犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国は韓国軍慰安婦問題の責任を取れ!

2021-06-30 23:49:54 | 慰安婦問題
 6月25日は、朝鮮戦争の始まった日。韓国では、625(ユギオ)と呼びます。

 今年は、朝鮮戦争勃発71周年だそうです。それに合わせて、韓国日報は、朝鮮戦争時の「韓国軍慰安婦問題」を記事にしました。

6月24日付韓国日報(リンク

朝鮮戦争における「韓国軍慰安婦」…。

国は70年間、知らないふりをしてきた

「韓国軍慰安婦」を最初に研究した金貴玉教授
2002年に論文を発表し、軍慰安婦動員を明るみに。
軍の資料からも明らか…ソウル、江陵(カンヌン)の前線だけでも128人。
売春という誤解、歪曲された性意識のため、被害証言は皆無。
「国連安保理が認めた犯罪…国家は責任を負うべき」


 朝鮮戦争のときにも「慰安婦」が存在していたという事実が、19年前、金貴玉(キム・グィオク)漢城大学教授(59)の2002年の論文によって、初めて世に知られた。だが、朝鮮戦争71周年を迎えた今年も、韓国軍慰安婦はまともに取り上げられることはなかった。日本軍慰安婦とは別次元の抑圧と偏見のため、被害証言もまったく出てきていないのが実情だ。金教授は6月24日、韓国日報とのインタビューで、「わが国が未来に目を向けるためには、必ず過去を乗り越えなければならない」、「国家レベルで韓国軍慰安婦の犠牲者についての明確な調査と謝罪がなされなければならない」と強調した。

韓国軍の資料にも記録されている「慰安婦」

 朝鮮戦争で韓国軍慰安婦が動員された時期は、正確には明らかになっていない。金教授は「1951年秋ごろ、戦争が小康状態になり前線が現在の休戦ライン付近に固定されたころ、軍人管理の名目で慰安婦が導入された可能性が高い」と見ている。ただ、慰安婦を運営した事実は、さまざまな史料で立証されている、と金教授は説明した。例えば1952年12月30日付東亜日報は、「韓国軍のための慰安所が必要だ」という読者報告書を掲載し、翌年の停戦協定締結後の11月16日付京郷新聞は、「陸軍会館に韓国軍慰安所を4か所増設する」という記事が載った。

 韓国軍慰安婦の存在は、軍の公式資料からも確認されている。金教授は、陸軍本部が1956年に編纂した「後方戦史(人事編)」において、戦争中、後方支援業務の名目で「特殊慰安隊」を設置したという記録を確認した。この本には、慰安婦を「小隊」に編制し運営したという記録の一部が残っているが、これを総合すれば、ソウルの3つの小隊と江陵の3つの小隊だけで、128人の慰安婦がいたという推算ができる。金教授は「最近、江原道の高城(コソン)、襄陽(ヤンヤン)などで慰安婦が動員された痕跡が新たに発見された」、「公式的な運営だけでなく、各部隊が独自に慰安所を運営していた可能性も考慮すべき」と述べた。

 参戦した将校や捕虜が韓国軍慰安婦の実体を証言した記録も少なくない。金教授が1996年11月に江原道束草(ソクチョ)でインタビューした越南民(北朝鮮から韓国に渡ってきた人)は、韓国軍に民間人捕虜として捕らえられたとき、慰安婦を目撃したと回顧した。彼は、「軍慰安隊の女たちがいた。北朝鮮の言葉は使わず、軍人たちを慰安する仕事をしていた」と語った。チャ・ミョンシン、チャ・ギュホン、キム・フィオ将軍の回顧録にも、韓国軍のための慰安婦が割り当てられていたという一節が見つかる。

売春という誤解・民族主義…被害の証言は難しい

 女性を戦争の性奴隷として動員した反人倫行為という点で、韓国軍慰安婦は、おのずと日本軍慰安婦を連想させる。だが、両者には決定的な違いがある。韓国軍慰安婦被害者の中で、被害事実を公の場で明らかにした人は、まだ一人もいないことだ。金教授も、長期間の調査の末に2人の犠牲者に会ったが、彼女たちは身元を明かすことはおろか、具体的な被害の陳述も拒否したそうだ。

