3月12日(土)13日(日)二日間 瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加
小倉から夜行バスに乗って、朝 6時過ぎに倉敷駅に到着です
今回は、ウォーキング友人のYさんもこのツーデーに参加されるということで、同じバスでした。他にも、ツーデーに参加される感じの方が何人か乗車されているようでしたね。早朝着くので、この夜行バスで行けば宿泊代がかからずに参加できますからね・・・・
(ちなみに、Yさんは、二日間とも 40キロコースに参戦 凄いなぁ)
主会場の倉敷市役所までは、結構ありました
これで、準備体操になりそうです(笑)
途中で、ホテルに荷物を預け、着替えを済ませて会場に向かいます
こんな幟をみるとワクワクしますよね~
<事前申込み分受付場所>
ここで、参加記念の粗品などをいただきました。冷え込みの厳しい早朝から、有難うございます!
少し会場の中をウロウロしながら、スタート地点の所まで到着すると・・・・・なな~~んと、丁度40キロの参加の方が歩き始めていました。40キロ参加されている、北九州のYさんや、兵庫のNさんの姿を探しましたが、結局見つけることはできませんでした。流石に、皆さん早い歩きです (>_<) 40キロのスタート時間が 07:00だったことをすっかり忘れてしまってたんです・・・・・・
20キロ参加の私たちは、この2時間後の 09:00スタートなんです(汗;;;;)
まだまだ時間があるので、まずは、スタート地点の一番先頭に陣取りました
参加者が多いので、列を作って待機・スタートするのです。これも驚きでした
最初は、ほとんど人は来なかったのですが、7時半過ぎからボチボチと参加者の列ができ始めました
(私達は早すぎだと思います 笑)
人が集まれば、会話が始まる!!!! ワイワイと話していたらあっという間に開会式の始まりとなりました
こんなマッサージサービスも有りました
開会式スタート
倉敷高等学校陸上競技部の生徒さんも招待参加されていました
倉敷高等学校陸上競技部は、昨年2015年12月20日に京都で行われた全国高校駅伝で見事3位という快挙を成し遂げたそうなんです
倉敷市伊東市長 <中国・四国地方では史上初の女性市長なんだそうですよ>
倉敷市特産品の「ジーンズ」と「地下足袋式シューズ」で決めポーズ☆
ゆるきゃら達のお見送り そして、こちらも常連さんのワンちゃん達もお見送りしてくれます
そして、いよいよスタート スタンプを貰ってから元気よく歩き始めます
鶴のおじさん達もお見送りです いつも有難うございます
トマト銀行 岡山市に本店がある地銀です
この銀行名になった時は、「流行語大賞」の候補にもなったりして、話題になりました
なだらかな坂道 まだまだ元気 お天気も快晴で朝の冷え込みが嘘のように暑くなってきます
水島臨海鉄道水島本線 浦田駅横通過
6月に行われる SUN-IN未来ウオーク(於:鳥取) の宣伝隊
倉吉で行われるそうで、朝の開会式の時もアピールされていました。日本全国各地で開催され、こういうのを見ると、行きたい所が沢山出てきますよね~♪
厄(やく)神社へ・・・・・ 登り坂から階段 これまでほとんど緩やかな登りしか無かったので意外と足にくる
上まで登ると、水島の工業地帯と街並みが眼下に広がっていました
快晴で、煙突の煙もまっすぐに立ち上っています 避寒桜のピンクと春の薄い青空がとても綺麗でした
境内を通り、進む
お・おー 結構な坂道を登っただけあるなぁ 長い階段 ここは気を付けて下らないとだよね
厄神社からほどなく、最初のチェックポイント 西浦小学校
スタンプ ポン !(^^)! おやつもいただきます
丁度、半分を過ぎたところ 頑張るよ (*^_^*)
ここでは、温かいお汁のお接待がありました
具だくさんのお汁 いただきます~♪ おかわりがしたくなるけど、一人一杯 残念 ご馳走様でした とっても美味しかったです
私達が並んだ時には、まだ列は短かったけど、食べ終わる頃には長蛇の列
次は 箆取神社(へらとりじんじゃ)へ
厄神社を登り下り、再び 箆取神社へ向かって坂道が・・・・ ゼイゼイ 汗が出てくる
しばらく坂道を登っていくと、真向いに厄神社とさっき下ってきた階段が見えました
ひたすら無言(笑)で歩き進みます
箆取神社は水島地域西部の連島町大平山の中腹にある神社である。創建年代は不詳であるが、連島は奈良時代には都羅之郷と称し、壬申の乱の頃に神官が神社のあった場所から南に広がる瀬戸内海を眺めていた時、海面に「箆」の神紋が顕れたことから箆取大権現と称したと云われている。
本殿は山の斜面に張り付くように建てられていました
天井に、方位磁針の飾りがありました。こんな飾りは初めてですね
下りは、回廊を下りていきます なだらかな下りです
そして、ここも長い下りの階段が 気をつけて下ります
下まで到着!
