朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

変貌激しい仙台駅周辺

2016-06-30 05:16:18 | 日記
 いま広瀬通りにつながる駅東方向からの道路が、
拡張と拡幅、それに跨線橋新設の工事が行われ少しずつ変貌を遂げている。
もともとこの場所にはX橋があり、
戦前は青葉山の第二師団から榴岡の第五連隊の兵舎まで入営する行進が続いたという。

都市の中で、駅の果たす役割は大きい。
仙台駅の東西自由通路の拡幅完了やエスパル東館の開業の効果で
仙台駅周辺の歩行者の通行量が大幅に増えている。

一方市の中心部、例えば藤崎デパート前などでは
2014年と比較すると5%から11%の減少となっている。
人の動きの変化は経済動向にも影響を及ぼしかねない状況になっている。

7月1日には「仙台パルコ2」が開業、
一段と駅周辺の通行量が増えるのではないかと予想されている。
中央通りや一番町商店街がどう活性化を果たすか、
仕掛けがあるかなど都市の課題が見えてきている。
商店街の古い武士商法では生き残りは図れないのは自明の理だ。




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都市は日々変貌する

2016-06-29 05:02:26 | 日記
都会の変化は著しい。
今、仙台市内ではマンション建設ブームとでもいえるぐらいに
工事が盛んに行われている。
ビルをいったん取り壊し、しばらくの間、有料駐車場として
土地の有効利用を図るケースも多い。

そんな中、400年の歴史を持つ「仙台」のかつての面影を表す
石柱や記念碑がちょっと目を凝らすと町のあちこちにある。
繁華街の一番町近くの大町には藩政時代、中心街だったことを
表す石碑と江戸や三厩(青森)までの距離を表す一里塚が
置かれている。

また、時代が下って、昭和の初めまで仙台にあった
遊郭を表す橋の石、橋脚か記念碑的に置かれている場所もある
矢先神社境内と広瀬通から気象台方向に行く途中の歩道だ。

説明版もあり、かつての街の姿を思い浮かべることができる。
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知り合いにシェフがいるのはいいことだ

2016-06-28 04:45:00 | 日記
日曜日、所用があり、東京-仙台を日帰りした。
昔は急行でも確か5時間かかった記憶がある。
夜行で、東京を発ち、朝、仙台に着くという経験もしたことがある。
便利になったもので、今では1時間40分程度で東京に着く。
仙台を出ると大宮までノンストップ、そのあとは上野、東京となる。

さあ、その東京の話だ。
武蔵野に日本各地で修業を積み、
イタリアにも単身渡り南部から北部にかけて武者修行をしたシェフがいる。
その店で、ランチをいただいた。

初めは深皿の少量のスープ。
パスタをひねった小さな結び目のようなものが入っている。
最初は皿いっぱいに盛られたオードブルが出る。

少しずつ、9種類はあったろうか。
見た目も料理には必要で,目で愛でるのも重要な要素だ。
説明を聞きながら「ふむふむ」と言いながら、食感はどうだろうか想像をしながら見る。

この日のメインはパスタ、随分種類があり、
それぞれが好みでリクエスト。
私はこれまで食べたことがないものを注文。
麺も太め、短め、長いものなどこれはゆでるのも大変だなと感じながら待つ。

いよいよスタッフが一人ずつの目の前にお皿を置く。
ほかの種類と違い、私のものは写真のように少し黒っぽい感じの見た目。

遠慮せず、素材や調理法などを
聞きながら食べるのもなかなか乙なものだと思う。

食事は見た目、3割、舌の食感,蝕感が3割、
香り、2割、そして一緒した人間の会話で2割とこれで100%の食事となる。
食後の飲み物を飲みながら
たっぷり1時間30分程度ゆったりと過ごした日曜日のお昼だった。
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八神純子と深夜便

2016-06-27 05:11:59 | 日記
27日(月)の午前四時台。
明日への言葉の時間で歌手、八神純子さんへのインタビューが
放送された。東日本大震災時、アメリカから帰国途中のちょうど
その時に地震のニュースが飛び込み、それ以降、支援活動にあたる。

山形のシェフ、奥田政行さんとともに各地を訪れ、
奥田さんはお腹を満たすことで、八神さんは歌で心を満たす
活動だ。
インタビューは、当初支援活動がなかなか受け入れられず、
苦労した点や、親を亡くした小学生たちとの交流
震災の中から生まれた歌をかけながら進行。

きらり!えん旅でも放送されたが、芸能活動の枠を超え
支援活動に取り組む彼女の心の部分が語られていた。
早朝の時間、あの震災からあっという間の五年が経過
時の流れとともに、震えるような怖さを覚えたあの地震の揺れを思い出し
亡くなった多くの人々の無念をも思って涙した。

実は今日は昨日、日帰りで東京を往復した際の話を書こうと思っていたのだが
急きょ、八神さんのインタビューの話になった。
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晩翠草堂

2016-06-26 04:28:01 | 日記
先日ある会合の折、青葉通りを歩き、晩翠通り方向に向かった。
青葉城方向に向かうと、右手に由緒ありそうな古い門がある。
いわゆる晩翠草堂だ。
晩翠が二高を退官後、住んでいたところで
今は一般に公開されている。

邸内には大きな石碑があり、
そこには「天地有情」と書かれている。

晩翠はいろんな校歌の歌詞も書いていて、
数えきれないぐらいかもしれない。
本名は土井林吉だ。読みは「つちい」が正解だが、
広く「どい」が流通しているため本人も土井(どい)でいいということで
今では、「どい」で通用
している。

庭も手入れされている。ヒイラギモクセイは空襲で焼けたが
復活し今でも秋には花をつけるようだ。
ふと通りかかって、戦後の仙台の歩みを少し考えた。
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