隠された不都合な事実に目を向けるための「ご飯論法」という読み解き (ハーバー・ビジネス・オンライン 2020/02/19)
左派系の記事。
読むだけ無駄だった。
私の理解力がないのかも。
今、新型肺炎に関心。
記載した記事が、決裁を通過して、登載されたのが不思議。
政府関係者の的確な情報発信には、賛同するね。
不都合な事実を隠す「ご飯論法」
2月11日のTBS「news23」で、「ご飯論法」が実際の国会審議映像と照らし合わせながら紹介された。野党議員の質問に誠実に答えず、意図的に論点をずらして答え、あたかも誠実に答えたかのように装って不都合な事実を隠しておくのが「ご飯論法」だ。 11日の「news23」では、筆者が「桜を見る会」をめぐる国会答弁の「ご飯論法」ぶりをスタジオで解説した。番組公式TwitterアカウントのTweetから11分あまりの特集の全体を確認できる。
「ご飯論法」は2018年の新語・流行語大賞のトップテンを受賞したが、言葉だけでは中身が連想できないことから、「かえって分かりにくい」という声があった。「news23」で紹介されたあとも、「屁理屈」と言えばいいだけ、といった見方がある。しかし、それが「屁理屈」であることが一見してわからない答弁を読み解くためにこそ、「ご飯論法」という言葉が必要なのだ。「ご飯論法」という言葉は、答弁者が答えたくない「不都合な事実」に私たちが気づくことができるための、「手がかり」なのだ。「セクハラ」という言葉が生まれて初めて、「あ、これってセクハラだ」と気づけるのと同じだ。だから、一見してわかりにくくても、ぜひ「ご飯論法」とは何かを知っていただきたい。
実は、「ご飯論法」の「名手」は、加藤勝信厚生労働大臣だ。現在、新型コロナウイルスの広がりや対策の必要性について、的確な情報発信を行うことが期待されている大臣が、はぐらかしの名人であるということは、困った事態なのだが、感染拡大防止のためには、「不都合な事実」を隠さない誠実な情報発信が大事だ。それを求めていく上でも、「ご飯論法」をここで解説しておくことには、意味があると考える。
「ご飯論法」とは
まず、改めて「ご飯論法」とは何かを確認しておきたい。「ご飯論法」とは、「働き方改革」の国会審議における加藤勝信厚生労働大臣の不誠実な答弁ぶりを筆者が2018年5月6日に下記のように「朝ごはん」をめぐるやりとりにたとえたものだ(なお、「ご飯論法」という名付けは筆者が行ったものではなく、紙屋高雪氏が翌日の5月7日にツイッターで筆者の記事に言及しながら行ったものであり、筆者はいわば「発案者」である)。
Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
このやりとりのポイントは次の4点だ。
(1)質問に誠実に答えていない
(2)聞かれたことから、あえて論点をずらして答えている
(3)不都合な事実は隠したままにして、言及しない
(4)あたかも誠実に答えているかのように相手に思わせ、不都合な事実を隠していることに気づかせない
第1のポイントについて。もし誠実に答えるなら、「食べました」もしくは「パンを食べました」と答えるべきところだ。しかし、パンを食べたことは、あくまで言いたくないために、このような不誠実な答え方になるわけだ。
第2のポイントについて。聞かれているのは「朝ごはんを食べたか」なのに、あえて「ご飯(白米)」を食べてたかどうかを聞かれているかのように、勝手に論点をずらして答えている。これもパンを食べたことを言いたくないためだ。
第3のポイントについて。不都合な事実とは、この場合は、パンを食べたことだ。パンを食べたか食べていないかについては、ここでは一切言及していないことに注意していただきたい。「何も食べておりません」と答えるなら虚偽答弁になってしまう。虚偽答弁を避けながら、パンを食べていたか否かについては一切言及せず、「実はパンを食べていたのではないか」との疑念も抱かせない答え方をしているわけだ。
第4のポイントについて。「何も食べていなかった」かのように思わせることがポイントだ。もしこれが「記憶にありません」のような答え方だと、質問者に「何か食べていたはずだ」と疑念を抱かせてしまう。「何も食べていなかったんだな」と質問者に思わせることができれば、たくらみは成功したことになる。
本当のことがわからなければ、「屁理屈」だという判断もできない