後から考えてみると、厄神社も箆取神社も、裏口からお参りしたことになったのかなぁ???(笑)
水玉ブリッジライン(みずたまブリッジライン)は、倉敷市の水島地域と玉島地域を結ぶ岡山県道398号水島港唐船線のうち、かつて一般有料道路として供用されていた区間の愛称。有料であった当時の正式名称は水島玉島産業有料道路
なんで「水玉」なのかな??海沿いだから??などど思っていましたが 「水島」と「玉島」から取ってたみたいですね
高梁川を渡ります 水島大橋(1キロ位あったと思う) 長い~長い
チェックポイントやゴールまでの距離が出ていると、励みになりますよね(何となくだけど・・・・・)
ゴールまで6.4キロ がんばるよ
誘導の係りの方と パチリ お世話になります
古い町並み
このあたりから、岡山のKさんという方と一緒に歩き、色々と案内をしてもらいました
そして、さみしくなった商店街 (通町商店街)
昔は、本当に賑やかだったそうです(どこの街もそうなのかもしれませんね)
今となっては、レトロなお店
私達が小さなころは「商店街の金物屋さん」ってこんな感じだったような記憶があります
今のホームセンターですよね 家の中で使う色々な物が何でもそろっていた
旧高瀬通しの終点、玉島舟だまり跡
松山藩水谷候が玉島阿賀崎新田を開拓した万治寛文延宝にかけての約330年前、高梁川の水を入れた灌漑、水運両用の高瀬通しが船穂町水江の堅盤谷(カキワダニ)から糸崎七島を経て、玉島舟だまりまで91粁巾37米ー8.5米で開通された。一の口水門から二の口水門へ水を入れた閘門(コウモン)式運河で、パナマ運河に先んずること240年前であった高瀬舟は、下りは、水棹を用い上りは曳子が引いて通過した。
下り舟には、米・大豆・茶・薪炭・煙草・漆・和紙・鉄・綿・べんがらなど、上り舟には北海道鰊粕・干鰯・昆布・塩・種粕・雑貨など積まれた港の北前船と並んで江戸期の玉島繁栄の基となった。
河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡
”児島屋”は、現在は取り壊され駐車場となっていますが、ここはかつて、玉島港に面して船宿が立ち並んでいたそうです
昔はこんな舟がたくさん川の上を走っていたんでしょうね
うだつのある家
港橋を渡り、先に進みます
ここは、備前藩のお屋敷を使った料理旅館だと岡山のKさんが教えてくれました 宿泊のお部屋は、いくつかの離れになっているそうですよ
ここも白壁の街でした
そしてこの路地を抜けていくと・・・・・
最後の「登り坂」が待っていた ゲゲッ !!!! チエックポイントの ”円通寺”までがんばって登らないと
以前は、距離は長くなるけれどももう少しなだらかなコースだったそうです
高梁川や玉島大橋も見えます
坂道は大変だったけど、見晴らしは良かったです
すこしなだらかな登りを進むと
チェックポイントが見えてきた
ここでも スタンプ ポン!!! ありがとうございます
ここで、ゴールまで 2.1キロ あとひと踏ん張りだ
円通寺
良寛和尚が青年時代に18年間修行された曹洞宗の名刹で、本堂、座禅堂の他石庭がある。春と秋には良寛茶会や良寛まつりなどの行事もある。
後、残りの道。 無事に歩けるように手を合わせます
亀のイメージの石が正面にあり、左上には青銅露座地蔵(良寛さんが生まれたのと同じ年に建立)、右手には中国風茶室「友松亭」があり
全体がうまく調和した風景となっています。
まだ、庭が色づくには早いです 季節が来ると、つつじや菖蒲が彩りを添えるようです
玉島の阿賀崎にある町並み保存地区に入ると、地元の方のお接待がありました
<阿賀崎地区>
明暦元年(1655)海であった玉島を備中松山城主水谷伊勢守勝隆候により干拓が行われ、寛文10年(1670)二代水谷左京亮勝宗候の時代に阿賀崎新田120町歩が完成し、延宝6年(1678)備中松山藩によって阿賀崎新田の検知が行われ元禄8年(1695)阿賀崎新田村となり問屋数が43軒となった。その頃、元禄年間が玉島港の最盛期であり徳川幕府直轄の天領となった。
