犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

朝鮮日報の反論?

2023-11-09 23:00:35 | 慰安婦問題

写真:『”記憶”と生きる』(大月書店)


 朴裕河教授に「コラム」欄を提供した「朝鮮日報」が、その内容に対する反論記事を載せました。

 キム・ユンドクという記者の記事です。

2023年11月7日

[キム・ユンドク コラム]正義連も朴裕河も彼女たちの涙を拭いてあげなかった

『帝国の慰安婦』は無罪だったが
朴裕河の主張が正しいわけではない。
「同志愛」「売春的強姦」の主張
被害者に対する嫌悪を呼ぶ
政府は「正義連独走」傍観だけ
真の謝罪を引き出す外交が切実


 日本のジャーナリスト土井敏邦が日本軍慰安婦被害者姜徳景(カン・ドクギョン)の一生を追跡した本『記憶と生きる』には、非常に論争的なテーマが登場する。富山の軍需工場を脱出した自分を捕まえて強姦した後、軍慰安所に連れて行った小林憲兵についての姜徳景の証言だ。小林は15歳の少女を地獄に落とした悪魔だが、「たまにおにぎりと乾パンを持ってくれ、船遊びにも連れて行ってくれた人だった」と姜徳景は回顧する。「小林からだけそんな目にあったなら、慰安婦として申告しなかった」とも言った。

 加害者への憎悪と愛着の共存に、著者は犯罪専門家の言葉を引用する。鞭打たれた妻が夫から逃げられずに頼りながら生きていくように、物理的・心理的監禁状態にあった慰安婦たちは生殺与奪権を握った日本軍が小さな慈悲を施すとき、過度の愛着と感謝の心を持つということだ。

 『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河教授の解釈は違った。彼女は姜徳景のような朝鮮人慰安婦たちが日本軍人に感じた感情が「愛」または「同志愛」かもしれないと書いて議論を呼んだ。皇国臣民として愛国者の役割も担わなければならなかった朝鮮人慰安婦には、日本軍との同志的関係が矜持になり、生きていく力となり、日本軍を看護し、愛し、ともに笑った記憶を隠蔽するのは、彼女たちをもう一度奴隷にすることだとも言った。

 私は朴裕河の問題の著書『帝国の慰安婦』が司法の対象になってはならないと思うが、彼女の本が慰安婦被害者たちを怒らせた十分な理由があることに同意する。一日数十人の軍人を相手にしてこそ生き残ることができた女性たちに「同志愛」という言葉はどれほど残忍か。これは女性暴力に対する無知であり、被害者ではなく「帝国の視角」で慰安婦をながめた「人間に対する無理解」だ。

 日本の国家的責任の有無を決定する二つの要素「強制連行」と「慰安所の売春的性格」についても、朴教授は、女性を直接引っ張って行った主体は、抱え主や業者であって日本軍だった場合は少なく、国家的責任を問うのが難しいと主張する。「売春的強姦」という曖昧な用語を通じて、売春を目的とした朝鮮人慰安婦も少なくなかったと強調する。

 しかし軍慰安婦制度は、それが強制連行であれ詐欺であれ、性暴力であれ売春であれ、日本軍を愛そうが愛すまいが、国家組織である軍隊が女性に加えた明らかな暴力である。軍当局と行政機関の庇護と黙認なしに慰安婦動員が不可能だったのは、日本の学者たちも同意する点だ。朴裕河が主な根拠とみなす千田夏光の『従軍慰安婦』さえ、「軍の命令によって戦場に引きずられて行き、第一線の将兵たちの性欲処理用具として利用された女性」として慰安婦を定義する。『帝国の慰安婦』と似た時期に出版されたユン・ミョンスクの日本博士学位論文「朝鮮人軍慰安婦と日本軍慰安所制度」も、これを裏付ける資料と証言で満ちている。

 もちろん『帝国の慰安婦』は、過度な民族主義をかかげて慰安婦の議論を独占し、日本政府に強硬一辺倒で対してきた挺対協(正義連)の運動のしかたを正面から批判したというところに意味がある。日本政府がなぜそれほどに法的賠償責任を拒否するのかも、詳しく説明する。

 問題は朴教授が「慰安婦被害者ハルモニたちのために書いた」という本が、安倍政権と日本極右の論理を正当化するのに寄与したという点だ。国内でさえ「売春自慢か」、「にせ慰安婦を見つけろ」という侮辱と蔑視があふれ、左派と正義連はこれを反日扇動に利用した。朴教授は「左右どちらも私の本を誤読した」と書いたが、誰のための和解なのか誤読させる文を書いたのは著者の責任だ。

