未来への便り アドバンス

学校職員を定年前に辞めました。そして株式会社を設立しました。AIを学びながらブログの記事をアップします。

Power to the people

2006年10月09日 14時37分20秒 |      +ブログ
この記事は、ヤムヤムオレンジ協賛のブログ記事コンテストにエントリー中です。
Yum!Yum!ORANGE(ヤムヤムオレンジ)「Jelly Beans」収録の『Brand New Day』
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ということで、ブログ記事コンテストに参加してみることにしたのだが、

というより、今考えていることを強引にこのネタにつなげてみようと思ったというのが正確。

音楽は間違いなく国境を越える、そしてスポーツも国境を越える。メロディとリズムがあれば、みんなが共感できるものだ。ルールが決まったスポーツも、共感を呼ぶ。それと同時に、みんな自分のルーツを体で感じるものなのだ。日本人の前ノリのリズムたとえば音頭は、やはり自然と身についている。オリンピックを観ていると、自然と「がんばれ!ニッポン!」となる。

JAZZにせよ、ブルースにせよ、サンバにせよ、カリプソにせよ、実は、その背景には民族の歴史、特に悲惨な歴史というものを背負っている。にもかかわらず、音楽にすれば、それを乗り越えるエネルギーを持っている。それら音楽は、そのような境遇を乗り越えるために自然に生まれてきたものだからだ。そして、それは他の民族の人々にも受け入れられるものだ。

この音楽とスポーツは見事に国家・民族と世界平和を共立させ、実現させている。そのパワーをもっていると思う。

以上が肯定論。だが、今考えているのは、オリンピックにおける「政治」だ。いとも簡単に国際ルールが変わる。スキーのジャンプ競技、フィギア、バレーボールなどなど。最近女子バレーをテレビで見たが、ルールがわからない。それぐらい変わってしまっている。より面白くするために、ルールが変わるのなら、納得するが往々にして「国際政治」が見え隠れする。これでいいのか!と思うこともたびたびあって、そういう意味で、単純に音楽やスポーツでの平和の実現はやはり難しいのかなと懐疑的に陥っている。(スポーツのことを書いたが、音楽にも政治が入り込むことがある。このことは省略。)

それでも私は"Power to the people"と歌う音楽の力を信じていたい。昨日、偶然you tubeでマヘリア・ジャクソンが歌うゴスペルを聴いた。1958年にニューポートジャズフェスティバルで歌う『Shout all over』という曲だ。何かgoogleとかyou tubeとかが、何かやってくれそうな予感がして記事を書いた(予感をクリック!)。

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