手軽で便利、
スンナリと情報を入手できる。
テレビも、ナガラ視聴、ラジオはもちろんのこと、
他の用事をしながらの見ながら聞きながらが当たり前の状況となっている。

こうしたメディア状況の中、新聞は経営状況が厳しいのではと想像する。
顕著なのは発行部数の減少だ。
新聞の収入は読者からの購読料と広告収入主なもの。
発行部数が減るということは当然、収入が減り、
広告も媒体の価値が減るということで、入ってくるものが入らないか、
その価値が少なくなることにつながる。
そんな意味から、
新聞広告は新聞社の経営の健全性を測る目安だという人もいる。

第三種郵便の承認を受けているため広告は50%に制限されている。
朝日新聞の場合、子会社の広告が急増したことがある。
つまり、普通の他社の広告が減少したため穴埋め的に
安く掲載するという方法をとらざるを得なかったとみられる。
8月24日の朝刊でざっと計算してみた。
38ページの新聞の全面広告が13ページあった。
そして、紙面の三分の一の広告が25ページ、
つまり、8ページ余りが広告となる。
この他、四分の一や小さな囲み広告を入れると
紙面全体の半分以上が広告という計算だ。
広告も世の中の動きを見る一つ指標ではあるが、
それを目方にするとある意味余計なものを運ばせ、
価値の低い情報を提示して、省エネに逆行するとの見方もできる。

まあ、メディアの価値は読者や視聴者の支持如何かもしれない。
ある日の広告から新聞社の経営実態も見えてきた。
そんな今日この頃の事であります。
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洞爺丸台風を一瞬思い出す

2015-08-25 04:56:01 | 日記
週間予報を見ると、今週はあまり天気が良くない。
それもそのはず、日本の南の海上には、二つも台風が来ている.

一つは日本海側に抜けるコース、
一つは太平洋側を通るコースと日本列島が二つの台風に挟まれ、
何やら不気味だ。
列島に近づいたら少しは勢力が衰えるのではと楽観視するが、
どうもそうとばかりは言えないようだ。

特に台風15号は猛烈な風で、
23日の夜9時過ぎには石垣島で71mの風を観測したという。
これは観測史上の記録を更新したもので、その強さは想像できない。
今のところ進路予想では日本海から大陸に進むようだが安心はできない。

台風15号という名前を聞くと洞爺丸台風を思い出す。
昭和29年(1954)に、発生した台風で、
青函連絡船、洞爺丸の遭難では1139人が犠牲になった。
青函連絡船は4隻が函館港外で沈没している。
車両甲板の波を遮る扉が当時は無く、これが沈没の一つの原因になった。

後年、遮蔽扉が設けられたが、波の侵入を防げたらと思うと、
高い代償と大きな教訓を残した。
洞爺丸の沈没を伝える当時の新聞を
食い入るように見つめていた父親の姿を今でも思い出す。
父は鉄道郵便局の職員、青函連絡船にもよく乗り、台風の時は、たまたま非番だった。

歴史に「もし」はないが、乗船していたらと思うとぞっとする。
当時と違い今は、台風の進路予想や交通状況も違うが、
大きな痛い教訓を忘れてはなるまい。
※写真は青森港に停泊する、八甲田丸
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読み方は難しい

2015-08-24 04:22:57 | 日記
鹿児島県に薩摩川内市というところがある。
原発の再稼働で今、ニュースに出ることが多い。
普通、川内と書くと「かわうち」と読むが、
この場合は「せんだい」だ。
確かに川と書いて「かわ」と読む場合が多いが,
河川は「かせん」と読む。

同じようなケースでは、
東北大学がある仙台市青葉区川内は「かわうち」だ。
何やら、ややこしいが
日本に漢字が伝わってきた時代とも関係があるようだ。
漢音や呉音という言葉を聞いたことがあると思う。
呉音は体系的な姿ではないが、
仏教用語や法律の用語として伝わり、
「古事記」の万葉仮名には呉音が使われている。

男を呉音では「なん」と読み、女を「にょ」と読む言い方だ。
善男善女(ぜんなんぜんにょ)などの用例に見られる。

一方、漢音では男は「だん」、女は「じょ」と読む
これは、7~8世紀遣隋使、遣唐使、留学僧によって伝えられたもの。

行者は「ぎょうじゃ」と読み呉音、旅行は「りょこう」と読みこれは漢音
そしてもう一つ、行灯(あんどん)という読み方もありこれは,唐音だという。

日本に漢字が伝わった歴史や時代背景は結構複雑だ。
これに、時の権力者の意向や宗教が反映され、さらに難しくなっている。
まあ、現代では呉音、漢音、唐音を意識せず、自然に覚えている。

それでいいのかもしれない。
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青葉の風

2015-08-23 06:42:07 | 日記
この表題から想像できる季節は多分5月だろう。

しかしこれから書こうと思っているのは、仙台駅前にある彫刻「青葉の風」についてだ。
ペディストリアンデッキから喫煙コーナーが撤去され、
喫煙者はウロウロ、元喫煙所があった辺りに習慣的に集まってくるようだ。

その辺りから1階の広場を見下ろすと、
この青葉の風のどっしりとした抽象的な物体が見える。
解説によれば「力強く伸び行く生命のイメージを具体化するため、
大地から盛り上がる豊かな形と軽快な上昇感を組み合わせ、
流れる時間を表現した」とか。

私が見るイメージは「意外に意志の強い、しっかりとした植物の根が
天に向かって、引力に逆らうように弾け、
今にも風がそれによって巻き上げられるような
感じのものではないか」と思う。
抽象彫刻は見る人の気分やその人が美的感覚をどう養ってきたかの経緯、
また、直感的に事象を捉える力のあるなしで随分と違うのではと思う。
作者の昆野恒さんはすでに亡くなっている。
作品は昭和56年(1981)のものだ。
東北新幹線が通る前年の作品ということになる。

駅コンコースから伊達政宗の騎馬像が撤去され、
少しさびしくなったが、色とりどりのステンドグラスやこの青葉の風が
今では何か目印的に存在し駅前の景観を形作っているのではと思える今日この頃です。
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X橋 昨今

2015-08-22 04:58:28 | 日記
仙台駅近く、複合ビルアエルの横で今道路の新設工事が進行中だ。
かつてはここにレンガ造りの通称X橋があった.

今ではその面影もなく次第にX橋の事を
知る人も少なくなっている。
交通のためには、道路の拡幅で便利になってきているが、
歴史が消えて少しさみしい思いがする。
X橋周辺は戦後、飲み屋街やら怪しげな区画であったらしい。

戦前は仙台城二の丸にあった第二師団の司令部から
榴岡公園にあった陸軍歩兵第四連隊へ入営の行進も
このX橋を通って行われていたとか。
今、車で通るとあっという間だが、行進はどんな様子だったのだろう。

新しい道は建設中だが、上は新幹線この橋の下は
東北線などが走っている。
完成の暁には結構広い道路となり、
榴ヶ岡公園方向から広瀬通り、そしてここを経由する形で
高速の山形道に接することになる。
時代とともに道も変わりそして人々の動きも変わっていく。
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