昔、「亜炭」が燃料であった
子どもの頃の暖房は、まきストーブが主流だった。
そのうち、石炭が入り、ストーブも変わり、火力が増したように思う。
さて、今、仙台メディアテ―クで
「亜炭香古学2015」という展覧会が開かれている。
仙台城が作られた青葉山周辺は日本有数の亜炭の生産地。
亜炭は戦後の仙台市内で風呂用の燃料としてごく一般的な燃料だった。
燃えると微妙なにおいがして、年配の人には何やら懐かしいもののようだ。
この亜炭と同じ地層から、
埋もれ木細工の原木も産出されている。
今開かれている展覧会では、
ウクレレなど埋もれ木を使った作品、亜炭鉱山の写真など
多くの資料が展示されている。
まず目を引くのは、栗原市の亜炭鉱山で使われていたトロッコ。
何度か「くりはら田園鉄道」に乗って鉱山跡に出かけたことがある。
このトロッコは実際に使われていたものだという。
そういえば、鉱山博物館にも同じものがあった。
圧巻は亜炭鉱山から採られた埋もれ木が、
床にずらりと並べて展示してあること。
仙台には、埋もれ木細工の工房が秋保にあるという。
最後の工人、一人がその技術を伝えている。
埋もれ木は約500万年前に地中に埋まった樹木が
炭化して化石のようになったもの。
江戸時代に下級武士の内職として細工が作られていたが、
その後、時代は変遷、1960年代になり、
燃料が石油やガスに変わり、亜炭の存在自体も忘れさられてしまった。
展示会では、名取川で採れた埋もれ木を使って作った文台を、
公家に献上した際に編まれた「埋木文臺勧進之歌」(複製)も
初めて公開されている。
地下鉄東西線工事が青葉山の亜炭層を掘り抜き、仙台の新しい地層が開かれつつある。
一昔前の仙台の暮らしの風景がこの展示会に再現されている。
展示会は18日までとか、
亜炭香報という新聞も展示され亜炭の歴史もわかるようになっている。
会場では、懐かしく、係員に話しかけ、
じっと見入っている老齢の方の姿が印象的だった。
子どもの頃の暖房は、まきストーブが主流だった。
そのうち、石炭が入り、ストーブも変わり、火力が増したように思う。
さて、今、仙台メディアテ―クで
「亜炭香古学2015」という展覧会が開かれている。
仙台城が作られた青葉山周辺は日本有数の亜炭の生産地。
亜炭は戦後の仙台市内で風呂用の燃料としてごく一般的な燃料だった。
燃えると微妙なにおいがして、年配の人には何やら懐かしいもののようだ。
この亜炭と同じ地層から、
埋もれ木細工の原木も産出されている。
今開かれている展覧会では、
ウクレレなど埋もれ木を使った作品、亜炭鉱山の写真など
多くの資料が展示されている。
まず目を引くのは、栗原市の亜炭鉱山で使われていたトロッコ。
何度か「くりはら田園鉄道」に乗って鉱山跡に出かけたことがある。
このトロッコは実際に使われていたものだという。
そういえば、鉱山博物館にも同じものがあった。
圧巻は亜炭鉱山から採られた埋もれ木が、
床にずらりと並べて展示してあること。
仙台には、埋もれ木細工の工房が秋保にあるという。
最後の工人、一人がその技術を伝えている。
埋もれ木は約500万年前に地中に埋まった樹木が
炭化して化石のようになったもの。
江戸時代に下級武士の内職として細工が作られていたが、
その後、時代は変遷、1960年代になり、
燃料が石油やガスに変わり、亜炭の存在自体も忘れさられてしまった。
展示会では、名取川で採れた埋もれ木を使って作った文台を、
公家に献上した際に編まれた「埋木文臺勧進之歌」(複製)も
初めて公開されている。
地下鉄東西線工事が青葉山の亜炭層を掘り抜き、仙台の新しい地層が開かれつつある。
一昔前の仙台の暮らしの風景がこの展示会に再現されている。
展示会は18日までとか、
亜炭香報という新聞も展示され亜炭の歴史もわかるようになっている。
会場では、懐かしく、係員に話しかけ、
じっと見入っている老齢の方の姿が印象的だった。