 金学順(キム・ハクスン)ハルモニの最初の証言以来30年が経ったが、日本軍慰安婦被害者の問題解決は遙か先に思える。一次的責任は正義連の独走を拱手傍観した政府にある。朴槿恵(パク・クネ)政府が安倍政権と紆余曲折の末に妥結した合意さえ、文在寅(ムン・ジェイン)政府が紙くずにした後は一歩の進展もない。「芸は熊がし、お金はテノムが持って行った」(訳者注:テノムは中国人への蔑称、
リンク)という李容洙の怒りのように、韓日両国間交渉からも、正義連と韓国知識人社会からも、ハルモニたちはいつも疎外された。

 今からでもその声を聞かなければならない。日本政府の介入がなかったという主張に怒り、慰安婦被害申告をした姜徳景は「日本政府が真相を明らかにしてくれれば賠償を受けられなくても構わない」という言葉を残して世を去った。大邱で会った李容洙ハルモニは「お金がほしいのではなく、死ぬ前に心からの謝罪を受けたい」と言って涙を流した。

 結局外交で解決しなければならない。日本の首相が頭を下げてハルモニたちの手を握ってあげるのがその第一歩だ。それは大統領と政府だけができる。



 記事の中で、 キム・ユンドク記者は、「彼女の本が慰安婦被害者たちを怒らせた十分な理由があることに同意する。一日数十人の軍人を相手にしてこそ生き残ることができた女性たちに「同志愛」という言葉はどれほど残忍か。これは女性暴力に対する無知であり、被害者ではなく「帝国の視角」で慰安婦をながめた「人間に対する無理解」だ」と批判しています。

 『帝国に慰安婦』には「慰安婦と日本軍兵士は同志的関係にあった」、また「慰安婦を愛した兵士もいた、その逆もあった」とは書いてありますが、「同志愛」という言葉は使われていないと思います。

 また、さきの朝鮮日報に朴教授が書いた表現を引用し、「朴教授は「左右どちらも私の本を誤読した」と書いたが、誰のための和解なのか誤読させる文を書いたのは著者の責任だ」と批判しますが、これは刑事第二審の「誤読させた著者が悪い」という論理とまったく同じです。

 キム・ユンドク記者は、『帝国の慰安婦』を誤読して批判しているのですが、自分の誤読も著者のせいにしているんですね。

 姜徳景は、記事にあるとおり、「挺身隊」として日本で工場労働をしていたが、工場から逃げたときに軍人に拉致されたという特殊な経緯で慰安婦になった人。その慰安所は長野県、松代の工場建設地で、利用者は労働者として働いていた朝鮮人労働者が多かったそうです。「軍慰安所」ではなく、一般の慰安所でした。(『”記憶と生きる”』による)

 「日本軍」慰安婦被害者とは言えないと思います。

 記事に出てくるもう一人の元慰安婦、李容洙が慰安婦生活をしていたのは、台湾。これも戦場ではないので、厳密には「軍慰安婦」とは言えない。

 同じ朝鮮日報の朴垠柱(パク・ウンジュ)副局長兼エディターは、28日の記事「朴裕河を打ちのめしたこん棒」の中で、「慰安婦になったという年齢は徐々に若くなっていき、最初は「お金を稼ごうと思って行った」と話していたのに、何度かインタビューした後には「ある日突然連れていかれた」に変わっていた」と書いていますが、これがまさに李容洙です。

日本軍慰安婦李容洙(1)
日本軍慰安婦李容洙(2)
日本軍慰安婦李容洙(3)

 李容洙は、慰安所で知り合った長谷川/ハヤカワという軍人との間に愛を育み、魂の結婚式(慰霊祭)を行ったという証言もしています。

『帝国の慰安婦』には、挺対協がまとめた『証言集』から、日本人兵士と慰安婦の間の愛情を思わせる証言がたくさん出てきます。それらをすべて「物理的・心理的監禁状態にあった慰安婦たちは生殺与奪権を握った日本軍が小さな慈悲を施すとき、過度の愛着と感謝の心を持つ」(いわゆるストックホルム症候群)で説明できるとは思えません。

 この二人の元慰安婦の例を、『帝国の慰安婦』を批判するのに持ち出すのは不適切です。

 新聞記者らしい両論併記、『帝国の慰安婦』には正しいところもあれば間違ったところもあるという、「バランスをとった」記事のつもりかもしれませんが、説得力が足りない。

 『帝国の慰安婦』をきちんと読んだとは思えない記事です。

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