朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

変化、変貌、変遷、変身

2017-03-31 06:46:12 | 日記
街は日々、変わっていく。マンションの建設をはじめいつの間にか建物ができたり
壊されたり、街は変貌しつつあるという感じだ。

終着点がどこかなどと考えると頭は痛くなるが、マンションなどの寿命も45年から60年と
考えると、その先はやはり変化せざるを得ないことになる。
建て替え問題などこの先、多くの所で出てくる。

さて、ベランダからの景色もいつの間にか変わってきている
建設途中だった建物が出来上がり、立派な新築のものが出来上がったり
間もなく完成という感じでシートがかけられているところもある
見通しが良かったところがこうした建物の完成で景色が変わっていく。

変化、変貌、変身と進化なのか、はたまた退化なのか
後世の人々はどう判断するだろうか
窓からの景色を見てそんなことを考えた。
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記録するということ

2017-03-30 06:58:43 | 日記
映像や音声、そしてメモとして様々なことを記録する。
一方、脳味噌には記憶するという人間にとっては極めて重要な回路が内蔵している。

さて、私の場合はたいていの場合、ポケットカメラを専用の小さなバッグに入れて持ち歩くことが多い。
よく考えてみると、ブログに書くネタの補強材料としての写真というケースが多い。

それと同時に、パソコンに収容?格納いやいや保存しておくということになる。
即使うというよりはしばらく熟成させ、
文章に合った写真を選ぶということが多いような気がする。

この記録、放っておくと、たまりにたまり、
記憶がいつの間にか飛んで、何が何だかわからないということに相成る。
記録も整理棚にきちんと入れないと、遠い記憶のかなたに飛んで行ってしまう。
記憶と記録、いい方法はないものか。

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この表現どうかな?

2017-03-29 05:52:29 | 日記
街歩きの楽しみは、様々な看板に出会うこと
少し彩が多すぎる感もあるが、時間貸し駐車場や商店の呼び込み
メッセージなど時折、「おや」と思わせるものもある

その一つにこんなものがあった。
道路に水道管を入れています」というもの

道路に水道管を埋設しています というと少し
固い表現だが、この看板のケースでは
道路に水道管を埋める工事をしていますが、比較的わかりやすい表現ではないか
と思う。

分かり易そうでわからない表現が意外にあるものだ
つまらないことを考えた。
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宮城野橋物語 第二弾

2017-03-28 10:25:37 | 日記
アエル一階で開かれていた宮城野橋(旧X橋)完成記念の展示会は
日曜日、26日で終わった。
橋の歴史を知る人も次第に少なくなる中での資料や写真の展示会だった。

会場のパンフを改めてみてみると、
橋が開通したのは大正9年の8月1日のことだという。

この橋の近辺も昭和20年7月10日の仙台空襲で、
焼け野が原になり、当時の写真を見るとまさに焦土と化すの表現が当てはまる様相だ。

昭和35年から駅東側の区画整理事業が始まり、
この事業は平成27年に終了し、現在の街並みが完成している。
宮城野橋の完成で、旧X橋に使われていた橋脚の一部は今後、
記念のモニュメントとして制作が予定されている。

また、駅東口の塩竃神社や榴ヶ岡天満宮の社殿の修復にもX橋の石材が使われ利用されている。
記憶の中のX橋がこうして現代の世にも蘇ってくる。
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宮城野橋が開通した

2017-03-27 05:59:56 | 日記
つい昨日まで、複合ビルアエル一階で
宮城野橋の完成記念写真会が開かれていた。

書店の前のフロアでパネルを展示、かつての宮城野橋、
いや私にとってはX橋といった方が分かりやすい展示が行われていた。
町内会の役員らしい人も説明に当たり、かつての面影を語っていた。

X橋はかつて青葉山の第二師団司令部から榴ヶ岡の第四連隊への行進の道筋、
それも仙台中心部のX橋を通る主要道路だった。
その通り道がX橋ということになる。きっと住民総出で分列行進を見送ったことだろう。

この辺りは、駅の近くということもあり、飲み屋街や怪しげな娼婦街としても知られていたようだ。
戦後から随分たったあたりに再開発事業が行われ、
ファッションビルや事務所ビルとしてアエルが完成した。
駅近くの立地条件を生かし、近隣にはパルコやバスターミナルなども完成し、
立地の有利さを生かした建物ができている。

宮城野橋完成はある意味歴史の通過点なのかもしれない。
利便性の向上と都市の変貌のスピードに次第についていけない自分がある。

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