とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

我々が作品を読んだり見たりする理由は何か(男性編)

2018-05-01 19:55:42 | 映像作品
我々が作品を読んだり見たりする理由は何か。
この個人的な考えをここに書いておく。

タイトルに男性編とは書いたが、女性編はない。
この作品を読んだり見たりする理由とは、男性と女性で異なるものであり、女性編は書けないからだ。

男性は主に、自分の人生の価値観や生き方などの考え方を作品から感動を受けたことに伴って、その自分を形作るその部分に影響を受けさせ、そしてそれを変容させるために観ている。
無論、それだけではなく、その作品を楽しむだけに見る場合もあるのだが、主要要素としては、人生哲学に影響を与えるか否か、男の生き様に良い変化を与えたか否かが重要視される。
故に、あれだけ面白いコードギアスは、「次回のための今回」などと呼ばれ、内容が無いとみなされ、最高級のエンターテイメントとして君臨する割には一段下に見られる。


女性は主に、その作品を楽しむために見る。
男性とは異なり、女性らの人生哲学は彼女らの中で既に完成されている。
男性は自分自身の中に人生哲学が不足していることを辞任しており、足りない生き方は何かと摂取する作品群の中にそれらを求めるが、女性は既に生き方が自己の中に確立されているので、重要視するのはエンターテイメントの方ではないか、と私は仮説を立てて考えている。
よって、人生哲学に深みを与える映画よりも、次の展開が読めないドラマや恋愛もの、あるいは人の心を揺さぶるストーリーを好む。



男性は深みと真実と生き方を求めるストーリーを求める。
よって、それが満たされたなら、もう人の創作は見る必要がない。
それは女性のように娯楽程度の作品を見て、自分自身の生きることに自分自身の人生を注力すべきだ。
創作作品は自分の人生をある程度まで確立するためにある。それ以上のものは提供しない。
ある程度まで見たら、もうそれ以上人の作品を摂取する必要はない。自分の人生を生きる時間を大切にすべきなのだ。
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