GWは、60番から70番までのお寺を打つ計画を立てました
「お遍路ころがし」とも言われる、標高700メートルから900メートルに有るお寺の参拝
3月くらいまでは、雪も残っていると聞き、このGWまで残していたのです
色々と無理の無い様に計画していましたが、
「登れるかなぁ??」と期待ワクワク、不安ドキドキ
5/1の夜、小倉から松山行のフェリーでいざ出発です
翌日は、朝から横峰寺への険しい道が待っています
と言う事で、2等寝台を予約しました これでゆっくり寝られそうです
くつろぎモードでピース
関門橋を通過し、一路松山へ
松山港到着 リムジンバスで、松山駅へ
松山駅で、驚きの再開がありました
昨年、11月の連休で59番国分寺まで打った後、小倉までの帰りのフェリー乗り場でお話をした女性お二人とバッタリ
今回、同じフェリーで松山に到着されていたんです。偶然とはいえ、本当に出会いとは不思議なものです
お二人は、普通列車で高松へ向かわれるとのことでした
JR松山駅から特急で伊予西条へ それから普通電車で伊予小松へ戻ります
その方が、30分位早く出発駅の伊予小松駅に到着出来るからです
少しでも早めに到着してゆっくりと歩く為に、ちょっぴり出費増も仕方ないですね・・・・・
車内&伊予小松駅にて ぼくちゃんも、私もまだまだ余裕の様子(笑)
伊予小松駅からまずは、今晩宿泊予定の「ビジネス旅館小松」へ寄りました。駅からすぐです
玄関を開けると、旅館のおばあさんが、元気よく迎えてくれました
ここでは、不要な荷物を預け、今日歩く道の地図を頂きます
ピンクの蛍光ペンで、歩く道がマーカーしてあり、おばあちゃんが親切に説明して下さいました
この地図と受けた説明を頼りに歩くのです 頑張るよ
<小松さんで頂いた地図>
お天気は上々
最初の頃は、舗装されたなだらかな登りです(ほぼ平らかな???)
採石場の横を通ります(決して不法侵入じゃ無いよ 笑
)
この辺りから、じゃり道や登りも少しづつ急になって来たなぁ
分かれ道
ここは、事前に色々とこの道を歩かれた方のブログなどを読んでいましたが、間違えやすい所らしいのです
北九州 八幡のかっちゃんさんからも「気を付けて」とアドバイスを受けていましたので
それを思い出しながら、「遍路道」の札をしっかりと確認しました
今まで歩いて来た割と広い道をそのまま進むのでは無くて、木立の間の道に入って行きます
良く見れば、「歩き遍路」の札もあるのですが、夢中になって歩いていると中々札も目に入らないものですよね
横峰寺と香園寺への分かれ道 T字路の所にベンチがありました ここで少し休憩
これまで、結構登り坂で、バテバテ気味
エネルギー補給タイム
しばし、休憩して さあ、またまた歩き始めるよ~
いざ出発じゃ~~~
倒木があります
それは、跨ぐ 「よっこらしょ」
たまには、自分自身で”叱咤激励” 但し、周囲に人がいない時だけですけどね
落ち葉の道だけで無く、ツルツル滑りそうな石の道もあります ここは滑りやすいので要注意
しかし、この辺りで、相棒は案の定、つるっと滑りこけてしまいました・・・・・・
軽い打ち身 軽く負傷
上から横峰寺から帰って来られるお遍路さんとすれ違いました お参りを終えた、沢山のお遍路さんがが降りて来られていました
でも、あの坂道を登られた後なのに、皆さん足取り軽く降りて行かれます
凄いなぁ
途中でお話ししたお二人と、記念撮影 パチリ
お遍路さんも大変です
マイペース、マイペース
路肩が落ち、危険箇所です
ロープが張ってありました
登り有
下り有
まだまだ先は長いので、下るとまた登りがあるんだろうなと想像すると、少しだけ悲しい気持ちにもなってきます
でも、こんな風景を見ると、疲れも吹き飛ぶ (気がするだけかなぁ~~~~
)
重量オーバー にもならず、無事に渡り終えることができました(当たり前か~)
結構、山肌が崩れ落ちているところも有 要注意で前に進みます
長い長い山道が終了 目の前が開けて車道に出ました
ここまでにゆっくりなペースですが、多分3時間以上は歩いています
本当にあと一息 駐車場は 左へ登っていきますが、歩きは右の坂道へ
そして、ようやく 横峰寺に到着
第60番札所 横峰寺
横峰寺の歴史・由来
西日本の最高峰・石鎚山(標高1982m)は、山岳信仰の霊地であり、修験道の道場でもある。弘法大師・空海が24歳の若いときの著書『三教指帰』の中で「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)轗軻(苦行練行)たり」と、この山で修行した様子を記している。境内は山の北側中腹(750m)にある。四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可である。
