9月の連休 9/20~23 の 4日間で 四国八十八か所巡り 第2弾 に行きました
7月は、1番(霊山寺)から17番(井戸寺)まで回ったので、今回はその続きを歩き
、「発心の道場」阿波23ヵ寺を打ち終わる予定を組みました
今回は、二人ともリュックを背負っての旅です
こんなに重たい荷物を持っての旅は、実は初めて・・・・・
(後で測ってみると 約7キロ位 あれやこれやと、不要なものも入れすぎました)
そして、「お遍路ころがし」と言われる難所も待ってる!! ドキドキの旅の始まり
前の日 9/19(金)の夜に小倉を出発し、岡山で宿泊
マリンライナー&うずしお&普通電車 乗換て
南小松島駅に到着
ここからが、歩き遍路のスタート
お茶を買った、駅のパン屋さんで、見つけました
AM9:00 出発
駅員さんに教えて頂いたとおりに進み、道標を見つけました
これさえ見つかればひとまず安心です
歩いていると、 少し先の小高い山に白い旗がはためいているのが見えました
義経が勢揃いして士気を高揚するために、田野と芝生の境にある小島(当時)の山頂へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたことからこの 山を旗山と呼ぶ。
また、この地には像高6.7mの源義経公之像(騎馬像では日本一)が 雄壮な姿で山頂東端にそびえている。
義経ドリームロード
義経が屋島に向かって進軍した進路は、現在「義経街道」と呼ばれ、義経が大阪より風雨の中を押してたどり着き、軍船を集めたとされる「勢合」を起点として、小松島市内の義経ゆかりの地を結ぶ約10キロメートルを「義経ドリームロード」として案内板や道標が設置され、史跡やロマンを求める人々に親しまれています。
義経が小松島の海岸に上陸してから屋島に攻め入るまで、わずか1日の出来事でありながら、弦張坂、弦巻坂、旗山、くらかけの岩、天馬岩、弁慶の岩屋など、義経にまつわる伝説の場所が多く残されており、人々の義経にかける思いの深さが感じられます。 (小松島市のHPより)
ここから、恩山寺までの道でも、義経の通ったと言われる場所を確認できました
「恩山寺」までもう少し坂道を登らないといけませんでした。しばらく登ると・・・・
第18番札所 恩山寺
たらちねの母を思い出す恩山寺
当山は行基菩薩の開基と伝えられる。はじめ、女人の登山を禁じて花折の坂から入れず、百余年の後、弘法大師が当山にある時、その御母公は大師をしたって来山され、大師は仁王門のあたりで17日の秘法を修して、女人の登山を開禁され、御母公に孝養をつくされ、当山で御剃髪された御母公の生像を作られたと伝えられ、寺号を現在の様に改められたという。又、大師堂はこの生像を本尊としたものといわれる。
本堂へお参り
太子堂へ
恩山寺に到着したのが、10:00頃でした 約一時間の歩き
次は、第19番札所 立江寺へ
お遍路道は、山の中へ向かっていました
丁度、恩山寺へ向かう方に出会い、「歩き遍路」の道順を尋ねました
やはり矢印の指す、山の中へと足を進めました
(蛇とか出てきそう 出てこなかったけど )
このあたりの実道も 義経ドリームロード の一部でした
義経軍は釈迦庵から恩山寺へ登る坂の向こうに敵兵がいないことを探知して弓の弦を巻かせたのでここを弦巻坂という。
意外と大変な道が続きました
ようやく、うっそうとした林や竹林の道を出ることができましたよ
「 十五番 立江寺」の表示も見えるし。 安心・安心
途中でで、プレハブ建ての無料休憩所も
工事現場の事務所の様です(土日は開いてないそうです)
これも、無料休憩所
18番 恩山寺から約3km、19番 立江寺の約1km手前の県道136号沿い右側にあります。
この場所には江戸時代の遍路「お京」さんを祀った「お京塚」が有りましたが、老朽化の改装にヘンロ小屋として生まれ変わったそうです
屋根は合掌のデザインです。。
お京さんの冥福を祈る位牌も奥に安置されていました
この「お京塚」の事は、ここに着く少し前にお会いした地元の方に教えて頂いていたので、見落とすことなく確認出来ました
ようやく立江寺と思いきや ・・・ここは裏口(笑)
第19番札所 立江寺 11:30到着
当山は人皇45代聖武天皇の勅願寺にして、天平年間、行基菩薩、聖武天皇の御后妃光明皇后安産の御念持仏として、勅命により閻浮壇金一寸八分の本尊延命地蔵尊をお作りになり、伽藍を建立御開基せらる。世に之を子安の地蔵尊と称し奉る。伽藍建立の地を卜するに当たり、白鷺1羽何処よりともなく飛び来り、橋(今の白鷺橋)の上に止まり、是仏天の暗示の霊域なりと直ちに伽藍を建立す。其後弘仁6年、弘法大師、四国開創の砌、当山に御留錫の上一寸八分の小像にては後世に紛失のおそれあり、自ら一刀三札六尺の大像を刻み、小像をその胸中に秘収之を安置して立江寺と号し、第19番霊場とされた。
当山は、元清水奥谷麓(今の地より西3丁現立江奥の院)にありて巨刹なりしも、天正年間、長曽我部の兵火に罹り灰燼に帰す。当時の藩主、蜂須賀侯初代蓬庵公の御信仰あつく、現今の地に移転、諸堂塔を建立され、旧観に復しすこぶる壮麗なり。
賓頭盧尊者像
十六羅漢の第一。阿羅漢果を得たが,神通力をもてあそんで釈迦に呵責され,涅槃を許されず,釈迦の入滅後も衆生の救済にあたった。白髪と長眉の姿で示される。小乗仏教寺院では上座として,禅寺でも聖僧としてまつった(後に文殊に代わられた)。日本では堂の前に置き,これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まった。
頭をなでで願うと病が癒えるということなので、願をこめて「なでなで」しました
誰の頭を思い出したか・・・・それは ひ・み・つ です
黒髪堂
立江寺に向かう途中で見ていた「お京塚」
お京さんの髪が祀られているお堂です
12:15ごろ出発
後は、今日の宿泊所 金子やさんへ向かいます(約10キロくらい先かな???)
