史上初の同タイムによる決勝となった第58回全国高校駅伝大会。
昨日のTV中継を見ながら、心臓がドキドキしていた。
遅くなった昼食時、たまたまTVがついており、トップは2区から3区へタスキを中継していた。その3区で仙台育英高校が外国人選手でリードを奪ったが、その差が20秒ちょっとと知ってから、もしかするとという期待感でつい見はまってしまった。
実は、ここ数年、高校駅伝がおもしろくなくなってしまった。だから中継を見なくなってしまった。
90年代から一部の高校が外国人を選手として使い始めたからだ。もちろん、外国人の選手をどうこう言うつもりは全くない。日本人選手との競技力の差は大いにある。それはそれでけっこう。
しかし、学校の広告塔として駅伝を利用するねらいが見え見えだし、金にモノを言わせればなんでもやってもいいということを学校教育の延長の場で行うのには、正直辟易している。
もちろん、外国人選手に限らず、国内でも県境を越えた選手獲得は昔からあるから、私の世代が理屈にするには難があるかもしれない。私より少し年上の鹿児島県出身選手が東海地方の某高校へ進学し全国高校駅伝で優勝したこともある。
ただ、プロ選手でもあるまいし、アマチュア競技の世界に学校の売名行為が入り込んでくるのにはやはり違和感がある。国内では飽きたらずに、ついに国外にまで食指を伸ばしているのはどうにも気持ちが悪くなるのである。
そんな中でも、外国人選手を軸とした仙台育英高校と県外からの選手獲得で成長した佐久長聖高校の一騎打ちだったが、純粋に感動した。アンカーの重責を担った両選手にご苦労様と言いたい。
思わず1985年、報徳学園高校全国3連覇のアンカー決戦を彷彿させた。あの時は確か14秒遅れぐらいでアンカーにつないだ八幡大附属高校(福岡)の有馬選手が3連覇のかかった報徳学園高校(兵庫)の西尾選手を猛追し、追いつき、ラスト100mのスパート合戦で、有馬選手を西尾選手が振り切った。私も西京極陸上競技場のスタンドでその姿を見ていた。
あの時以来の感動だった。
昨日のTV中継を見ながら、心臓がドキドキしていた。
遅くなった昼食時、たまたまTVがついており、トップは2区から3区へタスキを中継していた。その3区で仙台育英高校が外国人選手でリードを奪ったが、その差が20秒ちょっとと知ってから、もしかするとという期待感でつい見はまってしまった。
実は、ここ数年、高校駅伝がおもしろくなくなってしまった。だから中継を見なくなってしまった。
90年代から一部の高校が外国人を選手として使い始めたからだ。もちろん、外国人の選手をどうこう言うつもりは全くない。日本人選手との競技力の差は大いにある。それはそれでけっこう。
しかし、学校の広告塔として駅伝を利用するねらいが見え見えだし、金にモノを言わせればなんでもやってもいいということを学校教育の延長の場で行うのには、正直辟易している。
もちろん、外国人選手に限らず、国内でも県境を越えた選手獲得は昔からあるから、私の世代が理屈にするには難があるかもしれない。私より少し年上の鹿児島県出身選手が東海地方の某高校へ進学し全国高校駅伝で優勝したこともある。
ただ、プロ選手でもあるまいし、アマチュア競技の世界に学校の売名行為が入り込んでくるのにはやはり違和感がある。国内では飽きたらずに、ついに国外にまで食指を伸ばしているのはどうにも気持ちが悪くなるのである。
そんな中でも、外国人選手を軸とした仙台育英高校と県外からの選手獲得で成長した佐久長聖高校の一騎打ちだったが、純粋に感動した。アンカーの重責を担った両選手にご苦労様と言いたい。
思わず1985年、報徳学園高校全国3連覇のアンカー決戦を彷彿させた。あの時は確か14秒遅れぐらいでアンカーにつないだ八幡大附属高校(福岡)の有馬選手が3連覇のかかった報徳学園高校(兵庫)の西尾選手を猛追し、追いつき、ラスト100mのスパート合戦で、有馬選手を西尾選手が振り切った。私も西京極陸上競技場のスタンドでその姿を見ていた。
あの時以来の感動だった。