縁起によると、白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、山頂付近に蔵王権現が現れたという。その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建とされている。また、延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者が住んでおり、桓武天皇(在位781〜806)の脳病平癒を成就したことから、仙人は菩薩の称号を賜ったと伝えられる。
石楠花とお寺が私達を迎えてくれました
車やバスで来られる方も多いので、思ったより多くの参拝者の姿がありました
<本堂>
神社風の権現造り。本尊は伝弘法大師作の大日如来坐像。鎌倉時代の金銅蔵王権現御正体像も祀り、ともに県指定重要文化財
<大師堂>
<鐘楼>
<納経所>
納経所の前には、温度計があり、23度位になっていたそうです
山登りで暑かったのもあるんでしょうが、実際は気温も高かったのです
納経所から少し離れたところに、仁王門と休憩所があり、ここで昼食タイム
朝、購入した おにぎりとチーズ入り竹輪がこの日のお昼でした(残念なことに、ビールはありません
)
お腹がすいていたので、写真を撮る前に、ついつい、パクリ
<仁王門>
仁王門から約580メートルの所に 番外霊場 「星が森」があります
第六十番霊場横峰寺奥之院
役小角がここから石鎚山を遥拝して蔵王権現を感得しました。
弘法大師が42歳のときに、この地で厄除けの星祭りの行をしたので星ガ森の名があるといいます。
1742年建立の「かねの鳥居」があり、石鎚山の発心門とされています。この鳥居から、石鎚山を望むことができるそうです
580メートルと言っても、どんな登りか判らなかったので、今回は案内板を見るだけになりました
<次に横峰寺を訪れる機会があれば・・・・・ぜひ登らないとねと思いながら>
ゆっくりと横峰寺をお参りしました
今からしばらくは登って来た道を下り、61番 香園寺へと進んでいきます
赤い往路が、今来た道
紫の復路が、今から歩いていく道です
C のハイウェイオアシスルートの所を歩いて来た様です
B の奥の院ルートで下ります
A の湯浪ルートで順打ちに進むと、仁王門の所に到着します
(私たちは、裏門から入ったことになってたみたいですね)
この湯浪ルートが大変な道らしいです
<参考> 標高
朝から、横峰寺~奥の院手前の山道の奮闘具合をデジブックにしてみました
デジブック 『四国◇お遍路ころがし』
まだまだ、この日の歩きは、続きます
ブロクも続き有だよ~
色んなハプニングもあり、読みながらドキドキ、ワクワクしましたよ。参考:標高の絵がすべてを物語っていますね。
続編もお楽しみ!!
実は、私のブログによくコメントしてくれているmさんがツアーで、
全て廻り、ブログ記事にしています。
第60番横峰寺は、マイクロバスに乗り換えて、横付け?
お二人のこの苦労、きっと将来、役立つと思います。
通った時、石鎚山を見ました。
凄い高い山だな~と思ってました。
ホント、お疲れ様でした。険しい山も登った後の達成感はたまらないですね。続編期待しています。
まさに登山お遍路でした
4日間歩かなければいけないので、なるべく朝一番の元気な時間に登り坂を歩ける様にぼくちゃんが検討に検討を重ねたプランでした
山道は、こけない様に注意ですよ
修験者の修行の場ですもんね~
歩いているときは、いつまで歩いたら着くのかなぁ・・・とばかり考えてましたけどね
でも、写真を見ていると、歩いた時のことがまだ思い出されます
でも、お天気には恵まれました
ブログを作っているときに写真を見ているとついつい歩いた時のことを思い出して中々先に進まない(笑
星が森まではすぐですよ。厳しい登りもありません。
訪れた時は残念ながら霧の中でした。鳥居の写真だけ写しました。
星が森まではすぐですよ。厳しい登りもありません。
訪れた時は残念ながら霧の中でした。鳥居の写真だけ写しました。
何とか二人で、横峰寺を打つことが出来ました
最初はどうなるだろうか・・・・と心配していましたが、お天気にも恵まれました
もうすぐ結願ですが、訪れた所でも見ていない所があります
星が森もその一つですね