0701韓国の国語教科書~国民教育憲章0702酒を飲んだ犬0703韓国の国語教科書~差別0704韓国の国語教科書~日本の歴史0705馬場~清涼里のオフ会0706ソウルのタクシー事情~昼組と夜組0707ソウルのタクシー事情~キムタクの死0708別れの言語学0709フグの送別会0710韓国初! ハンバーグ専門店0711運転手さんいろいろ~革命公約0712運転手さんいろいろ~奉仕精神0713運転手さんい . . . 本文を読む
北倉洞のとあるバーに,片言の日本語を話すアガシがいました。年のわりに若くみえますが,世間擦れしていないし,水商売には似つかわしくない,ふつうの感じの女性です。「会社勤めすればいいのに」「だめなのよ,私,学歴がないから。普通の会社じゃ雇ってもらえないわ」 最初は言葉を濁していましたが,聞くとどうも中学しか出ていないらしい。いまでこそ,韓国の大学進学率は80%と,世界に冠たる高学歴国家ですが,198 . . . 本文を読む
サッカーアジア杯は残念ながら,日本も韓国もサガン(四強=ベスト4)止まり。3位決定戦で日韓が対戦することになりました。 韓国にいた間も,異常に盛り上がるのが日韓戦。野球やバレーボールなどもそうですが,なんといってもサッカーです。どんな日本贔屓の韓国人も日韓戦となると熱狂的に韓国を応援します。 今回の三位決定戦,試合が始まる前に「日韓戦の歴史」をダイジェストでやっていましたが,名勝負の一つとして9 . . . 本文を読む
韓国はけっこうネズミが多い。 駐在し始めてしばらくしたとき,別の長期出張者のために単身用ワンルームマンションを見に行きました。 梨大後門あたりの下宿街。 道端で,轢かれたネズミを見たのに続き,マンションの階段をネズミが猛スピードで走りおりてくるのに遭遇し,その出張者は凍りついていました。 中年の韓国人の思い出話によれば,昔,夏休みの宿題としてハエやネズミを捕るというのがあったそうな。女子はハエを . . . 本文を読む
帰任前の送別会の嵐のせいで,すっかりメタボになってしまったため,日本に帰ったらダイエットしようと思っていました。 大阪出張時,昼食はそばで軽く済ませようと思い,本ワサビの出るそば屋に入りました。ざるそばを注文しようとしたところ,セットメニューの「ざるそば・うな丼セット」というのが目に入った。 うなぎかあ~。 そういや,韓国のうなぎはちょっと違ったよなあ。 韓国のうなぎで思い出すのは,扶余。百済の . . . 本文を読む
帰任の折,引っ越し業者の手配やら,不動産の解約やらの手続きをしていて,11年前,韓国に赴任した当時の状況を思い出しました。 最初に住んだのは,ソウルの日本人村「二村洞」。「お金持ちの町」と聞いていたわりには,第一印象は「場末」でした。そこここでマンションが建設中,大きなスーパーもなし,マクドナルドもなし,おばあさんが一人でやってるよろず屋みたいなのが多いし…。 目立ったのが不動産屋と銀行と薬屋の . . . 本文を読む
coffee 日本人はFの発音ができないので,「コフィー」ではなく「コーヒー」になったように,韓国人もまたFの発音ができないので,「コピー」になってしまいます。 韓国にコーヒー文化が入ったのは,おそらく日帝時代でしょう。当時の小説に,三越デパートでコーヒーを飲む場面が出てくることからわかります。 しかし,その後解放と朝鮮戦争,米軍の統治を経て,韓国のコーヒーはインスタントコーヒー一色になった . . . 本文を読む
犬鍋の韓国便りは,犬鍋の日本帰国にともない,新しいお便りを出し続けることが不可能になりました。 ただ,帰国後も更新を続けてほしいという声も少なくなく(正確には2名),〈余録〉のかたちでしばらく続けていくことにします。 当然のことながら,本日以後の更新は否応なく「思い出話」が中心になります(えっ? 今までもそうだったじゃないかって?)。そのため,多少鮮度の落ちた内容になることをあらかじめご了承くだ . . . 本文を読む
2007年7月21日,犬鍋は,長い長い韓国駐在を終え,ついに帰国しました。 赴任したのが1996年3月25日でしたから,韓国生活は11年4カ月の長きに及んだことになります。とはいっても,その間一度も日本に帰れず,11年ぶりの故国帰還ならともかく,2~3カ月に一回,最近なら毎月韓国と日本の間をワッタカッタ(行ったり来たり)していたわけで,別に「感無量」という思いはありません。すでに次の韓国出張の予 . . . 本文を読む
いよいよ帰国です。 最後の夜だからといって,特別なイベントの計画があるわけじゃありません。むしろ,荷物の整理がろくにできていなかったので,最後の夜ぐらいは何の予定も入れず,「立つ鳥あとを濁さず」で,捨てるべきは捨て,きれいにして後任者(アパート探しの間だけ居住)に明け渡そうと思っていました。 でも,入っちゃったんですね,送別会が。 長い間連絡をしていなかった元大統領秘書官に,やっぱり帰国の挨拶 . . . 本文を読む
私はわりと義理堅いほうで,飲み屋も特定の店に長く通うことが多い。そのため,何軒かのいきつけのバーのママさんとは,長いつきあいということが少なくありません。といっても,同じ店が何年も続くというのは稀で,店そのものは転々とします。 今回登場のママさんは,2002年ワールドカップのころに会ったから,かれこれ5年ぐらいのつきあいです。 そのころ,私は武橋洞のカフェに通っていました。そこにいた20歳のアガ . . . 本文を読む
韓国語の親族名称は複雑です。 兄,姉は自分が女か男かで呼び方がかわり,逆に弟,妹はどちらもドンセン(同生)と呼ばれるので,男なのか女なのかすぐにはわからない。 また,女性の場合,友達のことをオンニ(年上)とかドンセン(年下)とか言うことが多いので,知り合い(アヌンドンセン)なのか,実の妹(チンドンセン)なのか,混乱します。 親戚のおじ,おばは,日本語の場合,母方でも父方でも同じ(ただし,文字は叔 . . . 本文を読む
ブログを始める前,私のネット生活の舞台は掲示板でした。そこでたくさんの出会いがありました。しかし,大部分は仮想空間におけるおつきあいだけで,現実世界でお会いした人は数えるほどしかありません。 日本で会ったあと,何回か韓国に遊びに来たときに,ディープコリアをご紹介した,日本のキャリアウーマン。ブログを始めたことは知らせなかったのですが,めざとく捜し当ててくださり,コメントをいただきました。 日本人 . . . 本文を読む
帰国間近だというのに,バンコク出張がありました。ソウルからバンコク出張というのは,これが最後でしょう。 バンコクの駐在員は,地方出張中。タイの職員と会食をしているときに電話が入る。今空港に着いた,食事には間に合わないが,二次会で合流しようとのこと。 食事を終え,宿泊しているホテルのロビーで待ち合わせ。「空港から来る途中に,知り合いから電話があった。タイ在住の日本人で,いっしょに飲もうって。ぼくの . . . 本文を読む
思えばいろんな言葉を勉強しました。 中学高校時代は当然英語。特別に好きだったわけじゃないけれど,点数はまあまあとれたかな。 大学では第二外国語がフランス語。それ以外にも教養課程でいろいろな言葉をかじりました。 ラテン語,ドイツ語は試験を受けるまでには至らなかったけれど,ロシア語は一年間受講した(しかし文法が終わらなかった)。 仏文科に進学し,フランスで2カ月語学学校に通った直後は,英語力を上回り . . . 本文を読む