Cafe Bridge 粉闘記

bridgetの日記の続編です。
カフェオープンからの日々のできごとや思ったことをつれづれなるままに。。。

喫茶去

2016-08-06 | 日記
リオオリンピックが始まりましたね。
そして、今日も日本全国暑い1日でした。大分県日田市では38.2度を記録しました。
熱中症で搬送された人も880人を超えたそうです。気を付けましょうね。

こんなに暑い日は、カフェは意外と静かなのです。暑すぎて、ピクニカルコースを歩く人が少ないから。昼間は海やプールに入っちゃうしね。

今日、読んだ本で見つけた、素敵な言葉をご紹介します。
それがタイトルの「喫茶去」。「きっさこ」と読みます。禅の言葉だそうです。
去は意味を強める助辞で去るという意味はなく、「どうぞ、お茶でも召し上がれ」という意味だそうです。

中国の唐の時代の趙州和尚のもとを、修行僧が訪ねました。
趙州「あなたは、以前ここに来たことがありますか?」
僧 「いいえ、ありません。」
趙州「そうですか、それならば、お茶を一服おあがりなさい。(喫茶去)」

別の僧が訪ねてきました。
趙州「あなたは、以前ここに来たことがありますか?」
僧 「はい、あります。」
趙州「そうですか、それならば、お茶を一服おあがりなさい。(喫茶去)」

お寺の主が、不思議に思って尋ねました。
院主「前にここに来た者にも、初めての者にもお茶をどうぞ(喫茶去)と同じことを言いますが、どうしてですか?」
趙州「院主さん、それならば、お茶を一服おあがりなさい(喫茶去)。」

そこで院主は悟ったそうです。貧富貴賎、老若男女、好きな人、嫌いな人、どんな人にも分け隔てなく、同じように接するということ。無心の境地からの喫茶去。

簡単なようで、忘れがちなことです。

そして、ここまでで私には十分だったのに、ネットで調べていくと、実はもともとは文字通り、「お茶を飲んで、去れ」または「お茶でも飲んで来い」という絶対的な諭し、叱咤の意味とでてきまして、少々迷いますが、この意味ではお茶を飲むというのは生半可な気持ちですることではなかった時代のことのようです。

禅語辞典 (恩文閣出版)
 「喫茶し去れ」お茶を飲んでから出直してこいの意味。

この辺はまだ不勉強でよくわかりませんが、今日のところは、誰にでも平等に、いつでも分け隔てなくという意味で理解しておこうと思います。