ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

突然の凶行だからこそ、怒りを語るべきだ。

2007年04月18日 23時44分24秒 | Weblog
 昨夜、帰宅してTVをつけると、いきなり長崎市長が銃撃されたとのテロップが流れた。確か本島等さんも市長時代に銃撃されたことがあったよなと思い出しながら、銃撃事件に対する怒りを強く感じた。
 本島氏については著書を読んでいたこともあり、彼の人となりをある程度知っていたが、伊藤市長がどのような方かは詳しくは知らない。その後、精力的に様々な団体の方々と平和の尊さについて考えてこられた方だということが分かってきた。平和を語る者がなぜきわめて暴力的な手段によって命を脅かされなければならないのか、奪われないといけないのか腹立たしさを感じた。
 いろいろな政治家の方々も「民主主義に対する挑戦」などと怒りの声を第一声としていたが、各種報道を見ている内に、ある2人の政治家が最もそれと遠いコメントをしていることが分かってきた。
 一人は久間防衛庁長官。「(補充立候補について)万が一のことも考えないといけない」「選挙期間中に凶事があった時、補充立候補ができるからまだよいが、できない時にどうなるのか。制度の問題としてきちんととらえないといけない。そういう話をするのは不謹慎だが、本当にそう感じた」と、まずは選挙制度の問題点の指摘。さらには「共産党と一騎打ちだと共産党の候補が当選してしまう」とまで語っている。
 補充立候補は可能だし、既に市長の娘婿が立候補を決意したと聞いている。制度の問題を云々する時期ではあるまい。共産党がどうだこうだと選挙戦の行く末まで論じるとは礼儀知らずな発言だ。
 もう一人は安倍首相。「真相究明を望む」という一言。この一言に彼の政治家としての資質が表れていると思う。彼のじさまの念願だった憲法・教育基本法「改正」についてはなりふり構わず血眼になって進める一方で、国民主権の存立基盤である選挙制度を踏みにじる行為に関して、なぜ怒りの言葉が真っ先に出てこないのか。 民主党の小沢代表が「選挙が共産党だ、自民党だ、民主党だというレベルで論じる問題ではなく、暴力で自分の不満や思いを遂げようとする何でもありの風潮を憂え、きちんと考え直さないといけない」と批判したのは当然だ。
 とってつけたように「ご冥福をお祈りしたい」などと発言したってもう遅い。こんな礼儀知らず政治家たちが「美しい国」などと鼻高々に語っているのである。「美しい国」も底が見えたというものだ。
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