この「ご飯論法」について、こんなにいろいろと説明が必要な言葉を作る必要はなく、「屁理屈」や「言い逃れ」などの従来からある言い方でいいではないか、という方もいる。
しかし、違うのだ。「屁理屈」だとはわかりにくいのが、「ご飯論法」なのだ。
「news23」の特集では冒頭で「ご飯論法」の実演があった。山本恵里伽キャスターがトーストを口にしようとしており、その姿を見た小川彩佳キャスターが「朝ごはん、食べてるんですね?」と問い、山本キャスターが「いいえ、ご飯は食べてないです」と答えていた。
こういう状況だと、「ご飯は食べてないです」という答えは、パンを食べていることを否定するための苦しい言い逃れであることが、誰が見てもわかる。しかし、実際に国会で行われる質疑では、パンを食べていたという事実は明らかではない。その中で「ご飯論法」の答弁が行われているのだ。
例えば「news23」でも紹介された次のやりとりを見てみよう。「桜を見る会」についての本格的な追及の開始時点である、昨年11月8日の参議院予算委員会での田村智子議員の質疑に対する安倍首相の答弁だ。国会パブリックビューイングのこちらの字幕付き映像では8分46秒ごろからだ。
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●田村智子(日本共産党):総理、つまり、自民党の閣僚や議員の皆さんは、後援会、支援者の招待枠、これ自民党の中で割り振っているということじゃないんですか。これ、総理でなきゃ答えられない。総理、お答えください。総理でなきゃ答えられない、総理でなきゃ答えられないですよ。
●安倍晋三(内閣総理大臣): いや、今説明しますから。
桜を見る会については、各界において功績、功労のあった方々を各省庁からの意見等を踏まえ幅広く招待をしております。招待者については、内閣官房及び内閣府において最終的に取りまとめをしているものと承知をしております。私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります。
その上で、個々の招待者については、招待されたかどうかを含めて個人に関する情報であるため従来から回答を差し控えさせているものと承知をしておりますが、詳細についてはですね、詳細については政府参考人に答弁させます。
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いかがだろうか。「私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります」という答弁からは、「桜を見る会」当日の挨拶や接遇は行うが、「桜を見る会」に誰を招待するかにはかかわっていない、と聞こえないだろうか。
実は後援会関係者を幅広く募っていたことは、その後、野党側から物証が提示されて言い逃れができなくなり、安倍首相も認めていくのだが、この時点では認めていなかった。
前回の記事で紹介したように、毎日新聞はこのやりとりを翌日11月9日の朝刊で「安倍首相:桜を見る会『後援会優遇』指摘 各界功労者を招待 首相『関与していない』」と報じた。安倍首相は否定した、と読める見出しだ。
この答弁がどのように「ご飯論法」であったかは、次のように言い換えてみるとわかりやすい。
●田村智子議員 総理、つまり、朝ごはんは食べてたんじゃないですか。
●安倍首相 私は起きがけに水を一杯飲んだわけですが、ご飯は食べておりません。
水を飲んだが、ご飯は食べていない、と答えることによって、あたかも何も食べていないかのような印象を相手に与えることができる。しかし実はパンを食べていた(=後援会関係者を幅広く募っていた)。
この答弁が巧妙なのは、パンを食べていたことがあとでばれても、虚偽答弁には当たらないと言い張ることができることだ。パンを食べていないとか、何も食べていないとかと答弁しているわけではないのだから。しかし、あたかも何も食べていないかのように相手に、そしてそのやりとりを見ている第三者に思わせる、非常に不誠実な答弁だ。実際、毎日新聞はこの「ご飯論法」に騙された状態で、前述の記事の見出しを書いたように思える。
「パン」はどのように隠されるのか?
このやり取りの中で、どのように巧妙にパンが隠されていたかは、次のように分解して考えればわかりやすい。
●田村智子議員:招待客を自民党の中で割り振っているのでは?
