なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

rallegrareの看板制作1

2012-03-20 12:36:29 | チョークアート
板塗りして下絵をつけてリボンから色を塗る
ピンクがテーマカラーなので、全体的にピンク多めの仕上りになる

おおむねローズピンク



花、リボン、はともかく難問なのが手の表情と質感
人の肌は表現が難しい。それだけ繊細なのだ

まぁ、丁寧に仕上げる事。それが基本


昨日、ママ友達に言われた

「maricoさんって、休日ゆっくりしてるってことってあるんですか?」

「ゆっくりって?」

「ゆっくりソファに座っているとか、居眠りするとか」

「あー。厭きるからだめだねー、向いてない。」

と言ったら笑ってた。
私にとって“ゆっくり”というのは、お風呂も終わって歯も磨いて全部段取ったら好きな本を持ってベッドに横になった瞬間からだ。
後は何にもしたくない。好きに頁をめくり、眠くなったら寝てしまうのだ


「八日目の蝉」は一日半で読んでしまった。
力のある本だと思う。

登場人物のすべてが儚い蝉のように、どこかしら弱いところを持って生まれ、生き、その中で起こってしまった出来事のひとつであって
さらわれた女の子が大きくなった21年後には、その事件はあまりにも風化し過ぎて、まるで昨年の夏の日のようである
じりじりと照りつけたであろう夏の太陽と、あきらめと、汗と、どうしようもないやるせなさ、もがき、そしてその中で偶然に差し出された氷の入った一杯の水が美味しかった想い出のように、何故だか夏の日だけは他の季節より遠い記憶である。

人を愛し過ぎた結果の犯行だとか言うけど「乗り過ぎる」「飲み過ぎる」とか「使い過ぎる」という“過ぎる”はあるだろうが、「愛し過ぎる」という“過ぎる”は無い訳で(或は幻想で、或は私が知らないだけかもしれないが)たまたまそういう関係性になってしまった独り身の女は何か証拠を自分にもとめたかったからなんだろうなと、野暮な私なんかはうすらぼんやり思う。

原作は映画より様々な思いを私にぶつけてきた。
劇中、逃亡してた女がもう逃げ切れないと諦めて女の子を差し出すシーン
そのシーンに叫んだ一言が忘れられない
とっさに出た、あの叫びは母親にしか出ない言葉だ
女は自分の子供こそ産む事が出来なかったが、この逃亡で本当の母親になれたのだ

バレエレッスンの合間に

2012-03-20 12:32:57 | 娘シリーズ
食べる時間もないし、食べたらお腹が出てしまうから
こんなものを持たせた

ドライフィグ、ドライアプリコット、ドライマンゴー、ドライレーズン

ロビンソン食である


今日は午前中11時からのレッスンと夕方19時からのレッスン。
11時からのレッスンからはいつ頃帰ってくるのやら。。。