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四国歩き遍路  伊予の国を歩く 3日目 その2<今回の打ち終わり>

2016-10-21 22:11:44 | 四国八十八か所巡り

 

道後温泉にある51番札所「石手寺」に到着しました

相変わらずのお天気が続きますが、ここまでくれば一安心です

船も無事に予定通りに運行される様だし!

日本一の高さの「日中友好弘法大師像」を拝みながら、石手寺にお参りします

 

◇第51番札所 石手寺◇

「石手寺」の縁起によると、神亀5年(728年)に伊予国の太守「越智玉純(おちのたまずみ)」が霊夢に二十五菩薩の降臨を見てこの地を霊地と悟り、熊野十二社権現をまつり、それが聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して開基、寺名は「安養寺」とされました。

その後、平安時代となり、寺名を「石手寺」と改名するきっかけになったのが、空海に懺悔するために四国をまわったことで四国遍路の元祖といわれる「衛門三郎」だそうです。

23回目の巡礼でようやく空海と出会うことができた衛門三郎ですが、すでに病で命が尽きる間際で、「来世には河野家に生まれ変わりたい」と空海に託し、空海は衛門三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた石を握らせたそうです。
それからしばらくたった寛平4年(892年)に河野氏に生まれた子どもが左手を固く握って開こうとしないので、「安養寺」の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきたことから、この子を衛門三郎の再来として、石は「安養寺」に納めたられ「石手寺」に改名したそうです。

 

 

参道を歩き進んでいくと、山門が見えます

参道には色々なお店もありました

 

  何だか縁起いい感じがしませんか(笑)

 

 ◇山門◇

「山門(仁王門)」は鎌倉時代1318年建立で「国宝」に指定

 

◇本堂◇

石段の上の「本堂」は国指定重要文化財。石段途中の三鈷杵がとても印象的です

 本堂前から山門を望む

 三鈷杵が以外と大きいのです

 

◇大師堂◇

 

石手寺には色々な建物や仏像があり、見るところも多く、お遍路さん以外にも、沢山の観光客がいらっしゃいました

観光客のほうが多いかもしれないです

世界的に有名な観光ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で1つ星を獲得するほどの観光地としても評価が高いお寺なんだそうです

 

 

 三重塔

 

 

 知恵の輪くぐりがありましたので・・・・・・

 くぐってみました!!^^v

 

「マントラ洞窟」は金剛界と胎蔵界をあらわしているとのことで、洞窟内で二手にわかれ道になっています。ここを通り抜けても山の裏側に出ることができます。初めて、道後温泉に観光で行ったとき、案内していただいた地元のボランティアガイドさんにこの「マントラ洞窟」を案内して貰いました。本当に真っ暗で、一人ではとても歩けないなぁと思ったことを思い出しました

 

、「道後温泉」方面には2ルートあり、「石手寺」の裏山方面に登っていくルートが示されています

ここから登るようです  でも私達は、前回も今回も街中を歩く道を進みましたが・・・・・

 結構急な階段ですね

 

境内入口には巡礼をしていた「衛門三郎」の様子をあらわす像がありました

 

 

少しゆっくりお参りしすぎたかも (>_<)   先に進みます

道後温泉の方向へ向かいます 

 

途中で、こんなバスも見かけたよ!  流石、観光地だと思ってしまいました

松山の偉人が勢揃いです

 

 手を合わせます

 

 道後温泉に近くなると、観光気分も味わえます

 

 

道後温泉駅前

 

坊ちゃん列車

 やっぱり、記念撮影はしちゃいますね(笑)

 

こちらは、実際に運行している「坊ちゃん列車」です

 

ここからは、市内電車で移動します

北九州市内も、昔は、西鉄電車が通っていて、出かけるときにはよく利用していました

今は、すべて廃止となり、同じ路線には、西鉄バスが走っています

 

 

大手町駅で乗り換え  伊予鉄 高浜線に乗って、三津駅に向かいます

 

前回のお遍路さんから帰った後、この大手町駅の十字路がとても珍しい所だということを知りました

郊外線である高浜線と市内線である大手町線がほぼ90度で交差するもので、旅客営業をしている鉄道線と軌道線が直角に平面交差するのは全国広しと言えどもここ1か所だけなんだそうです

郊外線と市内線などの区別など、詳しいことはよく判らないですが、「珍しい」と聞いているなら、写真に撮っておかないとと、電車の待ち時間に、パチリ・パチリ

 

 

電車の乗って「三津駅」に到着

電車で道後温泉から移動してきていますが、なんとなく疲れが溜まっているのかな?