 金教授は「日本軍慰安婦の被害者は、国権を簒奪した日本を加害者と名指すことができるが、韓国軍の慰安婦の場合、加害者と被害者はともに韓国人なので、被害を証言することが難しい」と指摘した。金教授は、会った女性は韓国軍慰安婦として連れて行かれたが、被害を受ける直前に軍人の好意で解放されたあと、その軍人と結婚したと陳述した。実際に慰安婦として動員された女性のうち、相当数は、こうした「強制結婚」を通じて、被害がなかったことにされてしまったそうだ。

 民間から売春婦を募集して韓国軍慰安婦を運営したという主張も、被害者を隠すことにつながっている。金教授は「こうした主張は事実ではない」と断言する。慰安婦が公開募集で運営されたという証拠は一つもなく、むしろ被害女性たちが前方地域へ「強制出張」させられたという証言が出るなど、組織的に統制されていた状況が明らかだということだ。金教授は「韓国軍慰安婦は、当時の陸軍本部の企画に従って制度化され、国家体制の下にあったとみるのが妥当だ」と指摘した。

 より根本的には、男性中心の性認識が慰安婦問題に照明を当てることを妨げていると金教授は指摘する。戦時状況にあった当時、軍人の性欲が抑圧されていたために、民間人に対する性暴力を防ぐためにも慰安所が必要だという世論が支配的だったと言う。戦後も、被害の当事者たちが名乗り出ることのできない環境であり、慰安婦の存在を証言した一部の男性たちもまた、犠牲者を哀れに思いはしても、深刻な人権蹂躙とは見ていなかった。

政府は70年間箝口令…「国家は責任を負うべき」


 金教授は、研究を進める中で、国家レベルで韓国軍慰安婦の歴史を隠そうとしていることを何度も感じたそうだ。2002年に論文が発表された後、国防省は金教授が当時所属していた学校に連絡し、研究の自制を要求するなど、外圧を加えた。慰安婦の存在を立証する決定論的な記録である「後方戦史」は、軍史編纂研究所から消えた。

 政府はこれまで韓国軍慰安婦に言及したことさえない。2005~2010年に行われた第1期真の和解のための過去史整理委員会は、民間人虐殺を含む朝鮮戦争当時起こった国家暴力事件を何度も調査したが、韓国軍の慰安婦は扱わなかった。金教授は、「昨年青瓦台(大統領府)が韓国軍慰安婦の真相究明に関心を見せ、連絡してきたがそれっきりで、実際には努力は見られなかった」と述べた。

 金教授は、韓国軍慰安婦が厳然たる国家的犯罪であり、国際的責任も明らかだと強調した。金教授は「国連安保理が2000年に満場一致で採択した「女性、平和、安保に関する決議案」によれば、国家間の戦争であれ内戦であれ、性的暴力の被害者について、国家が真相究明・謝罪・解決することを勧告している」、「韓国は、この決議案に署名した国家であると同時に加害者として、韓国軍慰安婦問題に責任を負わなければならない」と述べた。


 韓国軍慰安婦の問題は、金教授が論文を発表した直後の2002年2月と3月にネットメディアの「オーマイニュース」が報道し、当ブログでも訳出紹介しました。

2002年2月22日付(
2002年2月26日付(
2002年3月4日付(

その14年後の2016年にも、「タンジ日報」が報じています。
2016年7月27日付(

最近では、李栄薫『反日種族主義』でも簡単に取り上げられています(p.220-223、リンク)。

 今回の報道内容は、過去の記事とほぼ同じで、新事実はないようです。

 韓国政府は一貫してこの問題を黙殺し、元資料を隠蔽しました。大手メディアも、慰安婦問題での日本批判の矛先が鈍ることを懸念してか、大きくは報じてきませんでしたが、今回の韓国日報の記事は、その意味で異例といえるでしょう。

 『反日種族主義』を読んでいない韓国人には、「初耳」という人も多いはず。

 これが韓国でも広く知られるようになり、慰安婦問題に対する認識が少しでも変わればと思います。

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