ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

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四国歩き遍路  伊予の国を歩く 3日目 その1

2016-10-18 22:53:30 | 四国八十八か所巡り

最終日の始まり

昨日からの雨がどうなるか?そして接近予定の台風がどうなるか??不安な朝を迎えました

ニュースを見ても、お天気が回復する予報が出るはずも無く、ただ、台風は勢力があまり強くなさそうということだけが救いかなぁ

ともかく、天候に泣かされた今回のお遍路さんの最終日です

 

長珍屋さんの中の様子

まだ、早い時間なので、フロントは静か(チェックアウトは、売店で手続きをします)

売店 沢山のお遍路用品が売っています

 

朝ご飯  これを食べて、今日も元気に頑張るぞ!!!

食堂の中においてありました  まだまだ眠たい(笑)

 

旅館の方のお見送りです  有難うございました  お世話になりました

 

 

目の前が、46番札所 浄瑠璃寺です

昨日はお参りできなかったので、まずはお参りです

そして、雨は止むことなく降り続きます   ”あ~あっ 残念” です

 

◇第46番札所  浄瑠璃寺◇

和銅元年(708)、伊予国を訪れた行基が仏道を修行する場所を作り、薬師如来像を刻んで安置。薬師如来の浄土が東方浄瑠璃浄土であることから「浄瑠璃寺」となります。その後、弘法大師が修復し四国霊場第46番目の札所にしたと伝えられています

◇本堂◇

 

 お参りします  ポンチョのままですみません・・・・ m(__)m

 

◇大師堂◇

大師堂には、弘法大師の子どもの頃を象った木彫りの「だっこ大師」があります。弘法大師の幼名は、佐伯眞魚(まお)といい、その重みもちょうどその頃の大きさです。

ポンチョを着ていたので、抱っこせずに、ナデナデしておきました

   ダッコ大師

  

 

「仏足石」

石に刻まれた仏の足跡に自らの足を重ね、健康と交通安全を祈って踏拝する

 

 

「説法石」

「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と書いてある石は、お釈迦様が説法・修行されたインド霊鷲山の石。

 

 

「仏手石(ぶっしゅせき)」

指の間に張られた水かきで、漏れなくすくうお釈迦様の手は、智彗や技能にご利益があるといわれています

 

「もみ大師」

豊作、延命のご利益があるそうです

 

 

 

お参り、納経も終わりました

次の、47番札所 八坂寺へ向かいます 

雨は降り、空はどんより~

 

そうそう、このお城の様な置物は、前もあった

雨は止んだり、降ったり  傘は閉じたり、広げたりと忙しい

 

 

 

 八坂寺が見えてきました

 

◇第47番札所 八坂寺◇

寺伝によれば、この寺の創建は古く、役の行者・小角の開基といわれ、大宝元年(701)、小千伊予守玉興公が寺を建て、のち文武天皇の勅願所として栄えました。
本尊阿弥陀如来は恵心僧都が刻んだものだといわれ、弘仁6年(815)弘法大師が四国霊場のひとつに定められました。

 

◇本堂◇

 

 

 

 

◇大師堂◇

 

 

 雨が降ると、どうしても境内の散策はできなくなります・・・・

前回は、ここで 「閻魔堂」も見たのですが、今回は遠くからちらりと見ただけでした(写真も撮り損ねました ><)

「八坂寺」の見どころは、「本堂」と「大師堂」の間にある「閻魔堂」で見ることができる「極楽の途」と「地獄の途」の絵図です。
「極楽」には美しい浄土が、「地獄」には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれていており、「極楽」と「地獄」の対照的な様子を眺めながらお堂のまわりを歩くことで、自分が閻魔様の裁きを受けているような気分になります。

 

 

 西林寺へ向かいます

 

 

◇別格霊場9番札所「文殊院(もんじゅいん)」◇


このお寺は、「衛門三郎」の邸宅があった跡に創建されたといわれ、空海が衛門三郎の死後、衛門三郎の子供の供養と、悪因縁切の御修法をして衛門三郎を許した地なのだそうです。
当時は「徳盛寺」と呼ばれていたようですが、空海が文殊菩薩に導かれてこの地に逗留したことから「文殊院」と改められたそうです 

弘法大師像の横には、衛門三郎が妻と並んで座っている像があります(暗くて判るかな??)