でも、後二つ!がんばるよ

 

三津駅から今回はバスで太山寺へ移動しました

バスはここが始発なので、もう発車時間までの待機停車中

運転手さんと、色々と話もしてきました

昔は、歩きのほかにも、公共の交通機関を利用しているお遍路さんも多かったけど、今は、車やツアーが多いとか、

松山は、松山駅前より松山市駅が交通機関の中心だから、そこを拠点にした方が良いとか (もう、終わりに近いのに・・・今更かな~??でも次回の参考にさせていただきます)

短い乗車時間ですが、歩くと長い坂もある行程です(前回歩いた道なので・・・・・)

やっぱり、バス移動は気持ちも楽だし、身体的にも楽ちんです。

何とかかんとかで、 第52番 太山寺に到着

 

「仁王門」をくぐると歩いていくと、駐車場や納経所が見え、52番札所「太山寺」境内になります

 

 

◇52番札所 太山寺◇

「太山寺」の縁起によると、飛鳥時代の用明2年(586年)にさかのぼり、豊後国臼杵の「真野長者(まののちょうじゃ)」という者が難波に船で向かう途中、高浜(現在の太山寺近くの海岸地域)の沖で大嵐に遭遇し、長者が信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸できたそうです。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音をまつった小さな草堂(現在の「奥の院」)があり、長者は感謝し堂宇を建立することを思い立ち、さっそく豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にしてお堂を建立したという伝説が残っています

 

「仁王門」は入母屋造八脚門の立派なもので、1305年再建の歴史があり、国指定の重要文化財です。

 

 

 

 52番札所「太山寺」は、「一の門」をくぐってから「本堂」まで長い道のりが意外と大変なんです、民家の立ち並ぶ珍しい参道・境内を楽しんでとは言われていますが、ここまで歩いてきているのでなかなかそういう気分にはならないなぁww

バス遍路の方々も、「坂道が長いね~」と言われていましたけどね

ようやく、山門が見えてきた

あの先にが「本堂」です

 

 

 

 

◇本堂◇

「太山寺」の現在の「本堂」は鎌倉時代の1305年に再建されたもので、桁行7間 (16.38m)・梁間9間 (20.91m)もある巨大サイズ、愛媛県下の木造建築物では最大、真言密教の「本堂」としても最大級で、「国宝」に指定されています。

遠くから見てもとても立派な建物です!

 

◇大師堂◇

  

 

大師堂からの全景

 

 納経を済ませました

 最後の、円明寺まで2キロです もうひと頑張りです

 

ここで、驚きの再会が!

二日目の「久万高原 御三戸バス停」から岩屋寺へ歩いている時にあった「自転車お遍路」の男性(学生さんだったと思います)とバッタリ遭遇しました

どこかで見たことがあるなぁと思っていたら・・・・・・まさかここで出会うとは思いませんもんね~  びっくりでした

自販機で、イオン飲料を気持ちだけお接待   

円明寺へ進んで行かれました   私たちは歩きなので、もう追いつくことはありませんね   本当にお別れです

自転車、元気に出発 ==33333   

 

私達も、53番札所 円明寺に向かいます   歩いて進みます  

 

県道183号に戻り2km弱北方向に進むと「和気町(わけまち)」に入ります。
「和気」というかわった地名は、4~5世紀の大和時代に「和気氏」という豪族がこの地域に定住したことがきっかけで名づけられたそうです。雨の和気町をテクテク歩き進みます

到着!  

街中にあるお寺なので、道のすぐ横に山門・本堂・大師堂が見えます (この近さが、何となく嬉しい!)

 

◇53番札所 円明寺◇

「円明寺」の縁起によると、天平勝宝元年(749年)に聖武天皇の勅願で、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、創建したそうです。
現在のお寺の位置よりも北方向の浜に近い場所で開創されたそうで、元々の山号「海岸山」は立地に由来し、当時は七堂伽藍を備えた大きなお寺だったようです。

その後、平安時代にはお大師さまも訪れ霊場の札所にもなりましたが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰退し、江戸時代に入って寛永10年(1633年)に土地の豪族「須賀重久」によって現在地に移され、再興されたとのこと。

 

◇本堂◇

 

 

◇大師堂◇

 

また、お寺には、京都の樋口平人家次が慶安3年(1650年)に奉納したという銅板納札が保存されており、「遍路」の文字が記された資料しては最古のもので、遍路の歴史を知る上でたいへん貴重なものだそうです。本堂の前の看板で紹介がされていました
これを発見したのが、大正13年3月に四国遍路をしていたシカゴ大学のスタール博士という方たそうです

現在の円明寺はこじんまりとしていますが、キリシタン灯篭など、他にも見るところもあるのですが、まずは、スマホの電池が切れそう!

