この表題から想像できる季節は多分5月だろう。
しかしこれから書こうと思っているのは、仙台駅前にある彫刻「青葉の風」についてだ。
ペディストリアンデッキから喫煙コーナーが撤去され、
喫煙者はウロウロ、元喫煙所があった辺りに習慣的に集まってくるようだ。
その辺りから1階の広場を見下ろすと、
この青葉の風のどっしりとした抽象的な物体が見える。
解説によれば「力強く伸び行く生命のイメージを具体化するため、
大地から盛り上がる豊かな形と軽快な上昇感を組み合わせ、
流れる時間を表現した」とか。
私が見るイメージは「意外に意志の強い、しっかりとした植物の根が
天に向かって、引力に逆らうように弾け、
今にも風がそれによって巻き上げられるような
感じのものではないか」と思う。
抽象彫刻は見る人の気分やその人が美的感覚をどう養ってきたかの経緯、
また、直感的に事象を捉える力のあるなしで随分と違うのではと思う。
作者の昆野恒さんはすでに亡くなっている。
作品は昭和56年(1981)のものだ。
東北新幹線が通る前年の作品ということになる。
駅コンコースから伊達政宗の騎馬像が撤去され、
少しさびしくなったが、色とりどりのステンドグラスやこの青葉の風が
今では何か目印的に存在し駅前の景観を形作っているのではと思える今日この頃です。
しかしこれから書こうと思っているのは、仙台駅前にある彫刻「青葉の風」についてだ。
ペディストリアンデッキから喫煙コーナーが撤去され、
喫煙者はウロウロ、元喫煙所があった辺りに習慣的に集まってくるようだ。
その辺りから1階の広場を見下ろすと、
この青葉の風のどっしりとした抽象的な物体が見える。
解説によれば「力強く伸び行く生命のイメージを具体化するため、
大地から盛り上がる豊かな形と軽快な上昇感を組み合わせ、
流れる時間を表現した」とか。
私が見るイメージは「意外に意志の強い、しっかりとした植物の根が
天に向かって、引力に逆らうように弾け、
今にも風がそれによって巻き上げられるような
感じのものではないか」と思う。
抽象彫刻は見る人の気分やその人が美的感覚をどう養ってきたかの経緯、
また、直感的に事象を捉える力のあるなしで随分と違うのではと思う。
作者の昆野恒さんはすでに亡くなっている。
作品は昭和56年(1981)のものだ。
東北新幹線が通る前年の作品ということになる。
駅コンコースから伊達政宗の騎馬像が撤去され、
少しさびしくなったが、色とりどりのステンドグラスやこの青葉の風が
今では何か目印的に存在し駅前の景観を形作っているのではと思える今日この頃です。