↓
●安倍首相:私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります。
〈募集〉安倍事務所が幅広く参加を募る
〈推薦〉内閣官房に連絡
〈招待〉内閣府・内閣官房が取りまとめ
〈当日〉主催者として挨拶・接遇
この場合、「隠されていたパン」は、募集と推薦のプロセスだ。実はそこでは安倍事務所が後援会関係者を幅広く募っていたのだが、そこは巧妙に隠され、推薦者を内閣府・内閣官房がとりまとめて招待状を送る、そのプロセスだけに言及し、「招待者の取りまとめ」という事務的なプロセスに関与していないと否定して見せることによって、招待に至るすべてのプロセスに関与していないかのように印象づける答弁を行ったわけだ。
このやりとりを見て、田村議員は「屁理屈だ」と見破れたかもしれないが、その場にいた他の野党議員は、これが「屁理屈」だったと見破れたかどうかは疑わしい。
何かごまかしているのだろう、ということは、やりとりを見ていればなんとなくわかる。その上で、「ああ、こんな風にごまかしていたのか」とより詳細に見破ることを可能にするのが、「ご飯論法」という読み解き方なのだ。
聞き方が悪いという話でもない
もう一つ「ご飯論法」に対して寄せられる批判が、「聞き方が悪いだけ」というものだ。「朝ごはんは食べなかったのか」と問うのではなく、「朝食は食べなかったのか」と問えばいいだけ、というのだ。
けれど、実際には聞き方を変えても誠実な答えは返ってこない。聞き方を変えて誠実な答えが返ってくるぐらいなら、最初から誠実な答弁をするだろう。とにかくパンを食べたことについては一切答えない、というのが「ご飯論法」なのだから、「朝食は食べなかったのか」と問われても「ご飯は食べておりません」という答弁が繰り返されるだけだ。
この点について、1月28日の衆議院予算委員会における小川淳也議員の安倍首相に対する質疑を紹介しておこう。これも「news23」で紹介されたものだ(番組では一部を省略して放送された)。国会パブリックビューイングの2月3日の街頭上映映像の10分3秒からだ。
ここでは小川議員は、「ご飯論法を避けるために」と、慎重に限定した聞き方をしている。推薦者名簿がなくても、後援会名簿の中に、「桜を見る会」への参加の有無がわかる「記録」があるはずだ、と問うているわけだ。つまり、「ご飯」を食べていないのはいいとして、「パン」は食べましたよね、という聞き方をしているわけだ。それでも安倍首相は、頑なに「パン」(=後援会名簿に残されている「記録」)については言及を避けたのである。
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●小川淳也議員:私、一つ疑問がありまして、仮に、本当に政府で、私は違法だと思いますが、文書を廃棄しているとしましょう、仮に。
しかし、総理の事務所には、今、いろいろ問題になっていますね、ジャパンライフの山口氏はどうなのか、反社会的勢力が入り込んだことはどういう経緯なのか、あるいは何人ぐらい推薦しているのか、あるいは前年との重複はどうなのか、このへんを検証するために、仮に名簿を政府が廃棄していても、安倍事務所にはあるはずだと思うんですが、その点、きのうご確認をお願いしておりますので、既に廃棄しているという答弁も国会でちらほらお見受けしますが、改めて確認していただいたはずですので、その点、ご答弁いただきたいと思います。
●安倍晋三首相:事務所に確認をしたところ、推薦者名簿は既に廃棄をしている、これはもう既に申し上げている、同じご質問を何回かいただいておりますので、同じ答弁でございますが、それ以外に桜を見る会の招待を確認できる名簿等は作成をしていないということでございます。
●小川淳也議員:ちょっと、ご飯論法を避けるために、念入りにお尋ねしますが、仮に、内閣府への推薦名簿を事務所も破棄したとします、仮に。
しかし、私ども、政治活動をするにあたって、当然、慎重に後援会名簿というのは管理しているわけですね。これはどなたもそうでしょう。そして、どの方がどの行事に参加をしてくださった、あるいは、どの方にはどの案内を発送している、どういう返信があった、こういうことは名簿を管理していくにあたって、きわめて基本的な事項なんです。政治活動をする以上。
したがって、仮に推薦名簿を形の上で総理事務所で廃棄していても、おそらく総理の後援会名簿には克明に、何年の桜の会案内者、何年の桜の会参加者ということが記録されているはずだと思います。その点、きのう確認をお願いしましたので、ここでご答弁いただきたいと思います。
●安倍晋三首相:ただいま答弁をさせていただいたとおりでございます。
●小川淳也議員:それは、後援会名簿にも記録が残っていない、たどりようはないというご答弁ですか。
●安倍晋三首相:先ほど答弁させていただいたとおりでございまして、作成を、して、え…あの、お…、え…作成したものについてですね、残っていないということでございます。
