始まりに向かって

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「アイヌ文化振興法ができるまで」・・いずれの方策も良いものではなかった。

2012-05-13 | アイヌ
常本照樹氏の「アイヌ民族をめぐる法の変遷ーー旧土人保護法から「アイヌ文化振興法」へ」というブックレットを読んでみました。

その中の資料として1996年「平成8年)に出された報告書がありましたので、ご紹介させていただこうと思います。

内閣官房庁の要請を受け、自然人類学、歴史学、民族学、国際法などの学問的立場からヒアリングを重ねるなど、さまざまな角度から議論するとともに、この分野の施策の新たな基本理念および具体的施策の在り方について総合的な検討を約1年かけて行った成果を整理したものである、ということです。

         
            *****

         (引用ここから)


「1996(平成8)年ウタリ対策の在り方に関する有識者懇談会 報告書 」


1ーーアイヌの人々の先住性


北海道に人類が住み始めたのは、今から約2万年以上も前の、旧石器時代のこととされている。

その後縄文文化期、続縄文文化期を経て、8世紀ごろから12世紀中ごろにかけて狩猟、漁労、畑作などを行い、擦文土器を用いた人々を担い手とする擦文文化期を迎える。

この擦文文化期とそれに続く13世紀から14世紀にかけて、アイヌ文化の特色が形成されたものと見られる。

またアイヌ文化は7世紀から12世紀頃にかけてオホーツク海沿岸に栄えた漁労や海獣漁を中心に、独自のオホーツク式土器を用いた北方民族系のオホーツク文化の影響も受けていると見られている。

また「和人」との関係で見ると、7世紀頃から北海道に居住する人々との間に接触・交流があったことがうかがわれるが

文献資料が限られていることもあって、アイヌ文化の形成期における人々の様子は明らかになっていないことが多い。


しかしながら、少なくとも中世末期以降の歴史の中で見ると、学問的に見てもアイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけ我が国固有の領土である北海道に先住していたことが、否定できないと考えられる。


2ーーアイヌの人々の民族性


一般に「民族」の定義は、言語、宗教、文化などの客観的基準と民族意識、帰属意識といった習慣的基準の両面から説明されるが、近年においては特に「帰属意識」が強調されてきており、その外延、境界を確定的かつ一律に定めることは困難であると思われる。

現在アイヌの人々は、我が国の一般社会の中で言語面でも文化面でも他の構成員とほとんど変わらない生活を営んでおり、独自の言語を話せる人も極めて限られた数に留まるという状況に至っている。

しかしアイヌの人々には「民族としての帰属意識」が脈々と流れており、民族的な誇りや尊厳のもとに個人として、あるいは団体を構成し、アイヌ語や伝統文化の保持、継承、研究に努力している人々も多い。

またこれらの活動に参画し、積極的に取り組んでいる関係者の少なくないことも注目すべきである。

このような状況に鑑みれば、我が国におけるアイヌの人々は、引き続き「民族」としての独自性を保っていると見るべきであり、近い将来においてもそれが失われると見通すことは出来ない。



3ーーアイヌ文化の特色


アイヌの人々は川筋等の生活領域で狩猟、採集、漁労を中心として生業を営む中で独自の文化を育んできた。

アイヌ文化は自然とのかかわりが深い文化であり、現代に生きるアイヌの人々も「自然との共生」を自らのアイデンティティの重要な要素として位置づけている。

近世のアイヌ文化の大きな特色としては、狩猟、採集、漁労という伝統的生業、川筋などを生活領域とする地縁集団の形成の他、

イオマンテに象徴される儀礼などの特徴、アイヌ文様に示される独自の芸術性、ユーカラをはじめとする口承伝承の数々、さらには独自の言語であるアイヌ語の存在などが主要な要素としてあげられる。

なおアイヌ語の系統は不明であるが、日本語とは異なる独自の言語であることは間違いないとされている。

アイヌ文化は歴史的遺産として貴重であるに留まらず、これを現代に生かし、発展させることは我が国の文化の多様さ、豊かさの証となるものであり、

特に自然とのかかわりの中で育まれた豊かな知恵は、広く世界の人々が今日共有すべき財産であると思われる。


4ーー我が国の近代化とアイヌの人々


松前藩が成立する過程で、アイヌの人々の自由な交易が制限され、さらに「商場知行制」から、アイヌの人々を労働力として拘束し収奪する「場所請負制」へ移行する中で、アイヌの人々の社会や文化の破壊が進み、人口も激減した。

さらに明治以降、我が国が近代的国家としてスタートし、「北海道開拓」を進める中で、いわゆる「同化政策」が進められ、

伝統的生活を支えてきた主狩猟、漁労が制限、禁止され、またアイヌ語の使用をはじめ、伝統的な生活、慣行の保持が制限され、貧窮を余儀なくされ、アイヌの人々の社会や文化が受けた打撃は決定的なものとなった。

法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を与儀なくされたアイヌの人々は多数に上った。

当時の政府もさまざまな対策を講じ、明治32年の「北海道旧土人保護法」の施行に至ったが、その後の展開を見ると、いずれの施策もアイヌの人々の窮状を改善するために充分機能したとは言えなかった。

     
        (引用ここまで)

         *****


日本列島に、幾重にも重なって、いろいろな民族の人々が生きてきたということは、自分の魂の根源を考える上で大変助けになると思います。

一つの魂は、根源的には、他のすべての事象と溶け合っているのでしょう。

文字をもたない文明が、文字を持つ文明によって滅ぼされてきたのが今までの歴史であるならば、文字を持つ文明の歴史の苦境を救うのは、また別の文明ではないかと思います。

ヤマト民族によって消滅されかかっている、アイヌ民族という一つの民族の文明は、多くの宝物を秘めているのだと思います。





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