 

しばらく止んでいた雨が、またひどくなって来ました

 

 

 

昨日、浄瑠璃寺に行くときに乗った路線バス

1時間に1本くらいの運行ですが、丁度すれ違いました

 

 

  歩く・歩く 意外と杖が持ちにくい・・・・

 

◇お大師さまがの野宿し、「衛門三郎」が初めて納札を書いた「札始大師堂」◇

 

 

「文殊院」をあとにし、遍路道をさらに1.5kmほど進むと、「札始大師堂(ふだはじめだいしどう)」があります。
この大師堂は、天長元年に空海が川の中州で野宿しようとしましたが、にわか雨で水が溢れ身の置き所がなくなってしまったので、法力で草庵を造り一夜を明かしたとされる場所です。

その後、衛門三郎が四国巡礼に出発した際に、この地に立ち寄り、大師自刻の尊像がまつられているのを見つけ、懺悔し、空海が訪れるのを待ち一夜を明かし、翌朝出発する際に紙に自分の住所と名前を書いてお堂に貼ったいわれています。
このことが、現代のお遍路さんも行う「納札(おさめふだ)」の始まりとされることから、「札始大師堂」と呼ばれています。
ちなみに、この大師堂は、近くにある「大蓮寺(だいれんじ)」の境外仏堂で、正式名称はこのあたりの地名からとった「小村(こむら)大師堂」です。

 

中を覗いてみました(多分、前回も同じようなことをしている気がします)

手を合わせ、お札を入れてから、再び歩き始めます

 

 石鎚山の方向(だと思います)

この時は雨は上がっていましたが、空には分厚い雨雲が一面に広がっていました

 

あの先を曲がると、次のお寺に着きます

到着(まだ駐車場中)

 

 

 西林寺の門前にはこの大師堂と小川が流れていて、小さな橋を渡ってから山門をくぐるようになっています

 

 

 

◇第48番札所  西林寺◇

天正13年(741)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が特威の里(松山市北梅本町周辺)に堂宇を建立し一の宮、別当寺として開創されたのがはじまりといわれています。
大同2年(807)に弘法大師がこの地を巡錫され、現在地に伽藍を移し再興され、自ら十一面観世音菩薩を刻み安置され、四国霊場と定められました。
このとき、弘法大師は旱魃に悩む村人のために、錫杖で清水を掘り当てたといわれています。

  

 

 

◇本堂◇

 

 お参りします

 

◇大師堂◇

 

ここのお寺は、お庭も綺麗で、見ごたえがありました

 

広くて屋根がある休憩ところがあったので、リュックを降ろしてトイレを借りて、一息つきました

横浜から来られた女性がいらっしゃり、少しだけお話を(一人で区切りでの歩き遍路さん)

帰りの飛行機があるので、今回はこれで打ち止め  この西林寺から空港に向かわれるとの事

山登りはあちらこちらにされていて、お遍路さんも何度か回られたと言われていました

リュックは、中の荷物も大きなビニール袋に入れていて、外カバーと合わせると「二重防水対策」!!!

良いことを教えてもらいました  次回からは、雨の時は参考にさせてもらおうと思ったのです

 

 

次は 49番浄土寺です

 

 

 

スーパーABC

前回の時も、ここで冷たい飲み物を飲んで休憩しました

今回も・・・・・・

 甘くて冷たいものを飲んで一息  ぐっと一気に飲みます

久米小学校の前に はにわ発見

杖は、肩にかけて傘を差すのが優先

このお天気だもん  弘法大師さんも許してくださることでしょう

 

踏み切りの先が

 49番札所 浄土寺到着しました

 

◇第49番札所 浄土寺◇

寺伝によれば天平年間(729~748)に恵明上人が開創され、孝謙天皇の勅願所で、本尊釈迦如来像は行基菩薩の作と伝承されています。
その後、弘法大師がこの地を巡錫され、伽藍を再興され、四国霊場と定められました。

 

 

 

◇本堂◇

 

◇大師堂◇

 

 ここで出会った方は、車で八十八か所を逆打ちで回られている男性でした

立派なカメラを持たれていたので、何を移されているのかと思うと「屋根の飾り瓦」を撮っていらっしゃるとの事

同じ様にお寺を回っていても、それぞれに目的や見るところは違いますね

74番 甲山寺の飾り瓦が「うさぎさん」だとを教えてあげました (*^_^*)v

そして、松山・小倉フェリーから電話が!

