韓国の漢字語には、日本で作られた「和製漢語」が多い、ということはこのブログにもたびたび書いてきました。 とは言っても、完全に同じわけではない。日本では使わない漢字語もあるし、同じ漢字なのに意味が違う場合もあります。 最近、韓国のマスコミを賑わせている言葉に、ピソンシルセというのがあります。 漢字で書くと「秘線実勢」。 「秘線」と「実勢」という二つの漢字語の複合語と思われます。 「秘線」という言葉 . . . 本文を読む
ある日の会議でのこと。「次の会議は27日になります」(!!) 嬉しくなって、会議終了後、さっそくその発言者に聞いてみました。「さっき、会議で27日って言いましたよね。いつもそう言いますか」「そう言いましたか? 意識してませんでしたが……。そうかもしれません」「○○さん、出身はどちらでしたっけ」「大阪です」 実は、この同僚は、27日を「にじゅうなのか」と言ったのです。 . . . 本文を読む
もう昔のことですから、小学校の国語の授業でどんな勉強をしたのか、記憶が曖昧です。教科書に出てきた新しい漢字をノートに20回書いて提出し、一週間に一度ぐらい、漢字の小テストを受けていたような気がします。 で、たとえば「湖」という字だったら、最初にさんずいを20個書き、次に「古」を20個書き足し、最後に「月」を書くというようなこともしていました。子供心に、そんなやりかたが「早くて楽」と思ったのでしょ . . . 本文を読む
金川欣二さんという言語学者のホームページ(→リンク)に「何語が楽か」というコラムがあります。 そこに面白い表が載っている。世界の20言語について、日本人、あるいはアメリカ人が、どの言語を難しいと感じ、どの言語を易しいと感じるかをまとめたもの。出所は大学書林という出版社だそうです。 対象となる20言語は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ギリシャ . . . 本文を読む
この10月から、東京の職場にタイ人男性が入社しました。高校卒業後、来日し、日本語学校に通ったあと、東京外大で学部、大学院まで出た優秀な経歴です。「新しいタイ料理屋を見つけたんだけど、行かない?」 前の週に発見したばかりのタイ料理屋に誘いました。 話してみると、都内のタイ料理はあらかた行ったことがあるようでした。「池袋のビラウ・カーオがいいよね」「市ヶ谷のティーヌンもまあまあですよ」「でもあそこ、 . . . 本文を読む
ミャンマー語のレッスンのとき、先生が、自分が作ったといって、オウン・ノウッ・カウッスエーを持ってきてくれました。「チェーズーティンバーデー!(ありがとう)。ザニーネェ・アトゥードゥー・サーメー(妻と一緒に食べます)」)「えっ? ウー・ティンアウンリンさん(私のミャンンマー語名)、今日は東京に帰るんですか?」「はい、午後の新幹線で帰ります」「大丈夫かな? ココナッツミルクは傷みやすいから」「ヤーバ . . . 本文を読む
出張で東京駅に着いたのが夜9時。夕食を食べていなかったので、高田馬場のミャンマー料理やへ。 いつも行くマノーミェーというミャンマーレストランには、そば焼酎がキープしてあったはずです。このそば焼酎というのは、ミャンマー、タイ、ラオスの国境地帯に広がる黄金の三角地帯のケシ栽培を撲滅するために、代替作物として導入されたそばを原料にしたもの。 駅前の交差点を渡ったところに、見慣れないミャンマー文字の看板 . . . 本文を読む
さて、インドネシア語の場合はどうか。以下、長崎大学の藤田剛正教授の1987年の研究(→リンク)に沿ってご紹介します。 インドネシアは、1602年から1942年までの340年間の長きにわたり、オランダの植民地でした。その間、オランダはインドネシアの公用語をオランダ語としました。現地の人々は日常的にはそれぞれの民族語を使用していましたが、政治に関与する上層階級はオランダ語を使いました。 そ . . . 本文を読む
日本の敗戦により解放された韓国で、まず着手したのが、植民地時代に押しつけられた日本語の残滓を追放することでした。 韓国語には、うどん、てんぷら、ようじ(楊枝)など、日本語からそのまま借用された言葉がたくさんありました。それらは、代替の韓国語が新造され、言い換えられました。一方、韓国語には日本語で作られた大量の和製漢語も混入していました。しかし、それまでもあげつらって言い換えるのは困難でした。結果 . . . 本文を読む
近代日本語の文法の成立事情については、イ・ヨンスク『「国語」という思想-近代日本の言語認識』が参考になります。 それによれば、日本で初めて「文法書」が書かれたのは馬場辰猪の『日本語文典』(1873年)だそうです。ただ、これが書かれたきっかけが面白い。 これに先立ち、駐米公使で後に文部大臣になった森有礼(もり・ありのり)が、アメリカの言語学者ホイットニー宛の書簡(1972年)や『日本の教育』(19 . . . 本文を読む