立江寺前のお菓子屋さん
名物 「立江餅」を購入
恩山寺を出たところで、道を尋ねた男性に、
立江寺や道端でのお昼休憩の時に出会いました
「マイペ-ス。マイペース」と声をかけてくださった方です
その男性が、この神社の所で休憩をされていたので、お声をかけさせていただきました
山口の萩の方で、お遍路さんのベテランさんでした
頂いた納め札は「赤」でした。 8回以上廻られているのです
(私たちは、もちろん 白です)
しばし、お話をし、「またどこかで・・・ご縁があれば」とお別れしました
ここからは、鶴林寺の方向へ
途中のコンビニでひと休み
9月といえども、歩くと汗ダクダクです
お振舞をいただきました
歩いていると、向かい側から「お振舞がありま~~す」と声をかけてくださったのです
頂いたティッシュケース(手作り)
これからの旅のお供ですね
ようやく、今夜の宿泊所 金子やさんへ到着です
15:30ごろでした
金子やさんには、何人もお遍路の方が宿泊されていました
夕食を食べたら、9時前には、バタンキュー
翌日は、今回の歩き遍路の難所 鶴林寺・太龍寺への山越えのお遍路ころがしが待ってます
つづく
「発心の道場」は、脱出できましたか?
まだ、続きがあるんですね。
コスモスと大きなリュック、現代のお遍路さん、様になってますよ。
JRウォーキングでは、通らいような道も?
えっ、山越えのお遍路ころがし? 苦難な道のりのようですね。
ご安全に!!
肩が凝らなかったですか?
山道は、マムシが怖いですね。
私は、街道を歩いた時、ポールで先を叩いて渡りました。
巡礼は、お接待が凄いと聞いていましたが、いろんなお接待があるのですね。
「鶴林寺」というと、岡山の「鶴林寺」を思い出すのですが、何か関係があるのかな?
続きを期待しています。
この連休で徳島は打ち終わりました
一日一日が密度の濃い道のりでした
現代のお遍路さんも大変でした
でも、まずは形から入らないとね(笑)
早寝早起きで頑張りましたよ
これもJRウォーキングで鍛えたおかげかなぁ
初めて荷物を持っての移動しながらの旅でした
いつも通り沢山の荷物を持って行ってしまったので・・・・これも勉強ね~と二人で話していました
山道も結構歩きましたよ
蛇には出会いませんでしたが、”巨大なミミズ”登場で、私は思わず声をあげてしまいました
私にはまだまだ先の話ですが、
楽しみが出来ましたよ♪
JRウォークでいつも一緒に歩いている方が
一度いてみたいとか仰っていて、
四国の八十八か所巡りは、お参りの目的じゃないと
いけないんだとかでしたが、ウォークが出来ると言う
情報を与えたら喜ばれることと思います。
華・fucchiが投稿しました。
今日は、私たちは千早を歩いて来ました
日差しが強くてまだまだ暑いですね
四国も、いろいろな出会いがあります
時間をかけて歩かないと体験できないことも沢山ありますよ
いつもデじブック、楽しませていただいています また、どこかでご一緒に歩いて楽しいお話が出来たらいいなって思います
想像以上にスゴイ山道もありU+1F631驚きました。
興味津津いつかは歩きたいけれど、とりあえず、
ぼくちゃん&相棒さんのお遍路ブログを楽しませていただきます。
歩いた私達も「さすが修行の場所だね」と話していましたよ
それにしても早寝早起きの巡礼の旅でした(笑)
でも、色々と思い出や出会いもありました
ブログを作りながら、歩いたことを私も再び思い出してます