ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

「ドラえもんがなんとかしてくれる」はずはないなんて小学生でも分かる。

2007年06月29日 23時03分41秒 | Weblog
 ここ数日、マスコミを賑わしている山口県光市母子殺害事件の公判は異常な展開をみせています。
 殺人や強姦致死などの罪に問われている元会社員(26)(犯行時18歳)は差し戻し控訴審で、「弥生さんを通して(亡くなった)実母を見ていた」「甘えるつもりだった」と述べ、乱暴目的だったとの検察側主張を否認しました。
 それだけならまだしも、赤ちゃんの夕夏ちゃんを殺害について「押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットで、ドラえもんが何とかしてくれると思った」と説明したそうです。また弥生さんを姦淫したことについては「生き返ってほしいという思いだった。(「魔界転生」の)精子を女性の中に入れて復活の儀式ができるという考えがあった」と述べたそうです。
 さらに、弁護側の依頼で元少年の犯罪心理鑑定をした加藤幸雄教授の証人尋問で、教授は「自我が低下した中で、弥生さんに優しく接してもらい、亡き母のように甘えさせてくれるはずだという強い思いこみが(元少年に)生じた」とし、動かなくなった弥生さんの体を触ったことについては「母に対する依存感情が性的願望として大きくなっていくことはあり得るので、性的感情が全くなかったという元少年の主張は必ずしも適切ではない」と述べ、「退行した精神状況だった」と結論づけたそうです。

 こういった類の事件で犯行時の精神状態がどうだったのかはよく議論を巻き起こします。今回の場合、事件から7年も経ち最高裁の差し戻しを受けたからこそ、死刑廃止論者が総力を挙げて、死刑を阻止しようとしているなどとも言われています。
 私は人権との関係や世界的な潮流は分かりませんが、肉親を殺害された遺族の思いとして、犯人に死刑をと願う気持ちはよく分かります。例え理由はどうあれ、理不尽に肉親を殺されたのに、犯人は刑務所でおとなしくしていれば数年後には社会に出てこられるというのは理解できません。もしも自分が本村さんの立場ならどうするか? ・・・ 法が裁けないなら自分の手でと考えるでしょう。

 公判の概要を、特に加藤教授の精神鑑定については、怒りしか感じません。精神的に幼いからとか、退行していたから、人を殺してもいいのかという理屈に誰が納得するのでしょうか。
 最近の子どもは全体的に精神年齢が下がっています。精神年齢が幼ければ、人を殺しても、バイクで騒音まき散らしてもいいと言う「常識」「判断力」を持った人はいないのではないでしょうか。小学校などで「あの子はちょっと幼いから」という教育的判断に基づく配慮と、今回のように「あの子はちょっと幼いから」多少の犯罪には目をつむりましょうということは全く別次元の問題だと思います。
 「やったこと」はやったこととして、厳格に対処しなければならないと思います。この裁判、結果しだいでは、日本中の青少年のモラルハザードをさらに進めかねないと思っています。
 世の中、厳しい生活を送っている人たちが多いです。「退行」したいけど「退行」せずにふんばって生活している人々がたくさんいます。「退行」が犯罪に使われてもいいという道を拓きかねない、この裁判の行く末に注目しています。

 本村さんは3日間の集中審理の後、被告が(本村さんに)目を合わせた意図は何だと思うかと問われて、「私は直感的に、この人間を社会に帰してはいけない、この人間を裁けない司法ならいらないと思った」と語ったそうです。
 私も同感です。

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