雨はまだまだ降っているので、軒下をお借りして、携帯用の充電器を探し出したり、荷物を纏めたりしていて何となく見落としたとこも

残念><  まあ、仕方ないかな?

 

 

傘を差して、お寺を後にします

今回の3日間のお遍路さんもこれで打ち終わりです

 さあ、JRの駅にと思っていたら、門前で自転車お遍路さんとぼくちゃんしばしお話(笑)

まあ、帰るまでの時間はたっぷりあるので、良いか~ (*^_^*)

 

JRの「伊予和気駅」は、昔の洋風建築をイメージした凝った造りで見ごたえがありました。1988年(昭和63年)に旧駅舎が火災で全焼してしまい、1990年(平成2年)に建て替えられたのが現駅舎だそうです

ここから普通電車で、松山へ戻ります  

 

 

 

最終日、これだけ歩きました

雨で、予定外の乗り物での移動もあったけど、意外とよく歩いていたんだなぁ

自分ながらにびっくりでした(疲れていたのもうなずける気が・・・・・)

 

JRで松山駅に戻ってきました 

松山駅前にあるスーパー銭湯「伊予の湯治場 喜助の湯」で今日一日の汗を流します

ここは、お遍路さんにはお奨めです!

まずは、玄関に入ると、受付の方がすぐに近くまで来てくれて、傘と金剛杖を預かってくれました

(ロッカーには入らないですもんね)

そして、ロッカーもリュックが入る大きな所を貸出しなど、嬉しい気遣いがありました

値段も¥600とお手頃です

お風呂の種類も色々あって、休憩スペースも大きい

1時間位体がフニャフニャになるくらいのんびり湯船に浸かりました  極楽・極楽

お風呂上りは、やっぱりこれですよね~

さっぱりし、ほてった体にはこれが一番です   至福の時間です

 

 

スーパー銭湯「伊予の湯治場 喜助の湯」でゆっくりとした後は、一路松山観光港へ

 アナゴ弁当で夕ご飯です

 台風接近の心配もありましたが、予定通りに出港

長い3日間がこれで終わりです

 瀬戸内海の船旅は、心配していた船の揺れも無く(松山観光港は、意外と風も強くて、係りの方も多少は揺れるかもですねと言われていた)、小倉に定刻 AM5:00に到着しました

小倉も思ったほど天候は荒れていなくて、台風が近づいているというのが信じられない位でした

(運が良い方に、天気予報が外れました)

 

 

これで、3日間の歩き遍路は終了です

今までもお天気が悪かったことはありましたが、こんなに、ポンチョを着て傘を差しての行程は初めてでした

これまでが、運が良かったのかもしれませんね

でも、無理せずマイペースで歩き、けがもなく無事に今回も打ち終わることができてホッとしました

(ブログもようやく完了した  これが一番大変だったかも 笑)

さて、次はどこを歩こうかなぁ???? 

「まだまだこれからじゃ」です

  

 

☆おしまい☆


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2 コメント

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Unknown (mie)
2016-10-25 10:26:37
伊予のお遍路さんお疲れ様でした
ブログを拝見していると11月のツーデーに早くも先に
歩いている気分になりました
何だか楽しみが増えてUPされた写真やレアなスポット
行ったら立ち寄ってみます
「まだまだこれからじゃ…」もしっかりと
行きは夜行バスですが帰りは松山港から
スーパージェットに乗って広島経由で戻る予定です。
翌日休みならフェリーがゆったり出来て便利ですね。
アナゴ弁当も美味しそう。
帰りに探してみようかな。
嫁の出産も気になるところですが2人で楽しんで来ます
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mieさんへ (ぼくちゃん & 相棒)
2016-10-25 22:23:54
こんばんわ~
11月のツーデー、楽しんで下さいね
今年は少し紅葉が遅いので、丁度良い時期かも!!!
久万高原の岩屋寺・大宝寺は山の中のお寺の雰囲気が一杯です
その後の浄瑠璃寺からは段々街中のお寺って感じかな
ゆっくりとお寺を見る時間はないかと思いますが・・・・私たちも今回は雨の為、ゆっくり見てないことも多かったかな???
道後温泉に宿泊かな?温泉もいいですよ
お遍路さんの時には温泉と言うわけには行かないですが、前に観光で行ったときはお風呂も旅の楽しみでしたもんね~
お二人で、楽しい松山観光&ウォーキング楽しんできてください
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