朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
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人間と同じか

支倉常長を巡る謎

2015-03-20 06:52:02 | 日記
宮城県川崎町大字支倉に住む「樫山巌」さんという方が「支倉常長の総て」という名前の本を書いている。
先日ざっと、読んでみた。

これまでも、サンファンバウチスタ号関連の書籍は何冊か読んでいる。
建造地はどこかなど謎も多い船だが、
常長自身も帰国後どこで亡くなりその墓はどこにあるのかなどこれまた謎が多い。
樫山さんの説はまず,サンファンバウチスタ号はサンセバスチャン号を改造したものとし、
座礁したセバスチャン号を銚子まで曳航、
銚子海岸で破損個所を修理、水の入らないのを確かめて、
政宗の要望を受け三陸沿岸の測量調査を実施、
その後,牡鹿に曳航、大修理し完成させたものとする。
 サンファン号建造地といわれる雄勝湾

つまりサンセバスチャン号を改造し名前を変えたのが、
サンファンバウチスタ号だとする。
なお、サンセバスチャン号は一回目の渡欧を試みた船だが、嵐にあい大破した船。
2年前の三陸沿岸を襲った大津波で、新造船を作る余裕もなかった。
常長という名前も、
実は花押や手紙類から長常が本来のものでなぜ常長が流布したのか不明とする。
常長は帰国後、どこで暮らし。どこで亡くなり、墓所はどこかなど謎だらけだ。

樫山さんは当時の砂金村(現川崎町)が、常長が余生を送った地とし、
傍証とし、政宗がここに足しげく通った事実をあげています。

立派な屋敷を建て遇したとも推定しています。
そして、本砂金の太田山にある伊達家紋章の刻まれた、
三基の墓所が常長と欧州に同行した二人の家来のものと推定している。
支倉常長の墓所といわれるものは仙台市、北山の光明寺などにもある。
なかなか謎の多い支倉六衛門常長・・・その謎をじっくりと解明してみたい。
  写真は仙台市北山の光明寺にある常長の墓といわれるもの
コメント
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