玉島味噌醤油
古い建物で、阿賀崎村役場跡だそうです。
甘酒 温かくて美味しい
菊池酒造
ここは 江戸時代末期の国学者であり歌人でもある、近藤萬丈(1776~1848)の生家
試飲コーナー有りました ゴールも近くです 少しだけ(かな???)お酒もいただきました
梅の実の試食も 少しだけアルコール入ってます♪
そのほかにも沢山の古い建物が町並みとして残っていました
井出屋
宝暦13年(1793)に初代井上藤介恒本がこの地で肥料・穀物・綿などを扱う井出屋(廻船問屋)を創始しました。
当時肥料の中心は北海道産のニシン粕でした。北前船の物流機能が衰退した明治以降、井上家は肥料一筋の営業を続け、昭和16年(1941)統制経済となり廃業しました。
昭和25年(1950)自由経済となり、6代目井上邦一が井上商事株式会社(岡山本社、玉島出張所)として再出発し、7代目井上浩が岡山県総合流通センター(岡山市大内田)にて平成16年(2004)まで家業を継続しました。
この町並みを通り過ぎ
大正橋を渡ると
この表示があり!
程なくゴール !!(^^)!!
最後のスタンプ ポン
あつあつの生姜の効いた「甘酒」が待ってました いただきます~
ゴールは、「倉敷市役所 玉島支所」になるので。ここからは送迎バスで 主会場の「倉敷市役所」までは、バスで帰ります
バスの中では、ウトウト zzzz・・・・
朝、出発したゲートの所に戻りました
色々なイベントも行われていましたよ
今日の参加者 凄い! 凄い スタートの時も、長い列が出来たわけですね
一日目はこれで終了
明日は、新熊野史跡を巡るコース 20キロコース(18.64キロ)を歩きます
お天気も明日まで大丈夫そう。初めて歩く道でワクワクします 二日目に続く・・・・・
ゴール後は、いろんなイベントがあり「雛めぐり」や倉敷川沿いのキャンドルや影絵などを見て写真を撮って回ったことを思い出します。
来年はぜひ参加して、いつも行っている銭湯へまた行きたいです。
小倉から夜行バスが出ているのは知りませんでした。
その時は青春切符で行きましたよ。(笑)
今回初めて参加しました
まず、参加者の人数に驚きました
お天気にも恵まれて、そして色々な方とお話も出来、本当に楽しい二日間でした
夜は、倉敷川のライトアップは見に行きませんでしたが(その前に、遊びすぎました 笑)、来年参加したら、夜の観光に出かけたいと思います
そうそう、夜行バス、お奨めですよ 小倉駅前からも出ます
倉敷は、あれから山陽道を歩いた時にも行きましたが、
良寛コースにあたる玉島は、行ったことがありません。
昔は、瀬戸内を通る船で賑わっていたのでしょうね。
2日目のブログも楽しみにしています。
それと色々と気にかけてくださり有難うございました。
お天気に恵まれて気持ちよく歩けましたね。
参加人数の多さに圧倒されました。
20キロも楽しいコースですね。いい写真です。
宿泊したホテルが怖かったです。夜は電気とテレビを
つけたまま眠りました。それでもツーデー参加者が3組
程宿泊されていて話し声が聞こえると安心しました。
安かったですけどね…
福岡からも夜行バスが便利ですよね
丁度、スタートに間に合いますからね~
倉敷は観光で「美観地区」は前に結構ゆっくりと観光しましたが、玉島地区も歩くにはのんびりと楽しめる道でした
お接待場所では、スタッフの方が明るく迎えて下さり、楽しく歩けましたよ
二日目、時間を見てUPします
参加者人数、びっくりでしたよね スタート前に、行列が出来るとは! まるでバーゲン会場のようでした(笑)
お天気も良くて、私達もマイペースで歩きました
お買い物も楽しめたし、来年も行きたいなぁと思ってます
(決して、買い物目的ではないですよ・・・・)
ホテル、大変だったんですね やっぱり早めに宿泊場所は確保しないといけないですね~