台風で運航が心配していたフェリー(松山観光港 21:55発)は予定通り運航するという連絡でした

もし、欠航になったら、途中でお遍路を止めて、広島に早い時間にフェリーで渡るか?バス(しまなみ海道)?やJR(岡山経由)?で

帰る事も考えていましたので、これで一つ不安解消です

となれば、今日のお遍路さんも予定通り歩き進みます

次は、50番札所「繁多寺」です

 

 途中で、コメダ珈琲発見!前は無かったから新しくできたんだ

北九州で、よくコメダ珈琲は寄りますが、今日はそのまま素通りです  

かき氷食べたかったな~

 

 

墓地の中の道が、へんろ道になってます 

最初は、本当にここを通るのかと思いましたが、2度目となると、意外と慣れたものです(笑)

返ってこういう所の方が、記憶に残ってるものです

 このグランドが見えるともう少し

 

50番札所「繁多寺」到着

 

山門前の寺名石は、10000回お接待をした方が記念に寄贈したものだそうです(凄い)  ↓

 

 

 

◇第50番札所 繁多寺◇

天平年間(729~748)に行基菩薩が開祖と伝えられていますが、本尊薬師如来を刻み安置したのが寺のはじまりで、孝謙天皇の勅願所でありました。
その後、伊予入道頼義や堯運(ぎょううん)老師によって再興され、光明寺と称していましたが、弘仁年間(810~822)に弘法大師が当地を訪れ東山繁多寺と改め、四国霊場に定められました。
また、この寺は、時宗の開祖である一遍上人ゆかりの寺としても有名です

 

◇本堂◇

団体さんと一緒になり、沢山の参拝者です

この団体さんはバス遍路で、この前の浄土寺でも一緒でした

街中だと、歩くのは、最短距離でとバス移動では大回りになったりなど、あまり時間も変わらないのかもしれないです

 

 

◇大師堂◇

 

帰りの予定が決まったので、このお寺も時間を取りゆっくりしました

元禄9年(1696年)に建立された鐘楼には、「御伽草子」の挿絵24枚が天井画になっていいるそうですが、

そこまで見る余裕が無かったです   残念

 愛媛大学の「四国お遍路」のアンケートが行われていました

先生と学生さん数名。天気が悪い中、テントを張り、皆さんに声を掛けていました

団体さんはなかなか時間の関係でできないようです

私たちは、まあ時間があればある、無いと言えば無い・・・・ せっかくなので協力することに

お話をしていると、このアンケートも、お寺の方は意外と参考にされているんだと、言われていました

 

幡多寺から、松山市街を望む

そんなに高い所に登っていませんが、眺めはとても良いのです

 暑いのと、疲れが出ているのか、甘い飲み物が美味しい

割安な自販機を見つけて、ミルクコーヒーのペットボトルを購入  ゴクゴクとあっという間に飲み干しました

 

さっき、お参りした 「幡多寺」です

 

 

雨が降ったりやんだりで、傘が手放せません・・・・ついに、傘と杖を一体にしました(持ってきていた黒ゴムでくくります)

これで、杖を置き忘れることも無くなりますが、弘法大師さんには、一応少しだけ申し訳ない気持ちになりました

雨のせいです・・・・・・ごめんなさい

 

約3キロ弱歩けば、山の上に像が見えてきます その麓が、51番 石手寺です

 

ようやくここまで着きました

先に見える石橋の所が、51番札所 石手寺です

ここまでくれば、一安心

その2に続く・・・・ !(^^)!

 

 

 


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