と言うことでファンの多いディズニーであるが、昨今の興行収入や、あるいは日本特有に売れたり売れなかったりする要素があって、ディズニーはこれに何らの対策を打っていないように見える。
(後述するがそれがディズニーなりの資本主義での映像消費社会における最適解の選択をしている)
日本アニメの立ち位置から見る違和感と、これは一体何であるのか、と言う理由、そしてそれでも尚、ディズニーがそれを選択し続けなければいけない理由と言うのを書いていく。
まず具体例から上げていく。
1.顔の表情にアクがある。
まずここから。「ミラベルと魔法だらけの家」。
よく指摘はされるだろうが、しかし改めて書いておく。
(1)左右非対称の眉(目の場合も同じ)。
日本人が不快に感じるポイントその1。
これは人をバカにする時にやる表情なので、日本アニメではこれを基本やらない。
むしろ人をバカにする時や、相手に対してフォーマルな態度を取っていませんよ、と言う時には日本アニメはこれを選択するが、それはその状況にマッチしているため、日本アニメでのこの表情の採用は特に問題ない。
(2)見下し型の三白眼+笑顔で見せる歯
日本人が不快に感じるポイントその2。
これも人をバカにする時にやる表情or悪役がこれからこの世界を支配してやるぞ、と言うものなので、日本アニメではこれを基本やらない。
こちらも(1)と同様、そう言うシチュエーションの時にはこういう表情を選択する。
2.素材の調理が良くない。
褐色メガネ少女だったらもっとやりようがあっただろうに・・・と。
日本アニメから見れば、全てが間違った選択をしているように見える。
私だったらこうする。
20代前半のスラッとしたインド人女性を出す。
↓こういうの
オフィスで文書をタイピング。昔はああだったな・・・と思い返させる。
→インド洋の孤島での生活
など。
とにかくディズニーは用意された食材に対する調理が下手だ。
3.大げさなアクション
これは日本アニメも本当に反省せねばならないが、大げさなアクションに違和感がある。
普段の生活ではそんな風に動かないだろと言うような動きを見せる。
例えばこっそりと何か小瓶をテーブルから盗む動作は、手を伸ばす時に単純にそこへ手を伸ばした後に更にウェーブを腕全体にかけるような仕草である。
日本アニメの場合も別のジャンルでこれをやることがあって違和感がある。
例えば、嬉しい時に両手を水平に広げて身体を一回転させる、やる気を出す時に両腕を力こぶを出すようにしてポーズする(ラピュタのパズーが「やるぞー! 」とか言ったシーン)など。
これは分かりやすいアイコンではあるものの、私個人の意見ではあるが、本来ではやるべきではない。
4.ディズニーと言う観客も制作側もかかっている呪い
ディズニーには観客も制作側もかかっている呪いがあるのだ。
それは「アニメとはこうあるべし」と言う呪いである。
キャラクターデザインはできるだけ醜くかつリアルに、眉や目は非対称に表情付けをし、逆に動作はリアル味を出さずアニメーションのアイコンを出すなど。
いかに出来合いが悪かろうが、消費者がこれを選択し続け、その市場が形成され続ける限りは、これを選択し続ける他ない。
5.アメリカ標準における黒人を出さなければいけないという縛りプレイ
上記の選択資本主義的映像産業の呪いの上に、2020年頃からスタートしたBLMなどに代表されるポリティカル・コレクトネスの話が、政治的な選択せざるを得ない選択肢としてのしかかる。
本来「黒人を出せ」「アジア人を出せ」までなら分かるのだが、なぜそれらを美醜的偏差値が低い人間を出す必要があるのだろう? それであるならば、美人の黒人、美人のアジア人を出せばいい。そうでない理由は何か?