●小川淳也議員:作成した名簿を廃棄していることは仮に仮定として置くことは、もう既にうなずいています。
その上で、仮に廃棄していたとしても、後援会名簿の本体に記録が残っているでしょうということの確認をお願いしています。
●安倍晋三首相:推薦者名簿は、これはもう同じ答弁なんですが、既に廃棄をしており、それ以外に、先ほども答弁させていただいたんですが、桜を見る会の招待を確認できる名簿等は作成をしていない、こういうことでございます。
●小川淳也議員:微妙にすれ違い答弁ですね。名簿の作成云々は聞いていません。記録が残り、履歴をたどることができるはずだというお尋ねです。
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限定して質問しても論点をズラして答える姑息さ
「仮に推薦名簿を形の上で総理事務所で廃棄していても、おそらく総理の後援会名簿には克明に、何年の桜の会案内者、何年の桜の会参加者ということが記録されているはずだと思います」「それは、後援会名簿にも記録が残っていない、たどりようはないというご答弁ですか」「仮に廃棄していたとしても、後援会名簿の本体に記録が残っているでしょうということの確認をお願いしています」と、小川議員は具体的に限定した同じ質問を三度にわたって繰り返しているのだが、安倍首相は「桜を見る会の招待を確認できる名簿等は作成をしていない」と、論点をずらして答えており、後援会名簿に記録があるかどうか(=パンを食べたかどうか)については頑なに答えようとしない。「参加」の「記録」の有無を問うているのに、「招待」を確認できる「名簿」の「作成」について答えている。「パンを食べたか」と限定して問われているのに、「ご飯は食べていない」とあくまで話をそらしているのだ。
だからこれは、聞き方の問題ではない。あくまで答えない、という答弁者側の問題だ。
答弁者側がこういう姿勢だと、いくら同じ質問を繰り返しても、時間が奪われるばかりで、何も実のある答弁が得られない。このあと小川淳也議員は再び、2月5日にもさらに丁寧に限定をして同じ問いを重ねるのだが、、安倍首相は話をはぐらかし続けた。その様子は、2月10日の街頭上映映像で紹介した。
「ご飯論法」が繰り出されるということは、そこに不都合な事実があるということ
では「ご飯論法」ではぐらかされる国会質疑には何の意味もないのだろうか。野党の質疑時間が膨大に奪われるという大きな問題があるのだが、まったく無意味なわけではない。「ご飯論法」が繰り出されるということは、そこに不都合な事実があることが示されているからだ。
不都合な事実があるからそれを隠蔽しようとして「ご飯論法」が繰り出されるのだ。パンを食べていたという事実を開示しても差し支えないなら、最初から「朝ごはんは食べました」とか「パンを食べました」とかと答えるだろう。そう答えずに、「ご飯は食べておりません」と、あたかも何も食べていないかのように装うのは、パンを食べていたという事実を知られたくないからこそ、なのだ。
だからこそ、私たちは「隠されたパン」に注目しなければならない。田村智子議員の質疑では、それは、安倍事務所が後援会関係者を幅広く募っていたという事実だ。これは参加案内の文書を野党側が入手したことによって、のちに安倍首相は認めることとなった。
小川淳也議員の質疑であれば、「隠されたパン」は、後援会関係者の誰が「桜を見る会」に参加したかという「記録」だ。その「記録」は残っているはずで、その「記録」を集計すれば、後援会関係者の参加者名簿は復元することができる。
ところで、「桜を見る会」では、安倍首相が何を隠しているか、何をごまかしているかは、誰の目にも明らかだ。名簿は不都合だからないものにしたいのだろうし、前夜祭の明細書も出てくると困るから受け取っていないことにしたいのだろう。私たちには、「隠されたパン」が何か、今ではわかっている。
しかし、「桜を見る会」とは異なる多くの問題については、政府が情報を握っており、私たちには何が事実であるかがわからない。だからこそ野党議員が質疑で問うのだが、そこで「ご飯論法」が繰り出されると、事実にたどり着けない。しかし、そこに隠したい事実があるということはわかるのだ。「働き方改革」の国会審議でも、外国人労働者の受け入れ拡大のための入管法改正でも、統計不正をめぐる問題でも、そうだった。私たちは、その隠された事実に目を向けなければいけない。そして、事実を隠さない答弁を求めていかなければならない。
さらに今、新型コロナウイルスをめぐって国内の状況は「これまでとは違う局面」に入ってきていると言われている(参照:NHK)。そういう中で、不安をあおらないようにと政府が情報発信を抑制すれば、「不都合な事実」を隠しているのではないかとかえって疑心暗鬼を生むことになりかねない。加藤厚生労働大臣をはじめ、政府関係者には、適時・的確な情報発信をお願いしたい。
<文/上西充子 動画・図版作成:国会パブリックビューイング>