私が思うに、これもまた、政治思想的に課せられたアメリカ特有の呪いであるのだと考える。
(後述するがそれがディズニーなりの資本主義での映像消費社会における最適解の選択をしている)
日本アニメの立ち位置から見る違和感と、これは一体何であるのか、と言う理由、そしてそれでも尚、ディズニーがそれを選択し続けなければいけない理由と言うのを書いていく。
まず具体例から上げていく。
1.顔の表情にアクがある。
まずここから。「ミラベルと魔法だらけの家」。
よく指摘はされるだろうが、しかし改めて書いておく。
(1)左右非対称の眉(目の場合も同じ)。
日本人が不快に感じるポイントその1。
これは人をバカにする時にやる表情なので、日本アニメではこれを基本やらない。
むしろ人をバカにする時や、相手に対してフォーマルな態度を取っていませんよ、と言う時には日本アニメはこれを選択するが、それはその状況にマッチしているため、日本アニメでのこの表情の採用は特に問題ない。
(2)見下し型の三白眼+笑顔で見せる歯
日本人が不快に感じるポイントその2。
これも人をバカにする時にやる表情or悪役がこれからこの世界を支配してやるぞ、と言うものなので、日本アニメではこれを基本やらない。
こちらも(1)と同様、そう言うシチュエーションの時にはこういう表情を選択する。
2.素材の調理が良くない。
褐色メガネ少女だったらもっとやりようがあっただろうに・・・と。
日本アニメから見れば、全てが間違った選択をしているように見える。
私だったらこうする。
20代前半のスラッとしたインド人女性を出す。
↓こういうの
褐色 丸メガネ 茶髪 切れ長つり目 ショートヘア
— 紅あまね🪷10/15叡智←23TGS (@Km_HarpM) February 5, 2019
以上を踏まえるとぜんぶ紅あまねになるのでみなさまよろしく
#強い女メーカーでフォロワーさんが私を作ってくれる pic.twitter.com/Q7RVCrnrh3
オフィスで文書をタイピング。昔はああだったな・・・と思い返させる。
→インド洋の孤島での生活
など。
とにかくディズニーは用意された食材に対する調理が下手だ。
3.大げさなアクション
これは日本アニメも本当に反省せねばならないが、大げさなアクションに違和感がある。
普段の生活ではそんな風に動かないだろと言うような動きを見せる。
例えばこっそりと何か小瓶をテーブルから盗む動作は、手を伸ばす時に単純にそこへ手を伸ばした後に更にウェーブを腕全体にかけるような仕草である。
日本アニメの場合も別のジャンルでこれをやることがあって違和感がある。
例えば、嬉しい時に両手を水平に広げて身体を一回転させる、やる気を出す時に両腕を力こぶを出すようにしてポーズする(ラピュタのパズーが「やるぞー! 」とか言ったシーン)など。
これは分かりやすいアイコンではあるものの、私個人の意見ではあるが、本来ではやるべきではない。
4.ディズニーと言う観客も制作側もかかっている呪い
ディズニーには観客も制作側もかかっている呪いがあるのだ。
それは「アニメとはこうあるべし」と言う呪いである。
キャラクターデザインはできるだけ醜くかつリアルに、眉や目は非対称に表情付けをし、逆に動作はリアル味を出さずアニメーションのアイコンを出すなど。
いかに出来合いが悪かろうが、消費者がこれを選択し続け、その市場が形成され続ける限りは、これを選択し続ける他ない。
5.アメリカ標準における黒人を出さなければいけないという縛りプレイ
上記の選択資本主義的映像産業の呪いの上に、2020年頃からスタートしたBLMなどに代表されるポリティカル・コレクトネスの話が、政治的な選択せざるを得ない選択肢としてのしかかる。
本来「黒人を出せ」「アジア人を出せ」までなら分かるのだが、なぜそれらを美醜的偏差値が低い人間を出す必要があるのだろう? それであるならば、美人の黒人、美人のアジア人を出せばいい。そうでない理由は何か?
私が思うに、これもまた、政治思想的に課せられたアメリカ特有の呪いであるのだと考える。
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